第108回:ディスコのアニマドール、アニマドーラたち
夏の半年、イビサは島全体がパーティー・アイランドになる。もちろん、騒音を嫌い、静かに海と太陽を味わうムキもあるが、そんな人種は大金持ちか極少数派に属し、島を訪れる避暑客は何らかの形でワイルド・パーティーに巻き込まれる。
昼間はビーチ・パーティーと称し、ホテルから集められた老若男女がいつ建造されたか年齢不詳木造船に老嬢のように厚化粧を施し、そこに詰め込まれ、朝から、と言っても10時過ぎだが、船の上で飲み放題のサングリアの飲み、流行のディスコ音楽をボリューム一杯にガンガン鳴らして、カラ・バッサ(Cala Bassa)、カラ・タリダ(Cala Tarida)、カラ・ジョンガ(Cala Llonga)などのビーチに到着する。カラ(Cala)というのは小さな湾を意味し、イビサに数多くあるカラでビーチ・パーティーの侵略から免れている海岸は極秘情報扱いになるほど希少価値があった。
それぞれのカラにパーティーを司るアニマドール、アニマドーラ(animador、amimadora;チアリーダー)が控えていて、英語とドイツ語で「ようこそ、カラ○○へ、よく冷えたスペイン最高のサングリアを耳から噴出するほど飲んで! そしてお昼は、これも食べ放題の本格的パエリャ! 果物はこちらのテーブルだよ…」と参加者を盛り上げるのだ。まずはウェットTシャツコンテスト、そして宝探し(これは予め海底の見つけ易いところに隠してある安物のシャンパン、砂浜に埋めてあるこれまたオモチャのような指輪探し)などが始まるのだ。
カラ・ジョンガ(Cala Llonga)
人気の海岸ではビーチ・パーティーが開催されている(Cala Conta)
イビセンコのペペは兵役を海軍で終え、日本で言う小型船舶の免許を持ち帰った。夏場の仕事をそのような小さな30~40人乗りのパーティー観光船の船頭さんの職に就いた。もともと、イギリス、アイルランド、ドイツの自宅で過ごすより安上がりだという理由で、イビサ激安パッケージツアーにやって来る避暑客が相手だから、マナーなどを問題にする方が間違っているのだ。
地中海諸国の人々、イタリア、スペイン、フランス、ギリシャの人たちも酔っ払うが、それは酒、ワイン、コニャック、シャンパンを味わってのことだ。子供の頃からのワインの文化を体験しているので、ワインの飲み方を心得ている。ところが、イギリス、北欧の連中は酔っ払うために飲むのだ。本国で酒税が高く、大量に口にできない反動で、ワイン類が馬鹿に安い地中海に飲むためにやって来る。自然飲み方がイギタナクなる。
ペペに言わせれば、彼の実家で飼っている豚の方がテーブルマナーが良いし、統制が効く…。棒でぶん殴ることができるからまだ扱い易い、ところが奴等ときたら全く手の付けようがない。バケツで作るサングリアも、薄く切ったレモンとオレンジ以外、最悪、最低のワインにファンタ・オレンジ、レモンをぶち込んでいるんだぞ、それにあれをパエリャと呼べるなら、豚の餌は高級フランス料理ってなもんだとこぼしながらも、彼自身がそんなサングリアを仕込み、パエリャを浜辺で作るコックも務めているのだった。
毎年、観光シーズンが終わり頃になると、「これでイギリス人が嫌いになるな!と言っても無理な話だ。もうこの仕事は絶対にやらんぞ!」と言いつつ、翌年もまた、船頭兼コック長の仕事に就くのだった。どうやら、ぺぺは『カサ・デ・バンブー』にやって来るイギリス人、北欧人たちとは全く別の人種を相手にしているようなのだった。
野外型ディスコ・クー『KU』
ビーチ・パーティーとは別に、どこのディスコでも本格的なアニマドール、アニマドーラのダンサー、演出家というのか、パーティーのプランナーやディスクジョッキー(DJ)を置いている。デイヴィッドはニューヨークはクイーンズから来た黒人で、そこのディスコのDJとして働いていたところ、お客の一人から、お前、イビサに来ないかと誘われ、そんな島がどこにあるのかも知らずにやって来た。即座に当時イビサで最高、今が旬と言われていた野外型ディスコ『KU』の音楽監督兼アニマドールの仕事に就いたのだった。
デイヴィッドにはアルゼンチン人のガールフレンド、イザベルがいた。イザベルはスペイン語は当たり前だが、英語、フランス語、実用に足るドイツ語を話すことができ、『KU』のパブリックリレーション、対外宣伝のような仕事をしていた。デイヴィッドは米語以外全くダメだった。「でも、俺には音楽という国際語があるから…」と言い訳をしていた。
二人はよく連れ立って『カサ・デ・バンブー』にやって来た。二人ともとても静かな話し方をし、こんな地味な性格の人間がよくディスコの騒音の中で働けるものだと思ったことを覚えている。デイヴィッドの誘いに応じるように何度か『KU』へ出かけた。『KU』は広大な野外のコンパウンドで、そこのメインステージというのだろうか、ダンスフロアを見下ろすところにDJブースがあり、デイヴィッドがいた。
マイクを手前に、いくつかあるターンテーブルと大きなサウンドコントローラーを両手でたくみに操っているのだった。彼の声は低く、太くしかもスピーカーを通すと力強く、よく響いた。しゃべり過ぎることもなく、早口の米語で2、3曲ごとに簡単なコメントを入れるだけだった。少しでも手が空くと、アフリカ的なのか修道僧風というのか真っ白なジュラバ(北アフリカの貫頭衣)を翻し、バスケットボールを人差し指の先に載せクルクルと回し、巧みに踊るのだった。呆けた様に彼を見ていた私を目ざとく見つけ、こんな風に働いているのさと、目配せしてくれた。後から、これはデイヴィッドからの差し入れだとウエイターがシャンパンを持って来てくれた。
あれだけのエネルギーを燃やす仕事をしていれば、昼間、『カサ・デ・バンブー』にやって来ても静かな時間を過ごしたくなるはずだ…と奇妙に納得した。
『KU』のダンスフロア(1990年頃)
もう一人、ダンサーのアニマドーラと知り合いになった。と言っても『カサ・デ・バンブー』の客としてだが…。ダイアンはちょっと焼き過ぎ、ウエルダーンじゃないかというほど、ロスモリーノスのビーチで素っ裸になり毎日コンガリと焼いていた。真茶色を通り越し焦げ茶に近いほど焼いていた。日光浴の帰りに毎日のように『カサ・デ・バンブー』にやってきて、アグア・コン・ガス(agua con gaz;炭酸水)にレモンを絞ったものを、おいしそうに飲み、「サアー、仕事に出かけるか…」と夕暮れ時に腰を上げるのだった。
ダイアンは毎日のように来るので、自然話をする機会が多かった。彼女はいつも一人でやってきた。彼女はとてもシャイで、自分のことをほとんど語らなかったが、オランダ国境近くのドイツの田舎からやって来たこと、若い時に新体操で地方の大会に出たことがあること、ディスコが大好き、踊るのが大好きで、『KU』で踊っていたら、マネジャーから声を掛けられ、今『KU』のアニマドーラ、ダンサーとして高台の上で踊っていることなど、ぼそぼそと話すのだった。
彼女は痩せ型で、腰も細く、胸も小さいから、とてもプレイボーイのグラビアに載る体型ではなかった。遠目を引く要素は何もない。仕事用に染めたという鮮やか過ぎる金髪にギョロ目に近い少し飛び出した大きな目はそれなりに魅力的だが、美形とはいえない顔だ。全体にとても地味なのだった。
デイヴィッドのお呼びに応えて『KU』に出かけた時、数箇所あるお立ち台にアニマドーラ、ダンサーたちがその上でスポットを浴びながら踊っていた。その中でも、ダイアンに真っ先に目が行った。それだけ彼女の踊り方が他のダンサーより激しく、よくぞあんな風に体を捻り、全身を動かすことができるものだと呆れるばかりだったからだ。
ダイアンは金ラメの衣装にフサフサがたくさん付いた衣装に細身を包み、リズムに乗って踊りまくっていたのだった。厚化粧で顔にも金粉を付け、そのままテレビか映画に出ても通用するのではないかと思わせた。女性は変身できるのだ。恥ずかしがりで内気なダイアンがディスコ・クーインに変身していたのだ。
20-30分もして、休憩、交代の時間になったのだろう、ダイアンには私が来ていることなど分かるはずがないと思っていたところ、プール脇のベンチに腰掛けていた私のところに、ダイアンは、こんな格好をしているところを見られて恥ずかしいという表情でやってきたのだ。私の方こそ、『KU』のトップダンサーを前にしてドギマギしてしまい、会話は進まなかった。時間がきたのだろう、ダイアンは「ジャー、また明日ね…」とお立ち台に登り、また狂ったように踊り始めた。
翌シーズン、デイヴィッドにダイアンの消息を尋ねたところ、田舎に帰り、結婚し、畑仕事、乳搾りに精を出しているのではないか、元々、彼女はイビサ向きの性格じゃなかったからね、とコメントした。ダイアンに二度と会うことはなかった。
デイヴィッドとイザベルは、よく絵葉書を送って寄こした。イタリアから、ギリシャから、エジプトから、そして最後にニューヨークから、やはり一年中働けるところが良いとあった。それから消息を絶ち、まだ二人で一緒にいるのか、どこにいるのか分からない。
第109回:巨乳のバーバラさんのこと
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