第51回:3組のペペとカルメン
“ペペ”はホセ(Jose)の愛称で、スペインでは非常に多い名前だ。マドリッドやバルセロナの繁華街で、「オイ、ペペ!」と叫んだら、10人以上のペペが振り向くことは間違いない。アーネスト・へミングウェイの小説の書き出しに、“ぺぺ、すべて解決した。すぐにドコソコに帰れ!”と新聞に3行広告を出したら、何十人かのぺぺが集まったことが書いてあったが、それほどコモンな名前なのだ。
一方の“カルメン”もオペラを引き合いに出すまでもなく、そこいらじゅうカルメンだらけだ。だが、カルメンは恐らく“マリア”に負け、2番目くらいの位置だろうか。それにしても、実際にカルメンがたくさんいることにスペインに着いた当初驚かされた。マリアとカルメン両方を合わせた“マリカルメン”も多い。
イビサでイビセンコ(イビサ生粋の人)への窓を開けてくれたのは、ペペとカルメンというイビセンコ、イビセンカだった。ところが、この同じ名前の組み合わせ、ペペとカルメンのカップルは私が親しくしているだけで3組もいるのだ。
一組はアンダルシアから来た肉屋の若いカップルで、こちらのぺぺは小柄ながら大変な男前、カルメンの方もアンダルシア美人を絵に描いたような美形で、まさにビユーティフルカップルだ。もう一組は町からトンネルを抜け『カサ・ デ・バンブー』へ降りる最初の建物の一階にある合気道の道場に通っているペペとカルメンで、このカップルは相当合気道にのめり込んでいた。イビセンコのぺぺとカルメンはそのまま、肉屋の方は肉屋のぺぺとカルメン、もう一組は合気道のペペとカルメンと呼び分けていた。
この3組のペペとカルメンはお互いに相当仲の良い友達で、連れ立って『カサ・ デ・バンブー』に来てくれるのだった。そして、彼らはペペ、カルメンには何の意味もない呼び方で、むしろ番号でも付けてくれた方が良かったと、名付け親を冗談交じりに非難するのだった。いたずらで、「オジェ、ペペ!」(Oye Pepe!;オイ、ペペ!)と呼び掛けたら、3人のペペが反射的にハッと私に顔を向けた。
人気がある神秘的な無人島、エス・ベドラ(Es Vedra)
彼らの名前の全部、姓、ミドルネームが一致しているわけではない。しかし、よほどの公式の立場でない限り、セニョール・メレンデスとか、セニョーラ、もしくはドーニャ・ヴィアッジと姓で呼ぶことはない。通常、名前だけで呼び合う。孫が自分のお爺さんを名前で呼び捨てにするのだ。これには最初ショックを受けたことだ。いくらなんでも5、6歳のガキが、お婆さんが長年連れ添ったダンナであるお爺さんを呼ぶのと同じように、“リカルド”などと名前で呼び捨てにするわけで、これに慣れるにはちょっと時間がかかった。
スペイン人は100%と言い切ってよいと思うが、ミドルネームを持っている。結婚と同時に奥さんはダンナの苗字になるので、子供のミドルネームに母方の苗字を持ってくる例が多い。だが、子沢山のスペイン人は、母方の姓だけではすぐに足りなくなり、爺さんや婆さんの名前、聖人や偉人、聖書、ギリシャ神話から名前を借り、スペイン語読みにして持ってくることになる。
スペインでフランコが徹底して行った国民総背番号制のため、スペインに生まれた以上、移民の子でもジプシーでも100%身分証明書を持たされる。IDカードだが、これに顔写真、右手の人差し指の指紋、生年月日、名前が載っている。このIDカード=カルネ・デ・イデンティダ(Carne de Identidad)はどこへ行くにも必ず携帯していなくてはならず、官憲がまず要求するのがカルネ(IDカード)を見せることだ。官憲を異様に恐れる体質が長く続いたフランコ時代を通じて、スペイン人すべてに浸み込んでいて、カルネを持ち歩くことに滑稽なほど神経を使う。
カルネ不携帯は日本での運転免許証不携帯のように罰金で済むようなナマ易しい違反ではなく、犯罪とみなされる。当時の官憲は、疑わしきはまずショッピケ、そしてブチノメシ、それから取り調べるのをモットーにしていたから、スペイン人が官憲を恐れる理由は十分あった。
そのカルネに載っているフルネームは、イビセンコの場合、ジュゲムジュゲムほどとは言わないが、異状に長いのだ。ぺぺとカルメンのカルネを見せられた時、何かの冗談だと思ったほどだ。カルメンのフルネームは、“カルメン・トーレス・ヴィアッジ・フンケイラ・クラスポ・デ・カン・レアル・サンタ・ヘルツーデス”で、母方と父方の苗字がすべて入り、おまけに先祖代々のフィンカ(農園)の名称も付くのだから、長くなるのは当然と言えば当然だ。
さらに、爺さん、親父、本人と代々同じ名前をつけることが多い。そうなると、一家に3、4人のホセ(愛称ペペ)が同居することになる。第三者が話す時に、爺さんの方のペペとか、息子の方のペペとか呼ばないと個人を確定できないのだ。
結婚式に3回列席し、裁判も2回傍聴した。そんな場合は、長ったらしい名前をすべて呼ぶ。一息で読み上げられないような長ったらしい名前を、丁寧に呼び上げるのだから大変なことになる。
逆に、私がスペインの官憲に取り調べを受けた時に、「なんだ、お前の名前はこれだけか?ミドルネーム、母方の姓はないのか?」と、自分がなんだか苗字を持たない未開の民族になったような気にさせられたものだ。
その後、イビセンコのぺぺとカルメンは離婚したが、ぺぺと同居した次の女性もカルメンという名前だった。
イビサはハーブ酒でも有名
(イエルバス・イビセンカス;Hierbas ibizencas)
-…つづく
第52回:冬場のイビサ島 その1
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