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ヌの話を続ける。子犬が新しい環境に慣れるのは2週間が目安だと聞かされていたが、まったくそのとおり、我が家にやってきたワンパク坊主も、ペットショップの店員の予言したとおり、環境の激変に体調を壊し、病院に連れていくほどの騒ぎまで起きた。ペースを崩したのは彼だけでない。私と家内にとっても心身ともに非常にきつい日々が続いた。状況を良くするために、就寝前にイヌの行動心理学に関する本などを読んだりまでした。そして今週末でちょうど2週間。それぞれが互いのペースに慣れて、ようやくリラックスした気がする。念のためにいっておくと、ここでいう「互い」というのは、決して、「イヌ」と「私たち夫婦」という二者の関係ではなくて、「イヌ」と「私」と「家内」という三者の関係を指す。たかが子犬一匹などとは思ってはいけない。「異物」が入り込んだだけで現状は恐ろしく一変したのだ。これを受け止められるかどうか──この2週間を振り返ると、我々「3人」の間に起こったことは、新しい意思疎通手段の構築と、共に生活するためのルール作りみたいなプロセスだったような気がする。そして今は、「がんばってよかった」という実感がある。どうやら基本は、互いを尊重し合えるためのコミュニケーションというやつらしくて、そこにはヒトもイヌもないらしい。(安蒜)

々の発見は新聞広告にあり。私の住むエリアには幹線道路が近いため、スーパーマーケットやら大型の家電製品店が立ち並んでいる。そのため、週末ともなればそれらの店の新聞広告がこれでもかとばかりにわんさか入ってくる。 とある日曜の朝、半分寝ぼけた頭でそれらをぼんやりと眺めていると、一枚のチラシが目に入った。電気屋の閉店セールのチラシなんだが、まず店主のあいさつに心を奪われる。 「(中略)日本全国法人21社で、72%くらいの売上げがあり、これには秋葉原のお店が1件も入っておりません。お客様にウソを言って売らないうちに閉店することにしました。(省略)」 なんだこの日本語? 72%の売上げって、全体は何? しかも「72%くらい」ってなぜあいまい? 秋葉原のお店ってどこのこと? この他にもエアコンの項目には、各社の値段の上に全て同じエアコンのイラストがある。要するに伝えたいのは値段だけで、どういうデザインのエアコンかは問題ではない様子。だったらなぜ商品名と値段だけを掲載しないのか。どうもしっくりこない。 人気の高いデジタルハイビジョンテレビにいたっては、商品名の下に「まだ高いです」もしくは「高いです」としか書かれていない。どこまで人を食えば気がすむのか。 しかし、こういう楽しいチラシにお目にかかれて実はすごく嬉しかったりする。 広告は、実際にはあり得ないような理想的な家族やらシチュエーションを設定し、見る人の購買意欲をそそるように作られているものが多いが、私はそういう物を見てもあんまり感動しない。出来合いの美しさは感じても、そこに現実の人間のいとなみが感じられないからだ(えらそうだな、私)。私は自分自身がかなり大味にできているせいか、他人がうっかり見せるあいまいさや、やさぐれ加減を見つけるとなごんでしまう。別に始終なごみたいわけでもないのだが、ビシッときめられるよりも「まぁ、まぁ、ゆるーくやりましょ」という方が性に合っているのだ。 クレージーキャッツ時代の植木等が「そのうちなんとかなるだろう」と歌っていたお気楽さを、この広告をだした店主も持っていたように感じる。あ、だから閉めるのか。 大丈夫、人間死なない程度に生きていれば問題なし。(志岐)

事にわたるが、退社にともない「norari」のスタッフをはずれることになった。退 社そのものは自分の意志とはいえ、せっかく立ち上げに係わった「norari」をプレオー プンからわずか3週で離れることになったのはやはり残念ではある。今後の「norari」 には期待も込めてエールを送りたい。毎日更新コラムの類はネット上にあふれていて 「norari」だけが特別なわけでも個性的なわけでもない。数の中に埋没する可能性も たぶんにあるだろうが、各コラムニストが、単に「書く」だけでなくパーソナルな視 点で社会と切り結ぶスタイルが確立すれば、ウェブコラムマガジンとしてひとつの個 性なり説得力なりを持つことにもなると思う。今後は読者として楽しみに読ませてい ただこうと思っている。(山口)


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