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第2回:フランコ万歳! その2  【新連載】

更新日2021/03/25

 

手を後ろに回され、手錠を掛けられた。その時、パンツを引き上げることが許され、ジーパンを履き、ジーンズの布地製の長袖カッターシャツを着たのだが、どのような状況下でズボンやシャツを身に着けたのか、全く記憶にない。逮捕された時のことは50年以上経った今でも、鮮明なスライドのようにすべて覚えていると思っていたが、その部分はバッサリと抜け落ちているのだ。

何を着ていくかという選択の余地はなかった。ズボンはそのジーンズ一本しか持っていなかったし、カッターシャツも2、3枚持っていたかどうか、長袖はその1枚だけだった。日本から履き詰めだったスニーカーを突っかけた出で立ちで、後ろ手錠を掛けられたのだ。

手錠というものは、あらゆる手首の太さに対応できるように作られていることを知った。ギザギザになっている半円形の部分をカチカチと締めると、手首にピッタリとフィットするのだ。これを目一杯締められ、長時間放って置かれると、手首の骨があるので、血液が循環しなくなり、シビレルことはないが、骨が痛み始める。神経が断ち切られるような痛みだ。

後ろに手を回した状態で手錠を掛けられると、よほど身体、肩や肘、腕が柔軟でないと、苦痛を伴う。それを治安警察は十分承知していて、両手を繋いでいる鎖の部分をグイと持ち上げるのだ、その度に激痛が手首から肩にかけて走るのだ。 

すべてをぶち壊すような家宅捜査を終え、5階の屋根裏部屋から連行された。その時、私の前に一人、手錠に付いている鎖を握っているヤツが後ろに一人、ピストルを脇腹に押し付け、私と並んで階段を降りるのがもう一人、そして2、3歩離れて機関銃を構えているのがもう一人、たしか5人いたはずだが、もう一人はどこにいたのか分からない。

映画ではこんな風に階段に差し掛かった時、犯人が警察を振り切って逃げる場面がよくある。そんなことは全くの絵空事だ。当時のスペインの警察は、逮捕、連行の訓練が行き届いていたのか、しっかりとしたマニュアルでもあるのか、余程の自殺志願者でもない限り、逃亡を企てることなどできない。

静かに、スミヤカに物事を運ぶべし、というような心遣いは全くなく、階段を降りる時も、彼等は大声でわめき散らし、私を銃口で小突き続けた。元々、ラテン系の極みであるスペイン人は警察官に至るまで騒々しい人種なのだ。

気配というのはあるものだ。あれだけドタバタ騒々しく階段を行進すれば、いくら夜明け前の早朝でも、アパートの住人は気づく。ドアを細く開け、興味深々と私の哀れな姿を覗き見しているのが感じられるのだ。私の逮捕劇は、このボロアパートの住人に格好の話題を提供し、ウワサ話に花を咲かせたことだろう。私がマキシモのところに間借りしていた期間は2ヵ月ほどだったと思う。その間、馬鹿の一つ覚えのように「オラ、ブエノス・ディアス」(Hola! Buenos Dias!;こんにちは!)と住人と階段ですれ違う度に挨拶していたから、マキシモが変な東洋人に部屋を貸していることは知れていたと思う。

こんなところに住んでいる人たちは皆、社会の底辺でカツカツの生活をしている。中に、比較的若い、と言っても20代後半か30になったかならないかのカップルがいた。ヒゲ面の男と崩れ疲れた感じの彼女はベジャス・アルテス(Academia de Bellas Artes;国立美術学校)でヌードモデルをしていると、そこへ通う旧友が教えてくれた。彼らとも挨拶を交わす程度の付き合いしかなかった。もっとも、その当時の私のスペイン語たるやお粗末な限りで、とても会話を成り立たせることなどできない、初歩以下だった。

彼らだけがドアを大っぴらに開け、絵にあるキリストのようなヒゲ面に、沈んだような大きな黒い目で、視線を逸らさずにジット私を見ていた。お巡りの一人が、恐らく「何を眺めていやがるんだ!」ってなことをヒゲ面に言ったのだと思う。大声で叫んだのと同時に、ドアを思い切りバーンと閉めた。

portero-01
ピソの入口には玄関番兼管理人のポルテーロが常駐している

もう一つ、連行された時に印象に残っているのは、ポルテーロ(portero;玄関番と呼べばいいのだろうか…)のことだ。当時のスペインのピソには必ずと言ってよいほど、建物の玄関脇に小窓の付いた部屋があり、そこに暇そうな玄関番がいた。その奥に彼らの住居があるのが普通で、ピソの住人から集める公共費用、階段や廊下の電気代、清掃費、そして僅かばかりの賃金もその中から取っているのだろう、住み込みだから、少なくとも住居費はかからない。

そんなポルテーロをノミの市の裏通りにある安アパートにさえも置いていたことに、今さらながら驚く。このポルテーロも高級ピソになると制服を着込み、ドアの開け閉めまでしてくれ、そこに住む人以外の訪問者のチェックもする。管理会社からの給料のほか、住民からチップも多く、実入りの良い仕事とされている。

私の住んでいた貧民窟ピソのポルテーロは、若い夫婦で、可愛い盛りの赤ちゃんと、生まれて間もない乳飲み子を抱えた、小太りで愛想の良い若妻だった。ダンナの方はくたびれたグレーの制服を着て仕事に出るのを何度か見かけた。マキシモによると、私たちが“水撒き叔父さん”と呼んでいる道路清掃員だった。従って、昼間、玄関脇に椅子を持ち出し、どっかと腰掛け、子供をアヤシながら門番をしているのは、もっぱら若奥さんの方だった。

警察署の地下の独房に入れられてから思い付いたのだが、裏切者、密告者の目というものがあるということだ。そのポルテーロの若奥さんと私たち一行が、ピソからの出頭の時に顔を合わせたのだ。その時、彼女はあわてて私から目を逸らし、小さな窓の付いたドアの向こうに姿を消したのだ。彼女の目は、彼女が私とマキシモを売ったことを物語っていたと信じるに足るものだった。と言っても、彼女が特別密告者、裏切者のよじれた性格の持ち主だとは思わない。

ポルテーロの仕事の一つは、住民全員の動向を掴み、誰が住み、どこで働き、何をしているか、などなどを把握し、疑わしい人間が出入りしていれば、スミヤカに官憲に報告することが当時義務付けられていた。もしそれを怠れば、彼ら自身が痛い目に遭うことになる。フランコ時代のスペインでは“密告”が奨励されていたのだ。

怪しげな東洋人が前科のあるマキシモ(その時私はマキシモの過去のことなど全く知らなかった)と一緒に住み、数多くの、これもエタイの知れない東洋人たちが四六時中出入りしている、警察に知らせるのが、善良なる市民の義務だとでも思ったのだろうか。当時のスペインでは、“疑わしきはショッピケ、そして締め上げろ”が基本方針だった。

後で思い起こしてみれば、ピソに入るには大きくて頑丈な表ドアを誰かが開けなければならない、そして、マキシモのアパートに入るにも、鍵がなければ、あれだけ静かに侵入できない。両方の鍵を持っているのはポルテーロとマキシモだけなのだ。

逮捕に踏み込んできた治安警察は皆私服、しかも下っ端のギャングのようなキザの極みのような服装をしていることは前に書いたが、階下まで降り、ピソの入口に、いるはいるは、制服組が10人単位で狭い小路を封鎖していたのだ。エッ、俺一人捕まえるのに、なんとも大げさなことだと思った。

小路を封鎖している車も”POLICIA”と大きく書かれたランドローバーの警察車両ではなく、全くの普通の乗用車だった。私はまだ心のどこかで、こいつら一体本物の警察なのかな~と思っていたのだろう、私が押し込まれた乗用車のナンバープレートを読み、記憶しようとした。

もうナンバーは忘れてしまったが、PMMで始まるプレートだった。スペインでは地域の頭文字をナンバープレートの頭に付ける。マドリードの車は“M”, バルセロナの車は“B”で始まる。“PMM”ナンバーが官憲の頭文字であることを知ったのは出所後のことだった。

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蚤の市が開かれるマドリードの下町地区(1980年代)

 

 

第3回:フランコ万歳! その3

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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