第26回:酒場サルーンと女性たち その26
■ローラ・エヴァンス その2

娼婦業全盛期のローラ・エヴァンスと言われている写真
1894年、レドヴィル(Leadville)に銀鉱山が発見され、町がブームに沸くとローラはすぐにそこへ移動している。
今、レドヴィルは西部の鉱山町の面影を多く残した観光の町になっている。だが銀鉱ブームが去った後も石炭の良い鉱脈が見つかり、現在まで石炭を掘り、積み出している炭鉱の町としても町の生命を保っている。
ここレドヴィルに来てからのローラは四面六臂の活躍を見せている。サーカスが町にやってきた時、その宣伝の一環として、ローマ風の馬車を仕立て、べン・ハーさながらの戦車競技に出場したりしている。もちろん、彼女もローマ風に装い、馬を最速で駆りトップを走っていたが、折り返し地点の急なカーブを曲がりきれず、電子柱に衝突し、車輪が外れ、大破している。
ローラがいかにも彼女らしい活躍をしたのは、レドヴィルのメイド・エリン鉱山の坑夫たちがストライキを打った時だった。1896年に、鉱山側に言わせれば、現金輸送が雪道でスムーズに動かなかっただけだというのだが、鉱夫たちにとっては遅配は死活問題だった。
ローラは憤然と鉱夫らをサポートし、ストライキを支援した。彼女はスカートの下に27,000ドルもの大金(現在の百万ドルに値するだろうか)を金貨で隠し持ち、馬車で自らレインズ(馬のクツワから引いている皮のロープ、手綱)を取り、メイド・エリン鉱山に赴いている。
当然、途中に何箇所もの会社側のチェックポイントがあり、持ち物検査を受けている。彼女の幌馬車に積んでいるのは食料だけだったが、誰も彼女のスカートを捲り上げる勇気のある者はいなかった。
一種のレドヴィルの名士、著名人となっていたローラではあるが、鉱夫のストライキに町の偉いさん、鉱山主らを敵に回したは、彼女のショーバイ上まずかった。一番の顧客連がローラの店に足を向けなくなったのだ。
だが、決断力のあるローラはすぐにレドヴィルの南100キロ程のところにある町サライダに居を移した。サライダの町も銀鉱山のブームに沸いていた。1896年のことだった。
ローラは機を見るのが敏感で、素早くブームに乗るし、娘たちにもそれなりの躾を施していた。彼女がいつまで自身で客を取っていたかはわからない。加えて、多くの記録は彼女自身、あるいは彼女の下で働いていた娘たちの足跡を追うが、そこに出入りしていたスケベ? えせ紳士らは、自らの体験を語らない。おそらく1900年頃まで、フルタイムで彼女自身、娼婦業に勤しんでいたと思われる。
当時のサライダの町の一等地、目抜き通りだったウェスト・フロント・ストリートの家を買ったのは1906年だとの記録がある。それまでも同じ建物を使っていただろうが…。

鉄道の駅からは新しく架けられた橋を渡るとホテルや酒場があり
最初の角を右に折れると、そこが有名なウェスト・フロント・ストリートだ
二階建ての方が本館で、そこにも娼婦たちの小部屋はあったが、
手前の平家で玄関ドアに窓ひとつの方はクリブと呼ばれる
娼婦たちの棲家兼仕事場になっていた
もちろん、通りに面した外観は当時とは変わっている。古い写真では、本館の中央入り口は馬車が出入りできるトンネルのようなアーケードになっており、それをくぐると広い中庭に出て、裏口から娼館へ入れるようになっていた。町の著名な名士らが人目を忍んでローラの娼館に出入りするためだ。このトンネル、アーケードは大いに利用された。ローラの小憎いまでの気配りが知れる。
ローラが娼館の経営者として優れていたのは、お客がローラからスペシャル・コインを購入し、そのコインで各娼婦に支払うことにしたことだろう。一仕事終えた娼婦はそのコインをローラに現金に変えてもらうシステムを取った。
コインは銅製で直径2.5センチくらい、アメリカの通過コインより余程大きめで、大きな文字で“GOOD FOR ALL NIGHT”(一晩じゅう有効)と刻印され、両脇にハートのマークが付いている。偽造するのは至って簡単そうなシロモノだが、使えるのはローラの店だけだから、それにすぐにバレるニセコインは出回らなかったようだ。
この娼婦専用のコイン制度はうまくいっていた。娼婦の人気、客筋によってコインの価格は変動していた。およそ、コインの売り上げの30%から50%をローラが取り、娼婦たちに与えているクリブ、部屋代、食事、必要経費?に充てていたようだ。
ショックだったのは、ローラが店舗、娼館を閉めたのが戦後1949年だったことだ。なんと戦後に至るその時までローラは娼館、サルーンを営業していたのだ。現在、コロラド州で公娼制を復活させようという動きがあり、州議会で論争を呼び起こしている。
ローラは1953年4月4日に亡くなった。享年82歳。18か19歳の時に家を飛び出していから半世紀以上に渡り娼婦業一筋?に生きた人生だった。

ローラ・エヴァンスの墓石
サライダの町外れの広大なフェアーヴュー墓地にある
誰が添えたのだろうか、派手な造花に飾られていた

フェアーヴュー墓地
このローラ・エヴァンスを書くに当たって、大いに地元の利を利用した。この町サライダの図書館の地下に町の歴史に焦点を絞った書籍、写真を集めた資料室があり、これは非常に興味あるものだった。
そして、『売春婦としての我が生涯』(My Life as a Whore, by Tracy Beach) 同じ著者の『西部のワイルド・ウーマン』(Wild Women of the West)、『我々の足下のトンネル』 (Tunnels under our feet)は、よくぞここまで調べもんだと脱帽するばかりだ。

トレーシー・ビーチの『My Life as a Whore』の表紙
なんとも衝撃的な写真だが、この写真は彼女自身の12歳の娘に娼婦の衣装、
下着を着せ撮ったものだ。この表紙は初版だけ使われ、児童ポルノ規制の
反響に押されてか、再販以降は成人した女性の顔写真に変えられた
地方やその土地の歴史家、好き者にありがちなことだが、いかにも自分が直接ローラ・エヴァンスに出会い、直接話を交わしたかのような語り口、ゴシップ記者が断定的に、例えば英国のローヤルファミリーのスキャンダルを語るように、筆が走りすぎる傾向がある。トレイシー・ビーチの講演のビデオクリップは、彼女自身がローラ・エヴァンスであるかのようなしつっこい話し方なのに、観なければ良かったと後悔したほどだ…。
他、参考にしたのはPBS(アメリカの公共放送局)の『Nobody's Girls, 5 women』というドキュメンタリーだ。他にも『Upstair's Girls by Micheal Rutter』も参考にした。
-…つづく
第27回:酒場サルーンと女性たち その27 ■シカゴ・ジョーというビジネス・ウーマン
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