■くらり、スペイン~移住を選んだ12人のアミーガたち、の巻

湯川カナ
(ゆかわ・かな)


1973年、長崎生まれ。受験戦争→学生起業→Yahoo! JAPAN第一号サーファーと、お調子者系ベビーブーマー人生まっしぐら。のはずが、ITバブル長者のチャンスもフイにして、「太陽が呼んでいた」とウソぶきながらスペインへ移住。昼からワイン飲んでシエスタする、スロウな生活実践中。ほぼ日刊イトイ新聞の連載もよろしく!
著書『カナ式ラテン生活』。


第1回: はじめまして。
第2回: 愛の人。(前編)
第3回: 愛の人。(後編)
第4回:自らを助くるもの(前編)
第5回:自らを助くるもの(後編)
第6回:ヒマワリの姉御(前編)
第7回:ヒマワリの姉御(後編)
第8回:素晴らしき哉、芳醇な日々(前編)
第9回:素晴らしき哉、芳醇な日々(後編)
第10回:半分のオレンジ(前編)
第11回:半分のオレンジ(後編)
第12回:20歳。(前編)
第13回:20歳。(後編)
第14回:別嬪さんのフラメンコ人生(前編)
第15回:別嬪さんのフラメンコ人生(後編)
第16回:私はインターナショナル。(前編)
第17回:私はインターナショナル。(後編)
第18回:ナニワのカァチャンの幸せ探し(前編)
第19回:ナニワのカァチャンの幸せ探し(後編)
第20回:泣笑的駱駝(前編)
第21回:泣笑的駱駝(後編)

■更新予定日:毎週木曜日




第22回: 30歳、さすらいの途中。(前編)

更新日2002/09/19 

アミーガ・データ
HN:ROMI(ロミ)
1972年、東京生まれ。
2001年よりスペイン生活、現在2年目。
マドリード在住。

ROMIと私は、似ているところが多い。年齢はひとつ違い。ベビーブームの真っ最中に、ともに日本での「受験戦争」を経験してきた。青春時代、世界を旅する友人に憧れ、うらやみ、焦った。国境や地平線への憧憬。そして、奥田民生の曲が好き。


その奥田民生に、『さすらい』という曲がある。『29』『30』と年齢を冠したアルバムを出してきた彼の、32歳の作品。「さすらおう この世界中を」からはじまるこの歌を、現在29歳の私と30歳のROMIは、日本から遠く離れたスペインで聴いて、こころ震わせている。雲のかたちを真に受けてここまで来た私たちには、この先どんな道が続いているのだろう。


ROMIは東京で生まれ、物心ついた頃に千葉へ引っ越した。「ひとと同じことをするのはイヤ」、それが周囲から「変わってる」と言われてきたROMIの行動基準。中学生のときにも、テニス部の部長として授業前の朝練や放課後の部活をしながら、夜は渋谷などに遊びに出かけていた。テニスや勉強だけをしていれば良いとは、どうしても思えなかったのだ。なにかきっと、他のことがあるはず。


小学生時代は太宰治を、中学生時代には大江健三郎を愛読。「いちばん悩んでいた時期だった」 抑圧、プレッシャー。そんなものから逃れる途を探していた。そんなとき、夜遊び中の渋谷で、路上でパントマイムを演じる集団と出会う。おもしろそうと声を掛けたのがきっかけで、メンバーに加わることとなった。


パントマイム自体には熱中できなかったが、そこで、世間からすると「変わり者」の団員たちと知り合う。中学3年生だったROMIは、他のふたりの女の子とともに最年少。うちひとりは、そのときすでに中国を放浪していた。彼女の滞在先から、絵はがきが届く。「地平線に沈む夕陽を、はじめて見ました。明日は国境を越える予定です」 短い文面だけど、ROMIのこころを揺さぶった。彼女が未知の世界を歩いているとき、自分は机に向かって、好きでもない受験のための勉強をしている。うらやましいというよりも、焦った。


もうひとりの女の子は、中学卒業後すぐに結婚した。みんな、しっかり地に足をつけて自分の人生を生きている。それに比べて私は、まだ打ち込めることすら見つけていない。 ひとと同じことをするのはイヤ、でもなにをしたらいいのだろう? 焦りに駆られる当時のROMIに、あるシスターがこう言った。「『みんなと同じは嫌』と言うけど、そう思っているうちは、あなたも"みんな"と同じなのよ」 ハッとした。"みんな"にとらわれているのは、自分自身だったのかもしれない。この一言で、なにかがふっ切れた。

相変わらず、やりたいことは見つからない。それへの焦燥感はある。だけど、自分のやりたいことが"みんな"と比べてどうか、そんなことはもう気にしないでいよう。


高校時代、パントマイムのメンバーだったドイツからの留学生と交際をはじめる。ROMIが大学に進むと、夏休みなどを利用して、何度か彼の故郷ドイツを訪れるようになった。共通の趣味はロッククライミング。共通の夢は、世界のまだ見ぬ地のどこかにきっとある、ユートピアを見出すこと。

短大卒業後、彼女は大学の編入試験に合格する。だが、2歳年上の彼が大学を卒業したのでドイツへ帰るという。悩んだが、浪人して大学に入ったと思えば良いかと、1年間の予定でドイツへ行くことにした。いま思えば、それがさすらいの旅のはじまりだった。


ドイツに渡ったROMIを待っていたのは、キャンピング・カー。それが、フリー・クライマーの彼とROMIとの生活の舞台だった。

ところで当然のことだけど、生活には資金が必要となる。それに、留学など特別のビザを持たない彼女は、3ヶ月ごとに滞在先から出国しなければならない。ドイツで最初の3ヶ月を過ごした後、ふたりはイギリスへ向かった。

ロンドンで、彼が収入の良い高層ビルの窓拭きをしている間、ビザの問題で労働できないROMIは、街に出てみた。なんだか都会で、……ちょっとひとの少ないだけの東京みたい。あまり好きではなかった。最低限の資金が貯まると、ふたりは一路イタリアへ。

なぜイタリア? 「なんとなく。ラテンだし、って。私たち、すべての基本が行き当たりばったりだったのよね(笑)」 ところが1ヶ月ほど経ったころ、車に泥棒が入る。警察へ届けると「車を盗られなかっただけでもラッキーですよ」と言われた。いくらなんでも、そんな国には長くいられない。もう少ししっかりした国に行こう。ふたりは、隣国フランスへ。

友人の住むパリを経て、やっぱり都会は合わないと南フランスへ移動。海沿いの町でしばらく過ごした後、これまたなんとなくスペインへとやってきた。「なにか決断するときは、大江健三郎の著作『見るまえに跳べ』っていうタイトルを思い出すんだ。本もずっと持ってたよ。あまりにタイトルへの思い入れが強くなって、裏切られたら怖いから中身は読んでないんだけど(笑)」


グラナダにキャンピング・カーを停め、ふたりでこの数ヶ月を振り返った。痛感したのは、資金面でもビザの面でも、非EU加盟国民のROMIは大きな制限を受けること。そこで、彼が言い出した。「結婚しちゃおうか、なんだか色々と面倒だし」

 

■奥田民生作品の試聴 (ソニー・ミュージック公式サイト内)

 

第23回:30歳、さすらいの途中。(後編)