■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち


杉山 淳一
(すぎやま・じゅんいち)


1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。




第1回~第50回まで
第51回~第100回まで
第101回~第150回まで
第151回~第200回まで
第201回~第250回まで

第251回:地下の輻輳
-地下鉄副都心線3-

第252回:A席の客
-ムーンライト信州81号-

第253回:南小谷・旅の時間
-大糸線1-

第254回:キハ52で姫川下り
-大糸線2-

第255回:特急"もどき"たち
-快速くびきの3号-

第256回:復興と陰謀
-柏崎駅-

第257回:ブルボンとふたつの大地震
-越後線 1-

第258回:新潟でガタを見る
-越後線 2-

第259回:開放寝台の友
-寝台特急富士 1-

第260回:熟睡の前後
-寝台特急富士 2-

第261回:別れの時
-寝台特急富士 3-

第262回:ふたつの遊園地
-寝台特急富士 4-

第263回:油屋熊八と美女の街
-ラクテンチケーブル線 1-

第264回:霧雨の遊園地
-ラクテンチケーブル線 2-

第265回:空港ドリフト
-大分ホーバーフェリー-

第266回:炭坑路線の生き残り
-平成筑豊鉄道田川線-

第267回:足掛け24年の踏破
-日田彦山線 香春~城野-

第268回:取り残された電車
-北九州モノレール-

第269回:平和の橋のたもとで
-鹿児島本線 門司~門司港

第270回:ポンポン船に乗って
-若戸渡船-

第271回:奥洞海とかしわ飯
-筑豊本線 若松~折尾-

第272回:遠賀川の恩恵
-筑豊電気鉄道-

第273回:本線の余生
-筑豊本線 直方~原田

第274回:私を車庫に連れてって
-博多南線-


  ■連載完了コラム
感性工学的テキスト商品学
~書き言葉のマーケティング
 
[全24回] 
デジタル時事放談
~コンピュータ社会の理想と現実
 
[全15回]

■鉄道ニュース(レポーター)

マイナビニュース
ライフ>> 「鉄道」
発行:マイナビ

■著書

『知れば知るほど面白い鉄道雑学157』
杉山 淳一 著(リイド文庫)


■更新予定日:毎週木曜日

 
第275回:スイッチバックの職人技 -豊肥本線 熊本~立野-

更新日2009/01/29


特急『有明21号』の車中で打ち上げ花火を見た。そういえば筑豊本線で、今日が花火大会であると聞いた。大輪の光華がいくつも開き、そして消えた。一日の終り、列車内で疲れを癒す乗客たちが、花火の光にちょっとだけ元気をもらったようだ。目を閉じていた人が起き出して、窓ガラスに顔を近づける。携帯電話のカメラで花火を撮る人もいる。

熊本着21時18分。豊肥本線に乗り換えて、三つ目の新水前寺駅で降りた。単線でホーム1本の小さな駅だ。ここで降りた理由は、今夜の宿もネットカフェにするからだ。調べたところ、熊本で駅から徒歩圏のネットカフェは新水前寺駅付近しかなかった。私はプリントした地図を頼りに市電通りを歩いた。その店は市電の電停ひとつぶんの距離があった。

ホテルのベッドのほうがぐっすり眠れる。しかし私はネットカフェが好きだ。2,000円以内で済むという安さ。PCがあり、インターネットも使える。漫画は読み放題、まるで玩具箱の中のようだ。ソフトドリンクも飲み放題である。幸いにもごろ寝のできる1畳ほどのブースが空いていた。私はトンカツ定食を注文し、コンビニで買ったウェットティシューで身体を拭いた。

ネットでメールと掲示板をチェックしているうちに眠くなり、漫画を読むまでもなく夜明けまで眠った。屋根と空調があればこれでいい。私の旅にホテルなんて似合わない。もっとも、汽車旅愛好家の中には、寝袋を携帯して無人駅で寝る強者もいるという。それに比べれば、屋根と空調のあるネットカフェでさえ贅沢かもしれない。

翌朝5時に店を出て、薄暗い道を歩く。築堤の上の新水前寺駅は蛍光灯に照らされて闇に浮かび上がっていた。ホームで年配の駅員が鉢植えに水をやっている。世間話をしていると、遠くから明るい光が近づいてきた。一番列車の豊後竹田行きは1両のディーゼルカーだ。駅員氏に別れを告げて車中の人となる。私のほかの乗客は中年の男女と高校生たちだ。ディーゼルカーはガリガリと音を立てながら動き出した。

豊肥本線は九州の中央部を横断し、熊本と大分を結ぶ路線である。阿蘇山付近を経由し、線路の一部は広大なカルデラ火口の内側にある。その豊肥本線のうち、熊本から立野までの32.3kmが私の未乗区間だ。初めて豊肥本線に乗ったときは、大分駅側から立野まで乗車し、そこから高森線に乗り換え、バスで高千穂に抜けて、高千穂線に乗って延岡に至った。ゆえに、立野と熊本の間が残ってしまった。だから熊本から立野まで乗ればいいけれど、そのひとつ先の赤水で折り返す。立野と赤水の間にはスイッチバックがあって、これは何度体験しても楽しい。

列車は市街地を走っている。線路は真っ直ぐで、新水前寺駅からふたつめの東海大学院前駅までは建物群を貫いた。東海学院前から高校生たちが乗ってきて、車内は賑やかになる。時刻は05時36分である。部活の早朝練習だろうか。白川を渡って竜田口駅に着く。この駅から先は上り勾配で、だんだんと阿蘇山に近づく気配だ。

緩やかな上り勾配が続き、九州自動車道をまたぐと武蔵塚駅である。関東には武蔵○○という駅が多く、このあたりも武蔵野に似た丘陵の住宅街である。しかし、それにあやかったのかな、なんて思ったら大間違いだ。ここ武蔵塚駅こそは宮本武蔵ゆかりの地、武蔵の墓の最寄り駅である。もっともその武蔵塚は高速道路の手前の線路脇にあり、もう通り過ぎた。ここで女学生が数人降りた。

次の光の森駅も関東のニュータウンのような名前である。これはその通りで、熊本県住宅供給公社が開発した大型団地"光の森"に由来する。光の森駅は住宅開発に合わせて2006年に開業した新駅で、この駅前にはショッピングセンターがある。かつて熊本始発だった博多・小倉行きの特急『有明』も、今は光の森駅始発が多く、わざわざニュータウンまでお迎えに来てくれる格好だ。そこまでするなら、豊肥本線もここから熊本まで複線化し、もっと増発しても良さそうだが、今のところ朝の上り列車は10分から20分間隔でやりくりできている。たいしたものだ。

三里木は工場の誘致で栄えたらしい。原水付近は水田が広がる。肥後大津は古くから宿場町として栄えたところだという。熊本駅からここまでは電化されており、肥後大津が熊本通勤圏の境界ともいえる。高校生たちがここでほとんど降りてしまい、車内は静かになった。

ディーゼルカーはいよいよカルデラに向かうのだ。瀬田という小さな駅を過ぎ、さらに線路の標高が上がって立野に到着。列車の進行方向に線路はない。ここで逆向きに走り、勾配を上っていく段取りだ。豊肥本線を踏破した達成感よりも、20年ぶりに体験するスイッチバックの期待感のほうが勝る。そのはやる気持ちを諌めるように、わがディーゼルカーはここでしばらく停車する。


スイッチバックの立野駅。

ホームで朝の空気を吸っていると、白いディーゼルカーが山から下りてきた。ふたつの列車がしばしの休息である。やがて白い熊本行きには高校生たちが乗り込み先に山を下りていった。続いてこちらの登坂が始まる。スイッチバックとは、険しい山を登るための工夫だ。真っ直ぐに上り坂の線路を敷くと急勾配になってしまうため、つづら折状に線路を敷く。列車は坂を登って行き止まりまで走り、逆向きになって次の坂の線路を上る。これをもう一度行って阿蘇の外輪山を登っていく。


折返し地点に到着。

私は運転士席の横で前方の線路を眺める。ディーゼルカーはポイントを渡り、やってきた線路の隣の線路に進んで坂を上り始めた。やがて別の線路が右から寄り添い合流し、しばらく走って停車した。この先に線路はない。運転士さんが反対側の運転席に移動する。私も付いていく。今度は、さっき合流して線路を上っていく。箱根登山鉄道にもスイッチバックがあるけれど、立野のスイッチバックはなだらかな山肌の表面にあるため、スイッチバック区間の見晴らしがいい。立野の谷の向こうの山には風力発電の白い風車がいくつも立っていて、優雅に羽を回していた。


数メートルでこれだけの高低差が出る。


谷側の景色。

標高が上がったことを示すように、赤水駅は濃霧の中であった。私が乗ってきたディーゼルカーはさらに先へ進むけれど、私はここで熊本へ引き返す。列車のスイッチバックの次は、私のスイッチバックである。熊本行きの列車はさっきと同じ白いディーゼルカーで2両連結だった。私はふたたび運転席の横に立った。今度は下り坂である。折返し地点に着いたが、今度は運転士さんは席を移動せず、そのままの運転席で後退運転を始めた。トラックの運転士のように窓から身を乗り出して進行方向を見ている。これにはかなり驚いた。進路確認は大丈夫だろうかと心配した。しかしディーゼルカーが誕生する前の列車は蒸気機関車が牽引していた。この運転は、そんな時代からの伝統芸かもしれない。


霧の赤水駅。


スイッチバックならではの達人芸。

-…つづく

第259回からの行程図
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