第457回:贅沢な時間 - 山陰本線 波根~仁万 -
ドラマ『砂時計』で、波根駅は江田駅として描かれていた。これも私の気を引く理由のひとつだった。江田駅は同名の駅が神奈川県にあり、私の実家の近くであり、父が最期を迎えた病院の最寄り駅だった。同じ名の駅が島根にあったっけ……と思い、ああ、ドラマだから名前を変えているんだと気づいた。ドラマファンのサイトで波根駅を知った。
"江田"駅の佇まい
島根の江田駅は、主人公の少女が、都会ぐらしに疲れた母と降り立つ駅。この町に母の実家があり、少女はこの駅で片思いの相手を見送り、あるいは見送られ、迎え、迎えられてを繰り返す。独りで列車を待つ時間、旅立ちの時、もしかしたら彼が来てくれるかも、という期待。そんな切なさが、ホームのベンチ、待合室、無人の駅舎で描かれた。彼女の想い出での場所、人生の転機を示す駅であった。
もっとも、いざその駅に訪れてみると、ドラマの場面が思い出せない。そんなに熱心に見ていたわけではなかったか。ドラマや原作の熱心なファンなら、あの場面、この場面と思い出して喜べるのだろう。いま、観たままの感想を言うなら、良い佇まいである。静かで、ホーム上の待合室も清潔で、通り過ぎる風が心地良い。
この典型的な田舎駅の情景は映像作家に人気らしく、他にも映画のロケ地に選ばれているようだ。駅舎内には映画『アイ・ラブ・ピース』ロケ地と示した看板が立っていた。携帯端末で調べるとその映画は「耳の聞こえない少女が、戦禍の傷跡残るアフガニスタンの診療所行きを志願する」という話らしい。穏やかなこの街と、スリリングなアフガニスタンの対比を、平和と戦争の視点で描くのだろうか。いつか観てみよう。
海岸へ散歩。海水浴によさそうだけど、プライベートビーチのように人が少ない
ところで、次の出雲市行きの列車は1時間以上もあとだ。静かな駅に佇めば、時間の進み方が違う。生活のリズムも違うだろう。無人の駅舎には黄色い帽子の保線職員がいて、線路を点検している。彼らには成すべき仕事がある。私にはない。待合室から周囲を見渡すと、山の上に灯台らしき建物がある。海が近いらしい。駅前の案内地図を見ると、家並みの向こうはもう海だ。
たっぷり時間があるから眺めに行く。白い砂浜が続いている。水は透きとおり、南国のような青色である。お昼前、汗ばむ気温。しかし海水浴をする子どもはいない。今日は8月27日、まだ夏休みのはず。みんな宿題に追われているのか。それとも少子化で子どもがいないのか。ドラマで無邪気に遊んでいた主人公たちを、一瞬、思い出せた。右手奥の灯台は、2時間ドラマの最後で犯人が告白する場面に出てきそうな崖の上にあった。
再び各駅停車の旅。まずは特急に道を譲る
11時50分発の大田市行き普通列車に乗り、大田市には11時58分に着く。たった8分の乗車に1時間も待った。これがローカル線のリズムである。ここから先へ乗り継ぐ列車は12時51分で、小一時間ある。それもローカル線のリズム。それを楽しむ旅である。効率よく回ろうと思ったらとっくにレンタカーを使っている。
大田市は、世界遺産の石見銀山の最寄り駅である。もちろん1時間では巡れない。次に来た時のためにバスの時刻表を撮影した。メモの代わりのつもりであった。すると、観光案内所からお姉さんが出てきて、時刻表を印刷した紙をくれた。恐縮しつついただく。
大田市駅の跨線橋に残る日本最古の鋳鉄製門柱
腰までは角張り、上部は丸い。洒落たデザインである
さて、素直に食事の時間にするか……。しかしどうも食指の動く店がみつからない。駅前を歩くとスーパーマーケットがある。弁当でも買うかと入ってみたら、都合の良いことに石見銀山を紹介する写真の展示コーナーがある。しばらく眺める。ますます行ってみたくなる。その先のベーカリーショップで焼きたてのパンをいくつか選ぶ。石見銀山のキャラクターをかたどったアンパンをみつけた。
駅の待合室でパンをかじる。テレビのニュース。今日の気温は34度。東京は今年5回目の猛暑日だったらしい。体重を落としたおかげで、今年の夏は暑さを感じない。痩せるといいことがあるな。もっとも、冬は今までになく寒かった。まあ、寒さは重ね着で耐えられる。暑さは裸でもきつい。
石見銀山のキャラクター「らとちゃん」のパン
螺灯といって、サザエの殻に油を入れた灯具を擬人化
12時51分発の普通列車に乗り、13時06分の仁万で降りた。15分の乗車。この時間のムダ使いが各駅停車の旅らしい。いや、ムダ使いではない。贅沢である。乗り継ぐたびに小一時間も使う。その時間で、普段の暮らしならいろいろできる。ほんとにもったいない。いや、贅沢である。
各駅停車の旅が続く
仁万駅を出て、少し早足で歩く。のんびりだ、贅沢な時間だとは言っても、やり過ぎると乗り継ぎの列車を逃す。ここで列車を1本逃せば、1時間も日程が変わる。目的地があるなら、それは急いだほうがいい。目的地のガラス張りの建物がホームから見えた。東側の線路の向こう。しかし駅は西を向いている。
仁万駅に到着。気動車の左奥に目的地が見えた
直行できる道はない。私は地図に従い、いったん商店街を西へ歩き、潮川に出会うと橋を渡らずに南に曲がった。穏やかな街の佇まい。この風景もドラマに出てきたような気がする。丁字路に突き当たり、左折。踏切を渡る。さらに歩くと国道との交差点がある。直進すれば石見銀山街道だという。しかしここで右折。国道の歩道を進む。
ゆるいカーブの向こうに、再び目的地の建物が見えてきた。私が見たかった物はそこにある。冗談のようで、しかしロマンチックで、冷笑する人も多かったと思われる。しかし、ドラマやマンガの『砂時計』で認知度が高まり、報われた。そんな数奇な展示物。
仁万サンドミュージアム。
1年を刻む巨大な砂時計がある。
ガラス張りの博物館へ向かって歩く
-…つづく
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