■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち


杉山淳一
(すぎやま・じゅんいち)


1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。「鉄旅オブザイヤー」最終選考委員。




第1回~第50回まで

第51回~第100回まで

第101回:さらば恋路
-のと鉄道能登線-



■連載完了コラム
感性工学的テキスト商品学
~書き言葉のマーケティング
 
[全24回] 
デジタル時事放談
~コンピュータ社会の理想と現実
 
[全15回]

■更新予定日:毎週木曜日

 
第102回:夜明け、雪の彫刻 -高山本線-

更新日2005/06/30


昨夜は23時半頃に富山に着いた。私は斜めに降る雪から逃れるように徘徊し、ひっそり間口を上げている横町に入った。その横町は人がすれ違うほどの幅しかなく、成人専門の映画館を中心に小さなスナックや一杯飲み屋が並んでいた。まるで昭和の街並みを再現したスタジオセット、いや昭和そのものだった。こういう場所には必ずラーメン屋があり、飲み屋の従業員や酔客で賑わっている。私は横町の端の小さな中華料理屋で湯麺と餃子を食べた。座敷の席にスナックのママと従業員の若い娘、そして常連客と思わしき中年男性がいる。中年男が娘に何か言うたびにママがたしなめる。私はテレビを見るふりをして、背中で恋愛情話を聞いていた。

日付が変わり、店を出ると雪はやや弱くなっていた。私はプリントアウトした地図を頼りに駅前のネットカフェを探し当て、そこで夜明けを待った。料金は23時から翌朝5時まで1,200円のナイトパック。コーヒー、ソーダなどのソフトドリンク無料サービス。マンガ読み放題。もちろんインターネットを使い放題。幸いにもマッサージチェア付きの個室ブースが空いていた。そこは私にとって、おもちゃ箱に椅子を置いたような空間だ。仮眠を取るか、朝まで遊ぶか迷いつつ、1時間ほどインターネットを徘徊し、マンガ数冊を読み、マッサージチェアを水平にして2時間半ほど眠った。睡眠時間が足りないけれど、仕事で忙しいときもこんなものだ。


早朝の富山駅。臨時急行『能登』が到着した。

午前5時。ちょっと時間を潰して戻ってきた、という感じで富山駅の改札を通った。6時8分発の高山本線猪谷行きに乗るためだ。1番ホームに立ち、ぼんやりと構内を眺めた。富山駅は眠らない駅である。富山に用事のある人々にとっては始発駅、終着駅だが、日本海縦貫線の中間駅でもある。だから深夜でも夜行列車が発着する。奥に特急列車が停まっている。名古屋行きの"しらさぎ2号"だ。その手前に大阪行きの寝台特急"日本海4号"が着き、すぐに出て行く。しばらくして古い特急型車両が停まった。上野からきた夜行急行"能登"だ。上越線が不通のため迂回運転をしており、いつもより遅い到着である。本来ならもう1本、金沢行きの寝台特急"北陸"が来るはずだった。しかし上越線の不通の影響で運休中であった。

これだけの列車が発着するということは、そのために黙々と働いている人々がいるということだ。何事もなく平穏に動く風景の向こうに、それを支えている人々がいる。そんなことに感動するのは、まだ昨日の感傷が続いてるせいだろうか。暗い夜空から激しく雪が降り始め、その雪が通り過ぎるころに空が明るくなってきた。旅立ちの朝の光景にしてはできすぎだ。気温は零度を下回っているはずである。寝ぼけて身体が火照っているせいか、寒さを感じない。


猪谷行きディーゼルカー。

4番線に銀色のディーゼルカーが停まっている。あれが高山本線の猪谷行きだ。私は跨線橋を上った。まだ足が重い。精神的には高ぶっていても、身体は疲れているようだ。列車に乗り込む前に自動販売機で茶を買って、座席に座ってすぐにカフェインの錠剤を飲んだ。列車内でうっかり眠ってしまわないようにと、携帯しているものだ。私の旅はついにドーピングを要する境地に達していた。

乗客3名。ワンマン運転のディーゼルカーはゆっくりと朝の北陸路に踏み出していく。神通川を渡り、分岐して高山本線に入るとスピードを上げた。暗い車窓が少しずつ青色に染まって、時折、雪が下から上に降る。線路に積もった雪が舞い上がっているのだ。その奇妙な吹雪の向こうに、青い街が浮かび上がった。雪は白いと思いこんでいたけれど、本来、雪は青いのではないか。いや、いつか見た夕景の雪は朱かった。雪が白、と決めつけてはいけない。


雪は枯れ枝も美しく包み込む。

雪が強く降り始め、車窓が真っ白になってしまった。障子に囲まれた和室のように、明るく閉ざされた空間。駅に停まっても駅名標が見えない。曇りを袖で拭き取ると、見事な雪の彫刻ができていた。大木のすべての枝が雪にくるまれ、車窓を包むように広がっている。私が写真家なら、ゆっくりと撮影したいと思うはずだ。

列車が動き出すと車窓は再び真っ白になった。座席の窓から景色が見えないので、私は運転台の後ろに立って前方を眺めた。線路に雪が積もって、白いレールができていた。雪国の始発列車でなければ見られない珍しい光景である。程度の積雪では除雪車は要らないようだ。列車が通り過ぎた後、レールは銀色に輝いているだろう。


白い線路。

高山本線は飛騨高山を経由して岐阜と富山を結ぶ全長225.8キロの非電化路線だ。飛騨高地と飛騨山脈に挟まれた谷間をゆく山岳路線のため線形は険しい。そのため、両都市を結ぶルートは高山本線が最短だけれど、所要時間は40kmも遠回りの米原・北陸本線ルートの方が若干早い。

北陸本線は全線電化区間で速いし、岐阜には新幹線の駅がない。だから関西、関東から富山へ向かう場合は米原経由のほうが圧倒的に有利だ。もっとも、現在の高山本線には岐阜と富山を結ぶ役目は負えない。2004年10月の豪雨で被災し、飛騨古川-猪谷間が不通になっているからだ。

高山本線の意義は"観光地の飛騨を経由する"の一点にあり、しかもそれは中京圏からの観光需要にあるらしい。高山本線は猪谷駅で管轄が変わり、南側がJR東海、北側がJR西日本である。つまり、いま私はJR西日本側の区間を乗っている。実はこの区間は、北陸新幹線開業後、JR西日本が運行から撤退するという噂がある。富山というかなり大きな都市から出ていても、岐阜側から見れば長大な非電化ローカル線の末端区間なのだ。うがった見方をすれば、高山本線を富山から切断すれば、中京圏からの利用客はすべてJR西日本管轄の北陸本線に乗ってくれるので利益が大きい。

列車の右側に山肌が迫ってきた。左側を見下ろせば神通川である。その川面は穏やかだが、この川が暴れて高山本線は不通になった。被災内容は橋梁破壊8ヵ所、路盤流出12ヵ所、土砂流入9ヵ所などであった。復旧は2007年秋の予定となっている。

白い屋根がいくつも見えて、6時55分猪谷着。まさにイノシシが出そうな山間の駅だ。雪化粧した山肌が美しい。神岡鉄道の発車まで約15分ある。私は駅を出て振り返り、木造の駅舎を眺めた。木造の小さな建物はひっそりと佇み、こぢんまりとした町並みに調和していた。駅舎に戻り、列車の時刻表を見ると、代行バスの時刻が貼りつけてあった。飛騨古川行きのバスは1日2本しかなかった。


猪谷駅。

第95回以降の行程図
(GIFファイル)

-…つづく