■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち


杉山淳一
(すぎやま・じゅんいち)


1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。




第1回~第50回まで

第51回~第100回まで

第101回:さらば恋路
-のと鉄道能登線-

第102回:夜明け、雪の彫刻
-高山本線-



■連載完了コラム
感性工学的テキスト商品学
~書き言葉のマーケティング
 
[全24回] 
デジタル時事放談
~コンピュータ社会の理想と現実
 
[全15回]

■更新予定日:毎週木曜日

 
第103回:冷めた囲炉裏 -神岡鉄道-

更新日2005/07/07


猪谷駅はホームがひとつしかない。しかし乗り場は3つある。ホームの両側にひとつずつ。そしてホームの先を切り取った部分に短い乗り場が作られ、そこが神岡鉄道用として使われていた。たった1両のディーゼルカーが停まっている。寝不足なのに、新たな路線への期待で眠気が吹き飛んでいる。神通川沿いの高山本線を離れ、神岡鉱山に向かう路線は、どんな風景を見せてくれるだろう。


ホームを切り欠いたところに3番線がある。

前面に『おくひだ1号』と書かれたディーゼルカーに乗り込むと、車内に囲炉裏があった。これはいいな、と囲炉裏端のシートに座り、手をかざしてみたけれど暖かくない。一緒に乗り込んだ登山姿の御仁が、飾りだな、と言って笑っている。もっとも、車内は暖房が良く効いていて、囲炉裏の日が偽物でも寒くはなかった。平日は地元の人や通学生たちが賑やかに過ごすところなのだろう。


車内には囲炉裏があった。

暖かな室内とは対照的に、車窓に映る景色は寒そうだ。地面も山肌も雪に覆われた白い世界。風が強いせいか、樹木にまとわりついた雪が飛ばされて、濃い緑が見える。濃緑と白のモノトーンの世界である。真っ白な紙に黒いインクで絵を描くと、黒い部分が緑かがって見えることがある。本当に緑色なのか、記憶の底にこういう景色があって、それを連想しているのか、いまだにわからない。

神岡といえば、近年ではスーパーカミオカンデがある場所として知られている。スーパーカミオカンデは宇宙から降り注ぐニュートリノという粒子を研究する施設で、5万トンの超純水を蓄えたタンクに1万本以上のセンサーを取り付けているそうだ。ニュートリノの研究は日本が世界に先かげている分野のひとつで、小柴昌俊教授がノーベル賞を受賞したことでも知られている。

宇宙の神秘に触れられる場所であり、SF好きでなくても見物したいと思うけれど、残念ながら一般には非公開となっている。毎年夏に見学できる期間が設けられ、神岡鉄道の特別列車を仕立てたツアーも開催されているらしい。せめて毎週末に公開してくれたら神岡鉄道の観光の目玉になったと思う。しかし、スーパーカミオカンデは汚されざるべき学問の聖域なのだ。禅寺のようだが、そういう場所が学問には必要だ。最近は、なんでもお祭り騒ぎにした挙げ句、あっという間に忘れ去られ、寂れてしまう。雑音のない場所で研究者が没頭できるところが、日本にどのくらいあるのだろう。

しかし、神岡鉄道にとっては誘客が切実な問題になっている。路線収益の柱となっていた鉱山からの貨物輸送が廃止されたからだ。それも神岡鉄道の親会社の鉱山会社が、輸送手段をトラックに切り変えたためである。神岡鉄道はスポンサーに見捨てられてしまった。もっとも、鉄道輸送の廃止は神岡鉄道に原因があるわけではない。

 まず、鉱物資源の輸入が増え、鉱山からの出荷が減った。そして鉄道貨物側の手軽でスピーディなコンテナ輸送に力を入れたい、という事情がある。雑多な専用貨車をいくつも繋いだ長大な貨物列車は、鉄道輸送にとって本当に"お荷物"になってしまった。神岡鉄道がいくら頑張っても、そこから先の鉄道会社が手を引いてはどうにもならない。親会社の鉱山にとっては、鉄道を裏切ったと言うよりも、手詰まりになったと言うべき状況だと思う。

神岡鉄道は神岡鉱山からの貨物輸送を目的として建設された。開業は国鉄時代の1966年。当時すでに赤字国鉄線の廃止論議は始まっていたけれど、神岡鉄道は鉱山からの物資輸送という目的があったから開業できた。

結局、神岡鉱山を有し、神岡鉄道の筆頭株主となっている三井金属は、神岡鉄道を2006年春に廃止したいと自治体に伝えた。存続の道は自治体が残り半分の鉄道株を引き受けて運営を続けるかどうかにかかっている。観光鉄道として経営したいと表明する会社はある。スーパーカミオカンデは海外からの観光客を呼び込む力にもなりそうだ。しかし、当の施設が孤高を保たれてはお話にならない。


鉱山鉄道だからトンネルが多い?

雪深い山奥の路線。車窓の風景に期待していたけれど、意外なことにトンネルの連続であった。鉱山からの貨物輸送という命題があったから、上り下りの山道を使わずに、積極的にトンネルを掘って傾斜をゆるめたらしい。トンネルを掘りながら、ついでに鉱山資源を探したのではないかと意地悪な見方もできる。神岡鉄道は路線の64パーセントがトンネルで、奥飛騨の地下鉄という異名もある。

ただし駅はきちんと地上にあって、なぜか七福神の人形が飾られている。起点の猪谷を除くと神岡鉄道には7つの駅があり、それに合わせたものらしい。のと鉄道のいろはトンネルを思い出す。北陸は数字あわせを好む土地柄のようだ。

トンネルを抜けるたびに冬の景色があり、街があり、駅があった。終点の奥飛騨温泉口駅の構内に、用済みとなったタンク型の貨車が並んでいる。腹をくり抜かれて窓ができており、こどもたちの遊具になっている。しかし、ここで遊ぶこどもたちの姿はない。駅構内で遊んでは危険だから、もしかしたらここからどこかに運び出されて、校庭や公園に設置されるのかもしれない。


遊具に変身したタンク貨車があった。

奥飛騨温泉口の駅舎は観光の拠点になるべく新築されたものだ。この建物は神岡鉄道の本社社屋を併設している。しかし、朝早いせいかひっそりとしていた。待合室らしい場所に民家の囲炉裏が再現されているが、あまりにも整然としすぎて展示物にしか見えない。展示物といえば駅前にディーゼル機関車が置かれていた。イベント列車を走らせたらしく、車体に星のマークが入っている。

どこからかバスが到着して、数人の年配の客がやってきた。奥飛騨温泉口、という名の駅だが、ここから温泉街は遠いようだ。観光案内板を見ると、バスで45分もかかるらしい。もっとも近い施設は、2km離れた“星の駅 スカイドーム神岡”とあるが、これだけでは何のことかわからない。後で調べると、これがスーパーカミオカンデに関連する観光施設であった。スーパーカミオカンデの模型や研究者と同じデータをリアルタイムで閲覧できるという。

スーパーカミオカンデは世界に名だたるブランドである。七福神よりも囲炉裏よりも“カミオカ”を示すものだろう。もうすこし宣伝してくれたらよかったのに、と愚痴るのは旅人のわがままか。


寒そうな囲炉裏端。

 

第95回以降の行程図
(GIFファイル)

-…つづく