■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち


杉山淳一
(すぎやま・じゅんいち)


1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。




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第201回:ややこしいきっぷ
-長崎編・序1-


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感性工学的テキスト商品学
~書き言葉のマーケティング
 
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デジタル時事放談
~コンピュータ社会の理想と現実
 
[全15回]

■著書

『知れば知るほど面白い鉄道雑学157』
杉山 淳一 著(リイド文庫)


■更新予定日:毎週木曜日

 
第202回:三重県の百代目 -のぞみ19号・近鉄名古屋線-

更新日2007/08/02


東海道新幹線のぞみ19号で名古屋に向かっている。3人がけシートの真ん中が私で、左の窓際が私の師匠、平田孝氏、右の通路側に平田氏の奥様昌子氏が座っている。仲良し夫婦に割り込んでしまったが、これは私の本意ではない。米国在住の夫妻には窓際とその隣を勧めて、私は通路側と決めていた。私は徹夜明けだったから、夫妻が懐かしい日本の風景を楽しんでいる間に居眠りしようと思った。しかし、つい余計な知識をひけらかしてしまった。

「中央席は窮屈に見えて、実は両側より座席の幅が3センチも広いんですよ」。すると奥様が、それならあなたが座ればいいわ(お腹が)大きいし、と言い、平田氏も(君と)話をしたいから隣に座れよ、と言う。眠るどころかしゃべりっぱなしの車中になった。

平田孝氏はスポーツマンであり、教育者である。元々は父の友人で、双方が結婚してからは家族ぐるみの付き合いである。私は8歳の頃から高校を出るまで、平田氏が主催する少年レスリングクラブのサマーキャンプに参加した。平田氏の話は奇抜で機知に富み、面白かった。それでいて人の生き方、心のありようを教えてくれた。

悪事を戒めるときも、ただ駄目だと叱らなかった。「なにかやろうと思ったら一生懸命やりなさい。その道の日本一、世界一を目指しなさい。泥棒をやるなら日本一の大泥棒、世界一の泥棒になりなさい。それができないなら一切悪いことはやっちゃいけない」という。半端な悪事を働くな。やるなら覚悟しろ、ということだったのだろう。

あるときは九十九里の海岸で、皆の前には何があるかと問い、海だと答えると、その海の向こうには何があるかと問う。誰も答えられないと、「海の向こうにはアメリカがある。日本は世界と海で繋がっている」と言った。小学生の子供たちにとって、それが世界を生身に感じる初めての体験だった。こうした禅問答のやり取りが面白かった。

親や教師以外の大人と触れ合うことが少ない子供にとって、彼はおもしろいおっちゃんだった。彼の話は面白いだけではなく、笑った後の余韻の中で、心に残るものも多かった。親や教師では語れない話を、私は平田氏から教わった。そして、彼の言葉の背景にあるものがスポーツマンシップであること、彼のスポーツマンシップがアマチュアレスリングの選手経験に培われたことを知ったのはずっと後のことだ。彼が1961年のローマ五輪選手だったことも後に知った。

大学に入ってから10年ほどは縁遠くなったが、私が会社を辞めてフリーライターになってから、彼が住むオレゴンに遊びに行った。その頃から平田氏の考え方や生き方に興味を持った。彼は70歳を超えてもまだ元気で、日本でサマーキャンプなどの教育活動を再開したいと考えている。私は取材させていただきつつ、彼の活動を手伝おうと思っている。

平田氏はその話をしたいのだ。名古屋まではそんな話を懇々と続けて、海や富士山を見る余裕すらなかった。ときどき振り返ると奥様は心地よさそうに眠っている。私は良い防音壁になっていたようだ。つまり、どちらのお役にも立てたということらしい。

名古屋から近鉄名古屋線に乗り換える。近鉄名古屋線で大阪へ向かったことがあったから、近鉄の駅への道筋は足が覚えていた。迷わずに道案内ができてほっとする。一人旅なら迷子も楽しめるけれど、今日は師匠のお供である。お二人とも元気だが、迷えば疲れる。こちらで宿泊されるから荷物も多い。そして日本の駅にはカートがない。

近鉄四日市駅では、平田氏の盟友の岩名氏と奥様が待っていらした。岩名氏は平田氏と共に日本のアマチュアレスリング界で成績を残し、現在も多くのスポーツ団体の理事を務めている。今回、私が平田氏にお願いして四日市に向かった理由は、彼を紹介してもらうためだ。

私はいま、コンピュータゲームをスポーツとして取り組むことをテーマに取材活動を続けている。世界ではEスポーツとして認知され、アジアオリンピック委員会のイベント、アジア室内競技大会では正式な競技種目となった。しかし日本ではまだまだ認知されていない。これをどう広めていくか、スポーツ団体とは何か、そうした問題について助言してくれる人を求めていた。平田氏に相談したところ、岩名氏を紹介していただいた。メールのやり取りをさせていただいたけれど、やはりこちらから出向き、直接お願いすべきである。


会見場所となったアーバンライナー。

岩名氏は平田氏や奥様の挨拶を早々に切り上げ、私に向かって
「杉山君だね。すまないが県庁へ行かなくてはいけない。ここから特急に乗るから、話は車中で聞こう。20分くらいは話せるぞ」と言った。岩名氏は地元の議員で、しかも先日の統一地方選挙で再選したばかりである。議員経験が長く、若手を束ねる立場であるらしい。私に異存があるはずもなく、平田氏夫妻と岩名夫人へのご挨拶もそこそこに、次に来た難波行きの特急に乗った。

岩名氏は津までのきっぷを持っている。私は四日市までのきっぷしか持っていない。車掌さんに事情を話し、大和八木乗換えで京都行きの乗車券と特急券を購入した。近鉄特急は全車指定席だが、車内では指定券を発行できない。空いている席に座り、指定券を持っている人が来たら移動する仕組みだ。

四日市から津まで、近鉄特急は約20分で走る。それが会談に許された時間だ。私は持参の資料を渡し、一方的に話した。すべては伝え切れなかったけれど、要点は理解してくれたかもしれない。いくつか質問され、答えると列車は津に到着した。別れ際に彼はスポーツ団体の役員の名を上げ、話を通しておくと約束してくれた。後日その約束はきちんと果たされた。私たちは握手で別れ、列車の扉が閉まった。


津を過ぎて景色を眺める。

しばらく放心したあとで、私は20分という時間を長いか短いかと考えた。平田氏や岩名氏が勝負してきたアマチュアレスリングの試合時間は6分である。日本一、世界一を決める勝負では、その6分間で1年、4年の努力の結果が出る。それを思えば20分はとても長い。6分にすべてをかけて勝負した選手に対して、20分も使って伝え切れなかったとしたら、それはもう私の負けと言うほかにない。ふつうは、「せっかくきてもらったのに申し訳ない。名刺だけ交換させていただいて、あとで電話かメールで話しましょう」となる状況だ。しかし彼はスポーツマンだから、20分の勝負に応じてくれたのである。スポーツマンシップ、相手に礼を尽くすとはこういうことか。

頂いた名刺を取り出してみる。"第百代三重県議会議長"と書いてあった。私が貰った20分は、地元の政治記者からも羨ましがられるような時間だったはずだ。私はそれを十分に活かしただろうか。


空が晴れていることに気づく。


モニターには前面展望が映った。

-…つづく

第202回~行程図
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