日程と行程が決まったら、次はきっぷの手配だ。今回は私の分だけではなく、名古屋までの私の師匠夫妻の分も同時に手配する。乗車券は別々。ただし東京-名古屋の新幹線特急券は3人並んで座りたい。そして私の行程分の特急券と寝台券を同時に手配する。これを口頭で伝えても、窓口の担当者は混乱するだろう。私は3人の行程を説明するため、プレゼンテーションソフトで簡単な説明図を書き、必要なきっぷを箇条書きにしてみどりの窓口へ向かった。
3人分の行程と必要なきっぷ(*クリックで拡大)。
まず私の分だ。乗車券として東京都区内発の周遊きっぷ長崎・佐賀ゾーンを選択した。周遊きっぷは目的地の"ゾーン券"と出発地からゾーン入り口までの"行き券"、ゾーン出口から出発地までの"帰り券"のセットになっている。"行き券"は、東京から京都まで新幹線経由、その先は山陽本線、鹿児島本線、長崎本線経由で鳥栖まで。帰り券は買わない。
長崎・佐賀ゾーンは片道だけ航空機の利用ができる。この場合、JRの正式な規則では、みどりの窓口で航空券を購入するか、旅行代理店で購入した航空券を提示する必要がある。ただし、航空券をインターネットで購入した場合は、領収書や予約確認ページをプリントアウトして見せればいいことになっている。
師匠夫妻は東京-名古屋間の乗車券と新幹線特急券が必要だ。特急券のみ私の分も合わせて発券してもらう。さらに私の分として、名古屋-京都間の新幹線のぞみ号の特急券。京都-諫早間の寝台特急『あかつき』の特急券と寝台券を手配する。師匠夫妻の帰りのきっぷは今は買わない。私とは別行動になるし、往復割引の対象にならない距離だから、行きと帰りを別々に購入しても料金は変わらない。帰りに名古屋駅に着いたら好きな時刻の列車を買うよう進言した。
窓口の係員は私と同年代の男性だった。書面を渡し、周遊きっぷを買うと告げると、奥の事務所に引っ込み、新書判の本を持って戻ってきた。それはどうやら周遊きっぷの販売規定などを示した冊子らしい。私の好奇心がざわめき、読んでみたいと思うけれど我慢する。
周遊きっぷは指定エリアが乗り放題、指定エリアまでの往復運賃が2割引になるなど、往復割引よりも得なきっぷだ。鉄道好きにとってとても喜ばしいきっぷだが、制限事項や特例が多く運用は複雑だ。
周遊きっぷ長崎・佐賀ゾーン(*クリックで拡大)。
・片道600km以内の行き券、帰り券で一部区間でも東海道新幹線を使う場合、新幹線の乗車距離に関わらず割引率は5パーセントに下がってしまう。片道600キロを超えれば新幹線経由でも2割引だ。
・在来線を使った場合と新幹線を使う場合とでゾーンの入り口駅が異なる。
・ゾーン内の新幹線の利用について、可の場合と不可の場合があり統一されていない。
・片道だけ飛行機の利用を認めるゾーンがある。
・長崎・佐賀ゾーンの場合、帰りに飛行機を使う場合に限って博多駅をゾーンの出入り口に指定できる。ただし、博多駅からゾーンに入るには、別途料金を払って福岡地下鉄空港線に乗り、筑肥線の姪浜に行かなくてはいけない。
条件が統一されておらず、特例ばかりである。あまりにも複雑で発券や運用のトラブルが多いのか、JR各社のWebサイトでも宣伝されていない。本当は売りたくないという気持ちが垣間見える。
それでも窓口氏の手際は良かった。問題を切り分け、まずは通常の手順で発券できる新幹線のチケットを手配した。続いて『あかつき』の寝台券と特急券を確保。それから恩師二人分の乗車券を発券する。
そしていよいよ難関の周遊きっぷに取り掛かる。東海道新幹線を使うから割引率は5パーセント……いや違う。東京から鳥栖までは余裕で600キロを超えるから、乗車券は2割引のままでよい。帰り券は航空機利用、その証拠として私が持参した全日空の明細を確認する。
しかし、飛行機利用の場合の博多駅の扱いで彼は迷った。
「帰り券は鳥栖から博多までの乗車券が要りますよね?」
と訊かれた。私があわてて、
「いや、それは姪浜から地下鉄経由だから要らないよ」
というと、冊子をめくり、
「ああ、地下鉄は自己負担ですね」と納得した。プロでも迷う。
周遊きっぷの制度はややこしい(*クリックで拡大)。
これできっぷが揃ったかと思うと、窓口氏はまた機械を操作する。
「すみません、B寝台をシングルツインで出してしまいました。ソロですね?」
「そうです」
リストにそう書いている。
B寝台のソロはカプセルホテルより少し広い個室で6300円。開放型2段ベッドと同じ料金なのでこれはお買い得だ。シングルツインは二人で利用できる補助ベッドがあってかなり広い。ただし料金は5割増しで9,170円もする。もちろんソロで十分である。窓口氏はシングルツインをキャンセルし、ソロで切符を再発行した。
カウンターにきっぷがぞろりと並べられた。周遊きっぷがゾーン券、行き券の2枚。説明書もきっぷの体裁で2枚ある。新幹線特急券が4枚。東京-名古屋間の普通乗車券が2枚。寝台券+特急券が1枚。クレジットカードで購入したので控えと説明書もきっぷと同じ紙で出てきた。寝台券を再発行しているので、クレジットカードの取り消しと再発行の紙もある。薄緑色の小片が並び、奥行きの狭いカウンターはトランプの7並べのよう。約4万円分のカードは壮観である。
それをひとつずつ確認する。どこか間違っていた場合、使うときに気付いても手遅れになるから私も真剣である。新幹線経由の割引乗車券は2割になっているか。よし。乗車日と座席。よし。本当は運転士さんのように指さし確認したいけれど、手早く済ませたい。窓口はふたつ開いているが、私のほうを長時間塞いでいる。隣の窓口がしゃかりきになってお客を捌いている。しかし、間違いを見つけた。
「あかつきの特急券は半額になっていますか?」と訊ねると、
「あっ、ノリワリですか……すみません、忘れていました」
寝台特急あかつきの特急券が3,150円で計上されている。これは正規の運賃だ。しかしJRの特急券は特例があって、新幹線と乗り継ぐ場合は在来線特急料金が半額になる。正しくは1,570円だ。これを乗り継ぎ割引、略してノリワリという。京都から諫早まで700キロ以上も乗りながら1,570円とは破格に過ぎるけれど、正しい制度である。係員氏はもう一度機械を操作して再発行。クレジットカード払いの扱いはいちいち登録する必要があるので繁雑を極めた。
乗り継ぎ割引とは?(*クリックで拡大)。
昼下がりの暇そうな窓口を狙ったけれど、振り返れば継続定期を購入するお客さんの行列である。最近になって関東の鉄道事業者がIC乗車券のパスモを始めたけれど、すぐに在庫がなくなってしまったため、JRのスイカで定期を作り直す人が多いと聞いたことがある。なんだか申し訳ない気持ちがしたけれど、途中でやめるわけにはいかない。私は係員氏にお礼を言い、並んでいる人々に一礼して外に出た。
さて、切符を買ってしまった。切符を手にした途端、"行きたい"という気持ちが"行かねばならぬ"という義務感に変わる。日帰り圏の目的地がなくなり旅先が遠くなってから、旅程を作るときの期待が大きくなり、同時にきっぷを手にした責任感も大きくなっている。"あーあやっちゃった。仕方ない、行くか"という、妙な諦めの心境もある。楽しみが薄れ、旅立ちが億劫になるのだ。日程作りで盛り上がり、旅に出れば好奇心が勝って充分楽しむくせに、どうしてそういう心境に陥るのか未だにわからない。例えれば風呂のようなものかもしれない。風呂に行きたい、湯船は気持ちいい。しかし脱衣は面倒である。
受け取ったきっぷたち……。
-…つづく
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