■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち


杉山淳一
(すぎやま・じゅんいち)


1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。




第1回~第50回まで

第51回~第100回まで

第101回~第150回まで


第151回:左に海、右に山
-予讃線 今治~多度津-
第152回:平野から山岳へ
-土讃線 多度津~阿波池田-

第153回:吉野川沿いのしまんと号
-土讃線 阿波池田~後免-



■連載完了コラム
感性工学的テキスト商品学
~書き言葉のマーケティング
 
[全24回] 
デジタル時事放談
~コンピュータ社会の理想と現実
 
[全15回]

■更新予定日:毎週木曜日

 
第154回:吹きすさぶ風の中 -土佐くろしお鉄道 阿佐線-

更新日2006/08/10

"後免"はユニークな地名・駅名として有名だ。その由来は謝罪するという意味ではなく、税の免除の"御免"に由来するという。江戸時代、土佐藩がこの辺りを商業地と定めたが人気が無く、商人を勧誘するために税を御免とした。お役御免のごめんというわけだ。

しまんと3号を降りた私は、列車を見送らずに階段を駆け上がった。下腹に圧力を感じた。私の少ない自慢のひとつが通じの良いことで、毎朝必ずそれなりの量を排出する。しかも小より短時間で済む。乗り継ぎ時間は9分で、用を済ますには十分な時間だ。幸いなことに新しい駅舎でトイレも清潔だろう。私は男子用に向かったが、その手前に車いすマークの個室がある。こちらのほうが近いし設備も良いだろうと、思いっきり引き戸を開けたら先客がいた。おばさんが尻をまくっていた。私は思わず「ごめん」と言った。実話である。


1両のディーゼルカーで運行する。

スッキリして外に出ると、発車を知らせる放送が響いている。私は慌てて階段を駆け下り、ディーゼルカーに乗り込んだ。土佐くろしお鉄道の阿佐線、通称ごめん・なはり線である。バースディきっぷの利用範囲は土佐くろしお鉄道も含まれており、切符を買う手間が省けて助かった。きっぷを買えなくても車内で精算できるけれど、そんな気力もなくなるほど車内は混んでいる。親子連れが多い。これがいつもの風景なのか、何か催しがあるのか判らない。しかし、ローカルに活気があるのは良いことである。

扉付近に立つ人を割り込むように車内にはいると、列車はすぐに動き出した。どうも車内が窮屈だと思ったら、レールバスの車内が仕切られており、進行方向の右側、海が見えるほうにオープンデッキが作られていた。この列車にオープンデッキが付いていることは時刻表に明記されていたけれど、私はトロッコ列車のようにオープンな車両が連結されているものだと予想していた。こういう車体だったとは。

オープンデッキは大型船の客室外側の通路のようだ。床は木製で、腰の辺りに手すりが付いている。これは愉快だとデッキに出た。肌寒いが、これなら楽しく過ごせそうだ。車内は混雑して座れないし、立っていても車窓を眺められるポジションを得にくい。外の方が良い。


オープンデッキで風に吹かれる。

列車は後免を出るとすぐに高架線に上った。ごめん・なはり線はもともと国鉄阿佐線として計画され、最高の資材と技術か投入された。お役所仕事の典型と言ってしまえばそれまでだが、お役人としては、国の設備として作るからには100年程度で朽ち果てては困るという考えもあるのだろう。全線が道路と立体交差で、真っ白いコンクリートの高架橋が延々と続く。ところが国鉄再建法により1980(昭和55)年に工事が凍結された。阿佐線の作りかけの高架橋は行政の無駄遣いの象徴とされ、報道番組のネタとして紹介されることもあった。

その批判を交わそうとしたのか、使わなければもったいないと判断したのか、高知県を主体に第三セクターの土佐くろしお鉄道が設立され、建設途中の宿毛線、赤字で廃止対象となった国鉄中村線と、この阿佐線を継承する。阿佐線の開業は2002(平成14)年で、建設着手から37年も経っている。地元の人々にとって、阿佐線の開業は"悲願"だったかもしれない。このあたり、商業地としての歴史があるだけに人口も多い。高架の下に住宅が広がっている。

風を受けながら街並みを眺めているうちに海が近づいてきた。あかおか駅である。住宅が多く、港も見える。それなり栄えているようだが、空が曇り海が灰色なので、景気が悪そうに見える。ここからしばらく海岸沿いになるようだ。夜須という駅で乗客の三分の一ほどが下車した。ここになにがあるのだろう。持参の地図には海水浴もできる公園があるらしい。泳げる季節ではなさそうだが。


海沿いを行く。

私は寒さに耐えつつデッキで風に当たっていた。こどもたちが通路に繰り出してはしゃいでいる。それを見守る母親たちが出入り口を塞ぐから、私は身動きができない。そこにひとり、とびきりの美人ママがいた。顔は景色を見ているが、サングラスの下の目はちらちらとママを見ていた。子供を産んでいきなり老け込む女性もいれば、独身のように若さを保つ女性もいる。その違いは何なのだろうと思う。

大人たちは震えているけれど、こどもたちは寒くない。なぜなら、デッキは大人の腰の高さ程の柵があり、風を通さないような作りになっているからだ。こどもの背丈なら、顔は冷たくても身体は温かい。寒ければ身体を動かせば暖まる。飛んだり跳ねたり。母親たちは勢いづいてこどもが外に放り出されないかと心配そうだ。ジャンプしたこどもが私の足のつま先に降りたが、見ていなかったのか知らないフリをしているのか。もっとも、私は痛みを感じないから腹も立たない。ふだんからスニーカー風の安全靴を愛用している。つま先には鉄板が入っている。


前面展望も魅力。

夜須の先に長いトンネルがある。運転士がデッキのスピーカーを使って、トンネル内の注意を促す。しかしこどもには聞こえないようだ。むしろトンネル内の大音響に興奮し、すりるを楽しんでいるように見える。私はついに寒さに負けて、頭を下げつつ車内に戻った。幸いなことに最前部に空席があり、前方の展望を楽しんだ。和食駅から先は線路の両側に防風林が並んでおり、白い路盤と緑の木々の対比が美しい。これはなかなか楽しい眺めである。

ところが、車内も安住の地ではなかった。赤野駅から乗ってきた老人が私の近くに座ると、何とも言えない魚臭さが漂い始める。臭いの源は老人が持参する白い発泡スチロールの箱らしい。夏の夕方の魚屋のような臭気は、私がもっとも苦手とする臭いのひとつである。吐き気を催しそうなので、私は再びデッキに出た。デッキにも寒いところと比較的ましなところがある。デッキの最前部は風が巻き込まないので多少は寒さをしのげる。ただし、トンネルや防音壁がある場所では音が逃げないのでうるさい。しかしあの臭気よりはマシだった。


防風林に囲まれて。

-…つづく

第144回からの行程図
(GIFファイル)