四国の瀬戸内側の海岸線はMの字に似ている。今治はMの字の左の山、高縄半島にあり、その先には大小の島が連なって高速道路の料金所のようになっている。瀬戸内は外海に比べると穏やかで人気の航路らしいけれど、それでも島の連続は緊張するから、どこかでひと休みしたい。今治はそんな船たちに手をさしのべる位置にある。平安京の頃に伊予国府が置かれたところで、古くから海運で栄えたという。
電車特急しおかぜ6号は今治を発車して加速する。この辺りは高架区間だから街が見渡せた。そんな近代的な作りも今治を大きく見せている。車窓左手に今治城が見えるかと思ったが見過ごした。ホテルらしき大きな建物のほうが目立ち、さらに低いビル群にも遮られた。
先頭車から前方を眺める。
振り子機構の傾きがすごい。
午前7時ちょうどに大きな川を渡った。蒼社川といって、高縄半島の中心から瀬戸内に注ぐ川である。上質の軟水で今治の生活用水として貢献しているが、古来より氾濫が凄まじく人取川と呼ばれた頃もあったそうだ。1722(宝暦元)年に今治藩主松平定郷は蛇行する蒼社川の大改修を決意。河上安固の指揮の下、13年かけて現在の姿に整えた。川との共生、川との戦い。四国は川にまつわる話が多い。日本のどこでも川は暮らしに密接しているはずだが、特に四国は川を感じる。
直線的な高架区間になったこともあり、しおかぜ6号はスピードを上げている。時速100キロは超えているはずだ。電車だからディーゼル車のようにエンジン音が大きくならず、シュルシュルという風の音が聞こえる。だから余計に速さを感じる。この8000系という電車は、時速160キロで走行できるように設計された。曲線を高速で通過するための振り子機構も付いている。
しかし、予讃線はほぼ単線だし、速度を出せる区間も限られるため、最高時速は130キロに抑えられたと聞く。最高速度を出す区間は、おそらくこの辺りと本四連絡橋だけだろう。単線区間の幹線を電車特急が爆走する。この勢いに都会では見られない頼もしさを感じる。特急列車のライバルは都市間を結ぶ高速バスで、所要時間は拮抗し料金は特急列車のほうが少し高い。鉄道は定時性で有利だが、少しでもバスより速く走って競争力を持ちたい。この走りには使命感がある。
石鎚山?
7時13分。伊予西条を発車する。駅名標によれば、その手前に通過した駅は石鎚山という名だった。いしづちは後部に併結された特急列車の名前である。列車の名前になるほどの山だから、地域を代表する存在なのだろうと思う。後に調べてみると"なのだろう"で片づけてはいけない名山だった。標高1,982メートルは四国のみならず、西日本の最高峰。日本百名山、日本七霊山のひとつに数えられる。
ならばその姿を眺めようと、車窓右側を眺める。しかし、高い山はいくつもあって、どれが石鎚山か解らない。富士山などと違って、事前に形を知らないからなおさら解らない。もっとも低い位置から見上げているから、手前にある程度高い山があれば遮られてしまう。良い形の山が見えて、これかなと思うけれど、しばらくするとまた趣のある山が視界に入る。地図を開いて合わせようとしても解らない。
新居浜駅で下り列車を待つ。
7時20分、新居浜着。停車時間は3分で、ここで下りのいしづち3号とすれ違う。私はホームに出て、前方から走ってくる列車を迎えた。同じ形の銀色の車体だが帯の色が違う。向きによって違うのか、グリーン車が赤系統で、普通車が黄色系統なのか。どっちだろう。
松山からここまで、グリーン車は私ひとりの貸し切り状態だった。新居浜からようやくお客さんが乗った。スーツ姿の男性グループと老夫婦だ。老夫婦はおそらくフルムーン旅行だろう。装束は着ていないけれどお遍路かもしれない。スーツ姿の中年男性グループは、こりゃ快適だな、とはしゃいでいる。初めからグリーン車に乗るつもりがなく、普通車指定席が満席で、仕方なくこちらに移ったのかもしれない。いずれにしても、人々が動き出す時間になったということだ。
線路は海から離れている。しかし山側の眺めは飽きない。列車が動くに連れて、前後の山が違う速度で動く。石鎚山はもう過ぎてしまったけれど、この山々は四国の背骨、四国山地である。列車の車窓ならではの楽しい風景だが、できることなら晴天の青空で眺めたかった。携帯電話で天気予報を調べると、今日の天候は曇り。夜には雨になりそうだ。今日は徳島に泊まり、夕方は街を見下ろすロープウェイに乗ろうと思っている。しかし、どうも天気には恵まれない一日だ。
津嶋神社が見えた。
子供の守り神という。
再び右側に海が見え、伊予三島に着く。この辺りは工業地帯らしく、煙突がいくつも立っている。線路のそばの建物には大王製紙の看板があり、コンテナヤードにも大王製紙専用の表記がある。そうか、小学校の社会の教科書に出てきた瀬戸内工業地帯だ。ビジネスの地域に入ったせいか、停車駅も増えてきた。観音寺、高瀬、詫間とこまめに停まっている。どの駅にも到着を待つ人がたくさんいた。松山を出るときは空いていた列車は、8両とも満席になったことだろう。
もうすぐ多度津に着くという頃、右手の海には小島が点在し、いかにも瀬戸内という風景になった。晴れていたらさぞ見事な眺めだろうと悔しいが、次がある。そう呪文のように唱えて自分を納得させる。
8時15分に多度津着。私はしおかぜ6号を降りた。ここで高知行きの特急しまんと3号に乗り換える。土讃線を南下して四国を縦断するつもりだ。発車まで約20分もある。私はしおかぜ6号の先頭車から最後尾まで眺めつつホームを歩いてみた。予想通りの満席で、鉄道贔屓の私は嬉しくなった。多度津の駅の佇まいも良い。本線格の路線が分岐するだけに構内は広く、いかにも鉄道の拠点といった風情がある。
国鉄時代の色に塗られたディーゼルカーが停まっていたり、東京でも見られる直流の電気機関車とコンテナ貨車が佇んでいたり。本州から移籍した古い電車が発着したり。そんな風景を眺めているうちに20分が過ぎていく。駅の案内放送が特急しまんと号の到着を告げる。私は高松の方向に注目した。霞んだ空気の向こうからヘッドライトを輝かせて、3両編成のディーゼル特急がやってきた。
多度津駅構内。
-…つづく
第144回からの行程図
(GIFファイル)