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■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと
 

第502回:流行り歌に寄せて No.297 「コーヒーショップで」~昭和48年(1973年)5月25日リリース

更新日2025/05/08



私たち、当時東海地方に住んでいた若者の一部は、『コーヒーショップで』でレコード・デビューをする前から、あべ静江のことは知っていた。

昭和47年(1972年)から、東海ラジオの「ヤングランド」と、FM愛知の「ユーアンドミー東芝」という番組のDJをしていたからだ。私も、FM愛知にすごく美しい短大生DJがいるということを噂に聞き、実際に写真を見て「なんとも綺麗な人だなぁ」と思ったことは記憶にあるが、番組を聴いていた覚えはない。

私の同級生にも、DJ時代からのあべ静江ファンがいて、レコード・デビューをした時は「しーちゃん、東京に出て行っても、こっちのラジオのDJやめんで欲しい」としきりに訴えていた。しばらくは、名古屋でのラジオの仕事と、東京での歌の仕事を並行して行なっていたが、そのうちに歌手に専念するようになった。

同級生は「しーちゃんは、名古屋でDJやっとるより、東京で歌いたかったんか。やっぱ、そっちの方が目立つでねえ」と悄気ていたものだ。

ところが、今回少し調べてみると、同級生が悄気るような内容ではなかったことが分かった。そして、今までデビュー当時の彼女に抱いていたイメージは、かなり実際とは異なっていたのだ。

まず、彼女も歌手になどなるつもりはなく、ずっとDJを続けたかったようだ。彼女の父親はミュージシャンで、その音楽仲間に東海ラジオの制作部長がいた。それは、彼女自身もよく知っている人だった。

その制作部長がある時「ヤングランド」の中で、あべに、いわば隠し芸的に歌ってみないかという提案をし、当時名古屋で人気のあった「欲求不満フォークソング・ボーイズ」の奥山啓造に曲作りを依頼、奥山は『さよならを風にのせて』という曲を作詞、作曲した。

それが番組で放送されたことで、音源がいろいろなところに流れて、歌手デビューの話にまでなったという。あべは歌手になることを嫌がったが、それも父の音楽仲間の強い勧めで、デビューを決める。

デビュー曲も、彼女は『さよならを風に乗せて』だと思い込んでいたが、歌謡曲作りのプロたちによる曲に変更された(『さよならを風に乗せて』は、彼女のファースト・アルバム『みずいろの手紙/コーヒーショップで』に収録された)。

イメージの違いについては、彼女の、比較的最近のインタビュー記事を読んで驚いてしまった。

中学時代、かなり荒れていた学校で、間違ったことをした番長に平気で食ってかかる、そんな正義感の強い子だった。高校は祖父の勧めでまず定時制に進み、働きながら学ぶ、多くは自分より年長の生徒と、彼らに向き合う教師たちから多くのことを学んだという。

続いて編入した全日制高校では、校則の矛盾について徹底して教師に抗議する。弁論部に入って熱弁を奮い、その後ヤジに応えて時間を大幅に超過したら、最後は係員に両腕を抱えられて強制退場させられたりと、かなりの奮闘ぶりである。

『コーヒーショップで』でイメージされる、物静かに喫茶店の片隅で、サイフォンの音を聴きながら、文庫本のページを繰っている女性とはかけ離れたものだった。

その奮闘ぶりはデビュー後も続き、二曲目の『みずいろの手紙』を提示された時、「別れた後で彼を追うなんて考えられない。どうしてこんなに未練を残す女性を演じなければいけないの」と言って歌うのを拒否し、レコーディングの日は自分の部屋に籠城したのだという。

何とか連れ出されて、曲の作者たちに申し訳ない思いもあって、仕方なく録音をする。悔しくて泣きながら歌うが、それでも気持ちなどこめまいと、淡々と歌ったつもりが、あの台詞と歌声になったという。不思議なものである。あの曲を自分へのラブレターのように思い、すっかり心を奪われた男性は数知れず、大きなヒットとなったのだから。

 

「コーヒーショップで」  阿久悠:作詞  三木たかし:作曲  馬飼野俊一:編曲  あべ静江:歌


古くから学生の街だった

数々の青春をしていた

城址の石段に腰おろし

本を読み涙する人もいた

そんな話をしてくれる

コーヒーショップのマスターも

今はフォークのギターをひいて

時の流れを見つめてる

 

服装や髪型が変わっても

若いこはいつの日もいいものだ

人生の悲しみや愛のこと

うち明けて誰もみな旅立った

そんな話をしてくれる

コーヒーショップのマスターの

かれた似顔絵私は書いて

なぜか心を安めてる

 

『コーヒーショップで』が生まれたのは、キャニオンレコードの当時の石田達郎社長が、阿久悠に会いに来て「名古屋の人気DJの作詞をして欲しい」と話したことからだった。

その時、作曲家の三木たかしも同席していたので、阿久が「その仕事、たかしちゃんとやらせてもらえませんか?」と聞いたところ、実は他の作曲家を考えていた石田社長も、二つ返事で承諾したという。当時、少しスランプ気味であったという三木を、阿久はサポートしようとしたのかも分からない。

阿久は、その頃あべ静江に会ったことがなくて、写真を見ただけで作詞をしたのだそうだ。外見で騙された口か? いや、プロ中のプロの阿久であるから、どんな性格の女性であれ、この路線で売れると思って詞を書いたに違いない。

ここで私は想像してみる。このコーヒーショップのマスターとは、どんな感じの人か。
今の自分よりは、まだかなり若いだろう。枯れた感じだが、フォークのギターも弾くということで50歳代前半か。この曲が昭和47年に出ていることから、大正10年代の生まれの人で、戦争にも行っていることだろう。

終戦後しばらくしてから学生街の一角に店を出し、四半世紀近く続いていて、まだ詰襟の学生服を着て、整髪していた大学生の頃から、その頃の長髪でラフなスタイルの大学生まで、何サイクルもの学生たちを見送った。渋い雰囲気ながら、大変聞き上手で、学生にみな慕われている。どこかのマスターだった人物とは大きくかけ離れているようだ。


閑話休題。さてこの後、あべ静江は、山上路夫、及川恒平、喜多条忠、さいとう大三、ちあき哲也、竜真知子、千家和也、荒木とよひさ、そして小池百合子など(曲リリース順)多くの著名な作詞家(一人を除いて)に詞を提供されているが、自分の心に背かないで歌えた曲に、何度出会えたことだろう。

また、割合に最近になってラジオ番組にも断続的に登場しているが、彼女が本来続けたかったDJにまた復帰して、彼女一人の番組を持ってもらいたいと思っているオールド・ファンも少なくないはずだ。

歌手と女優では、すでに活躍しているので、もう一度「ラジオの人」としての彼女に、私は期待している。

 

 

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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
Lis. master's voice
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※2024年11月30日、「BAR Lismore」は閉店いたしました。


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