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■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと

第261回:流行り歌に寄せて No.71 「達者でナ」~昭和35年(1960年)

更新日2014/07/10

昭和30年を過ぎて、すでに30人以上の歌詞の方々をご紹介してきたが、昔からの歌謡曲ファンに「おいおい、誰か忘れちゃいませんか?」と必ず言われてしまう、まだご紹介できていない大歌手がいる。

それは、生涯のレコード売り上げが何と1億600万枚、ミリオンセラー(100万枚以上売れたレコード)が18枚を数えるという、戦後日本を代表する歌手、三橋美智也その人である。

彼は昭和5年11月10日、北海道は函館に近い上磯町(現在の北斗市)に生まれた。すでに太平戦争が始まっていた昭和17年、11歳にして北海道の全道民謡大会で優勝し、いきなり『江差追分』全唄をレコーディングするという、北海道のみならず日本の民謡界にとっては彗星の如く表れた存在だった。

上京後、東急東横線の綱島温泉で民謡を教えるほかに、ボイラーマンとして生計を立てていたが、昭和30年、24歳にして『おんな船頭歌』で歌謡曲デビューを果たした。その後は『リンゴ村から』『哀愁列車』『夕焼けとんび』『古城』と大ヒット曲を次々と生み出す。

さてここからは言い訳だが、私自身も前述の大ヒット曲は、何回も聴いたことはある。だが、その中の一曲についてコラムを書けるかというと、その自信はなかった。今まで、フッと口ずさむと言うことがない、正直、あまり自分には馴染まないものばかりだった。

ところが、この『達者でナ』だけはまったく違っていて、小学校の頃から何度も口ずさんだ経験のある大好きな歌だった。これは「マイ・ファースト三橋」であり「マイ・ベスト三橋」である、私の愛唱歌なのだ。

「達者でナ」 横井弘:作詞 中野忠晴:作曲 三橋美智也:歌  
1.
わらにまみれてヨー 育てた栗毛

今日は買われてヨー 町へ行く アーアー

オーラ オーラ 達者でナ

オーラ オーラ 風邪ひくな

ああ 風邪ひくな

離す手綱が ふるえふるえるぜ

2.
俺が泣くときゃヨー お前も泣いて

ともに走ったヨー 丘の道 アーアー

オーラ オーラ 達者でナ

オーラ オーラ 忘れるな

ああ 忘れるな

月の河原を 思い思い出を

3.
町のお人はヨー よい人だろうが

変わる暮らしがヨー 気にかかる アーアー

オーラ オーラ 達者でナ

オーラ オーラ また逢おな

ああ また逢おな

かわいいたてがみ なでてなでてやろ


前奏、「トンットットコ、トットット、トコトコトット、トットット」というリズムの打楽器が打ち鳴らされ、そこにフルート族らしい管楽器とピアノの旋律が重なってゆく。これが何とも牧歌的で、郷愁を誘う。アンサンブルで勢いをつけ、そして「わ~らーにまみれてヨー」の歌い出し。もう、心を鷲掴みにされたような思いなのである。

さらには、当時としては画期的なダビング録音で、高い「アーーーーア~~」の音に、低い「オーラ オーラ 達者でナ…」の音が一人二重唱で被り、続いて「風邪ひくな」で一緒になるという、心憎い演出も見られる。

本当に日本の田舎の風景を思い起こさせる、牧歌的なメロディーだが、作曲家の中野忠晴は、実は自身が、ディック・ミネらと同様、戦前ジャズを始め多くのアメリカン・ソングを歌う歌手だった。何だか意外な気がするが、先述の進取の手法を取り入れる当たりは、新しいことに高い関心を示す人だったのだろう。

戦後は喉を傷めたこともあり、曲の作り手に回り、三橋美智也にはこの曲の他に『赤い夕陽の故郷』、松下詩子『マロニエの花咲く頃』、若山一郎『おーい中村君』ほか、江利チエミ、津村謙、春日八郎、後には倍賞千恵子、新川二郎にも多くの曲を提供した。

一方、作詞家は横井弘。明治42年(1909年)生まれの中野忠晴とは17歳違いの大正15年(1926年)生まれであるが、二人で組んで三橋美智也の大ヒット曲を作っている。

昭和20年の5月25日の東京大空襲で自宅を焼失し、翌6月に応召、終戦まで2ヵ月であったが軍務に就いていた。復員してから知人のいる長野県下諏訪町に滞在していたが、翌昭和21年、上京して藤浦洸に師事し、作詞の勉強を始めた。

昭和24年『あざみの歌』で作詞家としてデビューし、中野とのコンビの他に三橋には『哀愁列車』、春日八郎『山の吊橋』、仲宗根美樹『川は流れる』、倍賞千恵子『下町の太陽』『さよならはダンスのあとに』、中村晃子『虹色の湖』などの印象深い曲の詞を書いている。おそらく、この後も何回か、この作詞家の歌をご紹介することになるだろう。

さて、今回また何度か『達者でナ』を聴き直して、改めて、仔馬時分から馬を育て上げ、しかしそれを手放さなくてはならない少年(あるいは青年か?十代か、二十歳そこそこの年齢だろう)の心情が、こちらにトクトクと伝わってくる気がした。やはり、実に良い曲だと思う。蛇足ながら、タイトルの最後の「ナ」がカタカナなのが、また良いのだ。

-…つづく

 

 

第262回:流行り歌に寄せて No.72 「有難や節」~昭和35年(1960年)

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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
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