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■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと

第356回:流行り歌に寄せて No.161 「僕のマリー」~昭和42年(1967年)

更新日2018/08/02


私が最初にザ・タイガースというグループ名を知ったのは、昭和42年小学校6年生の時、名古屋の市電(路面電車)の中吊り広告であった。まったくのうろ覚えだが「ザ・タイガース人気、北海道から火が付く」というような内容だったと思う。

大先輩であるザ・スパイダースは、この頃、すでに大いなる人気を得ていた。

後に主要10グループサウンズ(以下、GS)と呼ばれたザ・タイガースとザ・カーナビーツ、ザ・ゴールデン・カップス、ザ・ジャガーズ、ザ・テンプターズなど、半数のグループはこの年、昭和42年にレコード・デビューをしている.。<ジャッキー吉川とブルー・コメッツ、ヴィレッジ・シンガーズ、ザ・ワイルドワンズは前年、オックスは1年後>

その中吊り広告を見た後、まもなくザ・タイガースの人気は急上昇し、最強のGSに成長していった。私はテレビで初めて彼らの姿を見た時、「みんな、かなりの不良だな…」と思った。ジュリーをはじめ、みんな笑顔は浮かべているが、目が笑うことを拒否するような光を放っていた。なんだか、とても怖い……。


「僕のマリー」  橋本淳:作詞  すぎやまこういち:作・編曲  ザ・タイガース:歌

ぼくがマリーと 逢ったのは

さみしい さみしい 雨の朝


フランス人形 抱いていた

ひとりぼっちの かわいい娘


愛してると ひとこといえなくて

つらい想いに 泣いたのさ


マリーがぼくに 恋をする

甘く悲しい 夢をみた


愛してると ひとこといえなくて

つらい想いに 泣いたのさ


マリーがぼくに 恋をする

甘く悲しい 夢をみた

夢をみた 夢をみた


ザ・タイガース。昭和39年頃から、京都の四条河原あたりで、瞳みのる(ピー)、岸部おさみ(サリー)、森本太郎(タロウ)、加橋かつみ(トッポ)の4人が、いわゆるつるんで遊んでいた。ピー、サリー、タローは京都市立北野中学校の同級生で、この時17歳。ピーの京都府立山城高校時代の2級後輩のトッポにいたっては、まだ15歳であった。まさに不良だったのだろう。

その後、大阪へ“ベンチャーズ”を皆で聴きに行き、大きく影響を受けて、自分たちも演奏をしたいという思いを抱き、『サリーとプレイボーイズ』というバンドを結成し、演奏活動を開始する。

しばらくして、専属のヴォーカルを置きたいということになり、沢田研二(ジュリー)を見つけてきて、グループ名も『ファニーズ』へと変更した。そして、大阪のジャズ喫茶『ナンバ一番(いちばん)』と専属契約を結び、西成区のアパートで合宿生活を始め、彼らの活動は本格的に始動した。リーダーはピーで固定された。

関西地方での人気は相当のものとなり、東京からもいくつかのオファーがあったが、当初実現には至らなかった。時を経て、内田裕也に声をかけられたことがきっかけで、メンバー全員で東京に進出することになった。そして、渡辺プロダクションのオーディションを受けて合格し、レコード会社もポリドールに決定、世田谷区烏山で合宿生活に入る。

バンド名は、すぎやまこういちにより『ザ・タイガース』とされる。大阪から来た、阪神だ、タイガースだ、ということらしい(すぎやまは後日談で、「もちろん関西出身ということもあったが、当時の彼らには若虎というイメージがあった」と語っている)。リーダーも渡辺プロからの指示で、ピーからサリーに変わった。

当初、メンバーはデビュー曲である『僕のマリー』を紹介された時、戸惑いや失望感を隠せなかったという。ファニーズ時代、ビートルズなどのロック音楽を演奏し続けていた彼らにとって、とても甘ったるい歌謡曲と映ったのかもしれない。しかし、メジャーデビューするためには、まずは多くの若者、殊に女の子たちにウケる曲でなければならなかったのだろう。

そんなメンバーの胸中を知っていたのか、内田裕也は、彼らの上京後すぐに、今や伝説のイタリアンレストラン『キャンティ』に連れて行ったり、新宿ACBでファニーズ・テイストの歌を歌わせたり、日劇ウェスタンカーニバルに出場させたりと、彼らの面倒を実によくみてくれたという。

歌の作者である橋本淳とすぎやまこういちは、日本を代表する作詞家と作曲家。まさに最強コンビである。

橋本淳は、夥しい数の名曲の詞を手掛けているが、GSに関しても、最も多くレコードを売った作詞家として知られている。

すぎやまと組んで、シャーク・ホークス、ザ・ターガース、ヴィレッジ・シンガーズ、青山学院高等部からの後輩である筒美京平と組んで、オックス、ザ・ジャガーズ、ヴィレッジ・シンガーズ、井上忠夫と組んで、ジャッキー吉川とブルーコメッツ、鈴木邦彦と組んで、ザ・ゴールデン・カップスと、次々とヒット作を量産していった。

すぎやまこういちは、まさに日本音楽界の大御所である。歌謡曲から、映画、アニメのテーマソング、数え切れないほどのCM曲、そして『ドラゴンクエスト・シリーズ』をはじめとするゲームのテーマ曲を手掛けたことでも知られている。

さて、『僕のマリー』は当時のヒットチャートで12位という、大きなヒットにはならなかったが、続く『シーサイド・バウンド』『モナリザの微笑』『君だけに愛を』と、今でも語り継がれる大ヒットを飛ばしていく。

そして、その後、次々と出現するグループと競い合い、大GSブームを迎えるのだが、ザ・タイガースは常に王者のグループとして君臨し続けるのである。

-…つづく

 

 

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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
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