■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと

金井 和宏
(かない・かずひろ)

1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
Lis. master's voice

 


第1回:I'm a “Barman”~
第50回:遠くへ行きたい
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第51回:お国言葉について ~
第100回:フラワー・オブ・スコットランドを聴いたことがありますか
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第101回:小田実さんを偲ぶ
第102回:ラグビー・ワールド・カップ、ジャパンは勝てるのか
第103回:ラグビー・ワールド・カップ、優勝の行方

■更新予定日:隔週木曜日

第104回:ラグビー・ジャパン、4年後への挑戦を、今から

更新日2007/09/27


時計の上ではフルタイムの前後半80分を回り、カナダがタッチ・キックを蹴り出して試合が途切れた瞬間、後半の終盤で入れ替えによりフィールド・サイドで行方を見守っていたジャパン・箕内拓郎キャプテンは、ガックリと下を向いてしまった。しかし、しばらくしてもレフリーの試合終了の笛が吹かれないことに気付くと、もう一度頭をもたげ、明るい表情でグラウンドに指示を送り始める。

すでに3敗の後の、日本にとってワールド・カップの最終ゲーム、カナダとの戦いは、前半12分に剛速右ウイング・遠藤幸佑の先制トライで5-0としたが、後半8分と25分のカナダの2トライ1ゴールで逆転され、5-12のスコアで終盤を迎えた。

ジャパンは満身創痍のメンバーがほとんどだった。体中に痛みを持っているが、気力で身体を動かしている。それでも後半30分過ぎからジャパンはカナダ陣営に入り攻撃を繰り返し始める。何回も突進しては繋ぎ、少しずつ、少しずつ大切にボールを前に運ぶ。

けれども、カナダのディフェンスも堅固でなかなか崩れない。このチームも2敗を喫しており、最終戦が対オーストラリアであることから、勝ちに行けるのはこのゲームしかないのだから必死である。

後半の最後の最後、時計の上では40分を経過し、あとワンプレーというところで、ジャパンは次々に相手側のペナルティーを誘い、攻撃を続ける。ラグビーは、相手がペナルティーを続けている限り、ゲームが終わらないことになっている。

そして、カナダ陣5メートルライン上でペナルティーキックを得たジャパンは、深くフォワードで攻め込んだ後、右に展開、最後は右センターの平浩二が右隅に飛び込んでトライを決め、この時点で10-12になる。

トライ後のコンバージョンを蹴るのは左センター・大西将太郎。4日前のウエールズ戦で肋軟骨を痛め試合中に担架で運ばれ、全治3,4週間と診断された男が、ジョン・カーワン・ヘッドコーチに直訴し、この試合に出ていた。

難しい角度からのゴール、大西はジャパンの選手、コーチ、サポーターの期待を全て背負い込み、それでも静かに蹴り上げた。ボールはゴールポストの中に吸い込まれるような軌跡を描き、ゴール成功の笛、続けてノーサイドの笛が鳴った。

ジャパンは執念でドローに持ち込んだ。印象的だったのは、ジョン・カーワンの表情。平がトライを決めて、まわりが大喜びをしていたときに、彼はほとんど表情を変えずに、グラウンドを見つめ続けていた。そして、大西がゴールを決めた瞬間、初めて笑顔を見せた。

この男の笑顔は実にいい。それまでの何かを射竦めるような厳しい表情が、一瞬にして解け、深く柔らかい眼差しの笑顔に変わっていく。これを見るだけで、選手が彼を信じてラグビーに集中するのがわかる気がするのだ。

ジャパンは勝てなかった。世界最高クラスの、謂わば第1集団のオーストラリア(世界ランキング2位・以下順位のみ)にはラグビーをさせてもらえなかったし、第2集団のウエールズ(8位)にも歯が立たなかった。これは、戦前からの予想通り、想定内の結果だろう。

しかし、日本(18位)とともに第3集団である、フィジー(12位)、カナダ(13位)とは互角な試合になった。フィジー戦で4点差を追う最後の猛攻は、ジャパンが本当に強くなったことを表している。

さらに、ウエールズ戦での日本陣ゴール前でロック・大野均が相手ボールを奪い取った後、次々と繋ぎ、最後は遠藤が決めたトライは本当にファンタスティックで、こんなトライを挙げられるチームに成長したことを誇りに思う。

ここまで来られたのは、先ほど少し触れたが、JKの指導のもと、彼を信じた選手たちが精進を重ねたからだと思う。ジャパンも思い描いていたベストメンバーが組めたわけではない。ウイングの大畑大介を始め4、5名の主力選手をケガなどで欠いての今回のパフォーマンスである。いかに彼らが一つにまとまっていたか、良いチームだったかを思い計ることができる。

諸般の事情で無理なことかも知れないが、日本のラグビーのためにどうしても願いたいことがある。それは、JKのあと4年間の契約延長だ。彼がヘッドコーチに就任したのが今年の1月、ジャパンとして本格的に始動したのが5月なのだから、彼はわずか5ヵ月で、今のチームを作ってくれた。

どうか、あと4年じっくりと腰を据えてジャパンを見守り続け、次回のワールドカップでは確実に2勝を挙げられるチームを作って欲しい。これは、日本のラグビーを真剣に考えるほとんどの人々の切望なのだ。

また今回の大会で強く感じたことは、いわゆる第3集団の国々の多くの選手が、ヨーロッパなどのチームに在籍し、タイトな試合を多く経験していて、それが自国のチーム力の底上げになっていることだった。

サッカーとまでは行かなくても、ジャパン・ラグビーも4、5人の「海外組」を作り、その経験をフィードバックできれば、状況は大きく変わってくるだろう。JKの続投とともに、日本ラグビー協会に真剣に望みたい。日本へのワールドカップ招致より、日本を強くすることの方を、当然優先させるべきだろう。

 

 

第105回:大波乱、ラグビー・ワールド・カップ