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■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと
第220回:流行り歌に寄せてNo.32 「岸壁の母」~昭和29年(1954年)

更新日2012/10/11

私が初めてこの歌を聴いたのは、間奏部と最後に台詞の入った、浪曲調の二葉百合子版の方である。それは今回書いていきたいオリジナル版の菊池章子の吹き込みから18年が経過した昭和47年(1972年)の発売だったのだ。

昭和29年と昭和47年とでは、同じ戦後であっても、まったく時代が違う。

私が今思い出す限りでも、その間には昭和31年に売春防止法制定、国際連合への加盟、35年に60年安保、39年に東海道新幹線開通、東京オリンピック開催、45年に大阪で万国博覧会開催、そして、その昭和47年には札幌冬季オリンピックが開催されているのである。

すでに国力が安定し、平和と繁栄を享受していた昭和47年に、18年ぶりにカバーされた『岸壁の母』が、なぜあれほどまでに大きなセールスになったのか大変興味のあるところである。それは別の機会にゆっくり考えてみたい気がする。

「岸壁の母」 藤田まさと:作詞 平川浪龍:作曲 菊池章子:歌
1.
母は来ました 今日も来た

この岸壁に 今日も来た

届かぬ願いと 知りながら

もしやもしやに もしやもしやに ひかされて
 
2.
呼んでください おがみます

ああ おっ母さん よく来たと

海山千里と 云うけれど

なんで遠かろ なんで遠かろ 母と子に

3.
悲願十年 この祈り
 
神様だけが 知っている
 
流れる雲より 風よりも
 
つらいさだめの つらいさだめの  杖ひとつ


二葉百合子は浪曲師だけあって、堂々とした感じの母親像になっているが、オリジナルの菊池章子の歌の方は、線の細い頼りなげな母親が、波風に煽られながら必死に立って、息子の帰りを待っているというイメージがある。

よく聴いていると、細い声ではあるが、強弱をつけたり、音を伸ばしたり詰めてみたりと、ひとつ一つ工夫を凝らしながら、母親の気持ちを抑えながらも、内から滲み出すように表現している。実に上手い歌唱だ。

このオリジナルに二葉版の台詞など持ってきたら、まったく台無しになるだろう(二葉版を批判する気は全くないが)。台詞など無用な、しみじみとした素敵な歌唱なのである。

テイチク管弦楽団の演奏も素晴らしく、菊池の歌を後押ししている。二番と三番との間奏で、あの「ねんねんころりよ おころりよ」の江戸子守歌をさりげなく奏でているところにも工夫を感じる。

『星の流れに』に続き、私は菊池の歌う『岸壁の母』も大好きな歌となったが、さすがにカラオケで自分が歌うのはためらわれる曲である。

さて、この歌には実在のモデルがいたことはよく知られていることである。端野いせさんという、明治32年生まれの女性であるらしい。彼女には新二さんという、養子にもらい受けた大正15年生まれの一人息子がいた。

その息子さんが、昭和19年、敗色濃厚となった旧満州に渡り、関東軍石頭予備仕官学校に入学する。同じ年、ソ連軍の攻撃を受けて中国牡丹江で行方不明になった。

終戦後、東京の大森に住んでいた端野いせさんだが、昭和25年から引き上げが開始されると、ソ連のナホトカ港から京都の舞鶴港に入る引き揚げ船に息子の新二さんが乗っていないかと、6年間に渡り引き揚げ船が入港する度に、その岸壁に立っていたのだという。

彼女が東京の大森から京都の舞鶴への行き来を繰り返していた頃、NHKからインタビューを受けたことがある。そのインタビューをラジオニュースで聞いていた作詞家の藤田まさとが、感銘を受けて詞を書き、歌詞を読んだ作曲家の平川浪龍が、その詞が本物であることを察知し、一晩で曲をつけたのだという。

菊池は戦時中、慰問団に加わって戦意高揚に努め、藤田も多くの軍歌を作詞し戦争に協力していった。しかし、だからこそ二人には戦争の痛みがよく理解できたのだろう。

菊池はレコーディング中に何回も涙を流してしまい、NGを繰り返し、楽器の演奏者までもらい泣きをしてしまったような状態の末に、この歌はでき上がったということである。

-…つづく

 

 

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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
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