第3回:カトリーヌ
更新日2001/04/26
「日本の女性は20年遅れている」と、服部がしきりに呟き始めたのはカトリーヌに会ってからのことだ。
12月も半ば過ぎてクリスマスが迫ったころ、すでに暗くなりかけたジブラルタルのマリーナに35フィートほどの鉄船が入ってきた。鉄製のヨットは、アメリカ人ヨット乗りに「フランス製缶詰め」とか「ドラム缶」とか呼ばれ蔑まされているが、どうして、目的にさえ合えば、鉄は優れた素材だし、フランスの缶ヨットは文字どおり世界の海の隅々まで行っているのである。その大半が自作艇で、そうでなければ船体、すなわち鉄のハルとデッキを町工場で造ってもらい、内装は自分でするという半自作艇である。
そのヨットを舫うのに手を貸したとき、舵を取っているのが小柄な女性なら、舫いロープを投げてよこしたのも女性なのに気がついた。女性が舵をとって港に入ってくるのは、珍しいことである。舵取り自体、筋力を必要としないし、時化でもないかぎり車の運転より易しいのだが、夫婦やカップルが出入港するとき、アンカーを降ろすときなど、まず100パーセント男性が舵を取り、筋肉を使うアンカー作業を女性が受け持つのだ。案外ヨットはマッチョスポーツなのかもしれない。マッチョは常に楽で、安全なカッコイイ役を演ずるものなのだ。たとえば、舵を握るキャプテンがそのいい例だ。
その船は、港外は吹いていたし、夕暮れにやっと間に合った、という態で入ってきたので、暖かいスープでも飲みにこいとぺぺが誘った。しばらくして二人のフランス人女性がアトランティスにやってきた。それがカトリーヌとシャロとの初めての出会いだった。当時まだ独身だったぺぺはここぞとばかり、余りもののスープを捨て料理の腕をふるい、豪華なディナーがテーブルに並んだ。とっておきのワインが開けられたのはいうまでもあるまい。
正確には、女性は3人居たのだが、そのうちの一人はまだやっと歩くことができるかできないかという歳であり、女性としてもてなすには15、6年早すぎる。彼女たちはさらに雑種の中型犬一匹で乗り組み員を構成していた。その後、何度も招いたり招かれたりと、共に食事したり飲んだりを重ねた。
彼女らの船をつぶさに見ると、一つひとつ実に使い良くできているのに驚かされた。さらにカトリーヌがこの船を一人で造ったと聞かされてさらに驚いた。彼女が金を払って誰かを雇って造らせたんだろうと思っていたのだが、話を聞くにつれ、彼女自身が鉄板からヨットを創り上げ、エンジンを据え付け、マストを立て、配線、配管をし、内装の木工までこなしたことがわかった。それを自慢気に話すでもなく、トマトソースのレシピでも明かすかのように、細い柔らかな声で語るのだ。
大西洋をレース艇で往復し、鉄船を自分で造るような女性、逞しい男まさりの女──実際のカトリーヌはそんなイメージからかけ離れている。か細い体に、小さめの、心なしか下顎の張った顔、薄い灰色がかった青い目、優しい話しかた…どこをとっても、彼女の外観からはタフなヨットウーマンは浮かび上がってこないだろう。ただし、手だけは隠しようもない。節々の強張ったヨット乗りの手だった。
カトリーヌはヨット建造にとりかかる以前は、地元のヨットレースに出て、毎年ヴァカンスにはノルマンジーや地中海をクルーズし、大西洋もレース艇の回航クルーとして往復していたという、すでに経験を積んだヨット乗りであった。同時に彼女は歯科医であり、自分の診療所をもっていた。朝7時から3時まで歯科医として働き、それからの午後と夜をヨット造りに当てるのだという。
一番大変だったことは? という問いには、ヨットに塗るブレアエポキシなどのペイントが手に付いてなかなか落ちないので、翌日の診療のときには濃い色つきの手袋で隠したりしたことかな、と微笑んだ。それから真顔になって、妊娠と出産はチャレンジだったわね、と懐かしむように言ったものである。
彼女は船の完成までに7年の歳月を費やし、その間にプロのヨットレーサーに恋をし、二人の間に子供を持った。しかし、彼と離別することになった彼女は、ヨットを進水させ、2歳になる娘を連れ、途中ヒッチハイクのシャロをクルーとして乗せ、スペインのどこかの港で可哀想な犬を拾い、世界一周に出ようとするところだったのである。
カトリーヌたちは我々より一足先にジブラルタルを出ようとした。ヨット仲間が、向こうで会おうだの、途中ですぐに追いつく、追い抜くゾ、だの叫ぶなか出港しようとした。ところが、半艇身ほど桟橋を離れたところで、グイッと引き戻されるように彼女のヨットが跳ね返ってきた。それと同時に隣のヨットが飛び出した。このとき2隻が衝突を免れたのは奇跡といってよい。
何が起こったかというと、野次や見送りのうるささに気を取られたカトリーヌが隣の船に取った舫いロープをはずすのを忘れていたのである。見物人たちは大爆笑だった。「カトリーヌ、おれの船も引っ張って大西洋を渡ってくれ!」「桟橋を引いて大西洋を渡るつもりか」と騒々しい声援のなか、カトリーヌは「アララッ、わたしまたやっちゃったワ」と軽く肩を上げるフランス人特有のしぐさをして愛想を振りまいたあと港を去っていった。
カトリーヌの船が港外に消えていくのを待ってから、皆がそれぞれのヨットに帰っていた。歩きながら我が朋友、服部が感慨深そうにつぶやいたものである。「独立して、生活に溺れず、しかも肩肘をはらずに、日本の女性がああいう生き方が自然にできるようになるには20年はかかるだろうなぁ」と。
マルチニク島のアンカレッジに出かけたとき、「あそこでさかんに手を振っている裸の女性がいるんだが、あれはあなたの知り合いなのか」と連れ合いが言い出したので、見てみると、その女性はすでに鮮やかに海に飛び込んでこちらへ泳いでくるところだった。それがカトリーヌとの再会だった。
その後、何度かアンカレッジで出会ったが、ベネズエラのプエルト・ラ・クルスという街の狭い路地で、エンジンパーツの入った油ぎったビニールの袋を、黒く汚れた手にぶら下げている彼女に会ったのが最後だった。
第4回:カリブのお国事情