前作『聖アントニウスの誘惑』で想像力の翼を思いっきり広げたカロは、1617年に、それとは全くアプローチの異なる、というより正反対の方向性にある版画集を創ります。『きまぐれ(Capricci)』です。それはやがてアーティストが既存の表現方法や形式や表現対象などの枠にとらわれずに自由な表現、あるいは新たな表現領域を追求する際に用いられる言葉となっていきます。
例えばイタリア絵画の巨匠の一人、ジョバンニ・バティスタ・ティエポロ(1696-1770)や、ジョバンニ・バティスタ・ピラネージ(1720-1778)などがそれまでにはなかった画題《テーマ》を描き、それが『きまぐれ』に類する作品だとされるようになりますし、音楽の世界では『奇想曲』という名称で呼ばれる楽曲が創られるようにもなります。
つまりカロは、芸術の世界における一つの表現領域、表現者たちの創造性と独創性をインスパイアするような範例を創出したということです。
これは表現の世界においては極めて重要なことです。文化(Culture)いう言葉の語源には、耕す、という意味が含まれていて、これは文化が、社会の中で人間的な心を豊かに育むために人々が営々と耕してきた畑に他ならないということを表しています。人の感受性や豊かな心の広がりは、多様な畑、すなわち文化の多様性から芽生え育つからです。
これまで大公が主催する祝祭や行事や演劇や名画の複製などを主に制作し、それでは飽き足らずに、神曲に描かれた地獄を視覚化したり、多くの歴代の画家が想像力を競った『聖アントニウスの誘惑』で、自らの表現力を誇示したカロでしたけれども、カロはこの版画集では、祝祭都市フィレンツェの何気ない日常の情景を描いています。
つまりカロは、雇用主である王に依頼された画題《テーマ》ではなく、またすでに描かれてきた画題《テーマ》を踏襲するのでもなく、それまで画家たちが描いてはこなかったけれども、しかし自分自身の目が興味を持って捉えた対象に絞って表現するという斬新なアプローチで『きまぐれ』を展開しました。
このカロの秘められた意図の最も良き後継者は、何と言ってもスペインの画家フランシスコ・デ・ゴヤです。ゴヤは、長い時間をかけて43歳で主席宮廷画家の地位に上り詰めた時(1799)、自費で版画集を出版しました。そのタイトルがスペイン語でカロの版画集と同名の『きまぐれ(Caprichos)』でした。
ゴヤは宮廷画家に任命される前に、現在のプラド美術館に収蔵されている作品の母体となった王家のコレクションの重要絵画を版画にする仕事、いわばカタログをつくる仕事をしていましたし、カロが活躍した頃フィレンツェはスペイン帝国の傘下にありましたから当然、カロの『きまぐれ』の存在を知っていたでしょう。
しかもゴヤは版画集を販売するにあたって、新聞に宣伝を載せており、そこには「気の赴くままに描かれたかつてなかった版画集」と書かれています。そしてゴヤがそのような版画集をつくったのには、もう一つ重要な意図、もしくは時代的背景がありました。
それは隣国フランスで起きたフランス革命でした。フランスでは国民の中から新たに選ばれた議員による国民議会が1789年に人権宣言を交付し、1792年には、国民議会の投票によってルイ16世と妃のマリー・アントワネットの処刑を決議し、革命広場での公開処刑が執行されました。
それは人民が公式に王を裁いて処刑するという、前代未聞の歴史的大事件でした。そのなかでは、それまで権威の象徴だった教会も矢面に立たされました。噂は当然スペインのゴヤの耳にも届いたでしょう。
苦労して宮廷画家にはなったものの、というより、苦労して上り詰めたゴヤだからこそ、人民が主役となる新たな時代の風がやがてスペインにも吹くことになるだろう、そしてそうなれば、それまで王侯貴族や教会が最大の依頼主であった画家は、路頭に迷う事になると思ったでしょう。
だとしたら、これからの時代の主役である不特定多数の大衆に向けて、版画というマスプリントメディアを用いて作品をつくり、それを売る事で、新たな時代の、特定の権力者の拘束や既成概念を離れて自分が描きたい画題《テーマ》を描いて生きる新たな画家として生きていけるのではないか、そうすれば何者にもとらわれない画家というものがあり売るのではないか、それこそがゴヤの野望でした。
しかし時代をはるかに飛び越えたゴヤの早すぎる試みは失敗に終わりました。王と教会が絶対的な力を持ち、異端審問所が目を光らしていた当時のスペインにおいて、世間の常識や王侯貴族や教会を批判的な目で捉えた作品が問題にならないはずがありません。ゴヤは『きまぐれ』の販売を、たった三日間で中止せざるを得なくなりました。もしゴヤが主席宮廷画家でなければ、それだけでは到底すまなかったでしょう。
ただ、ゴヤが見据えて展開した地平はカロが漠然と夢見た表現の地平《フィールド》でもあったでしょう。そこにカロが、おそらくは本能的に為したことの先進性、ならびに視覚表現史における重要性があります。
ではこの不思議な版画集でカロが何を描いたのかを見てみましょう。フィレンツェの市街やその近郊でカロの目にとまった日常の情景を5.4×8.1㎝の小さなサイズの版画に描いていますが、画題《テーマ》は実にバラエティに富んでいます。

羊飼いと廃墟

走る人

ヴァイオリンを弾く人

右手を上げた人

二人の座っている人

カップを手にした農夫
50点の作品からなる版画集の中から何点かを紹介します。最初は『羊飼いと廃墟』、以下順に『走る人』、『ヴァイオリンを弾く人』、『右手を上げた人』、『二人の座っている人』、『カップを手にした農夫』です。
これまでのカロの作風とは全く異なり、人々の姿をありのままに描いています。どれも特別な人たちではありません。身分の高い人もいれば農民もいて、しかも特別な動作をしているわけでもありません。
同じ人物の姿を、一つは線描で、もう一つはそれにディテールを施した表現にしている作品があります。一枚の銅版に全く同じ人物を連続させて描いていて、線画の方は、まるでカロの羽根ペンによるスケッチのようです。カロのデッサン力と、それを生きいきと銅版画に版刻する技量の高さがよくわかります。
どうしてこのようなことをしたのかはわかりませんが、ただこうして全く同じ姿の描写密度を変えた画を連続させて見せられると、なんだか動感のようなものが感じられるのが不思議です。片方だけでは単なるスケッチですけれども、こうして連続させることで一種の実在感《リアリティ》と、カロという描き手の存在が浮かび上がるような気がします。同時にこの版画集はどうやら、後続の画家や版画家たちの教材としても用いられました。自らさまざまな技法を開発し、高度な技術と表現力を持つカロは、すでに後続の画家や版画家たちから手本とされるような存在になっていたということでしょう。
ちなみに、淡々としたトーンで、奇をてらったところなど微塵もないこの版画集は、意外なことに大成功したようです。フィレンツェの人々の鑑賞眼の高さが伺い知れます。
ちなみにこの版画集はカロの直接の雇用主である大公コジモ二世にではなく、弟のロレンツォ・デ・メディチに捧げられています。どうしてコジモ二世でないのかはわかりませんが、普通の人々の普段の姿や風景や、宮殿や立派な屋敷ではなく廃墟などを描いたこの作品は、前例のない試みでしたから、このような華やかさのない画題《テーマ》の小品は大公に差し上げるようなものではないという謙譲の気持ちを形式的に表すために、あるいは大公が作品に対してどのような評価を下すのかを間接的に見ようという意識が働いたのかもしれません。ただ、カロはこの作品を献辞の中で、自分の貧しい才能の畑で初めて咲かせ摘み取ることができた最初の本当の花、と表現していますから、内心は相当な自信作だったのでしょう。
師匠のパリジのデザインを勝手にアレンジしたり、祝祭の場面に無数の人を描き込んで自らの技量を誇示したり、先達の表現者に喧嘩をふっかけるかのように魑魅魍魎を満載した奇想天外な『聖アントニウスの誘惑』で見せた大向こうを唸らせようというような心意気はこの作品にはありません。けれども随所に、カロは自らの表現力と技量を何気なく展開しています。もう少し作品を見てみましょう。タイトルは順に、『自由に走り回る馬』、『シャベルを持った農夫』、『笛を吹く農夫』、『長剣と短剣による決闘』、『旗手』、『サンタクルス広場の球技大会』です。

自由に走り回る馬

シャベルを持った農夫

笛を吹く農夫

長剣と短剣による決闘

旗手

サンタクルス広場の球技大会
とても小さな画面に、大きな空間や動きが描きこまれています。全体にかなり通好みの表現で、見る人が見れば、カロの並外れた表現力と技量がわかるようになっています。この版画集は、特にフィレンツェの教養人の間で評判になったようで、『聖アントニウスの誘惑』のような版画としては規格外の大きさの版画で奔放な表現力を誇示したカロは、この作品では逆に、巧みに自らの豊かな才能を小さな画面の中に描きこんでいます。
『自由に走り回る馬』では小さな画面に18頭もの馬の異なる姿が描かれていて、どれも実に動的で、その中の一頭を油絵にしても十分成立する描写力をカロが有していることがわかります。しかも遠くの方にいる小さな馬をあえて描き込んでいて、まるで広大な平原で多くの馬たちが飛び跳ねているかのような空間性を演出しています。
『シャベルを持った農夫』と『笛を吹く農夫』は、どちらもトスカーナの田舎の風景を描いていますが、構図が秀逸です。『シャベルを持った農夫』では、背負ったシャベルや木を含め、描かれているものが右端に極端に集中していて、通常であればこのような描き方をすれば、重心が偏って絵が成立しないのですが、カロは高台に建つ農夫の向こうに斜めに緩やかに傾斜する広大な農地を配していて、その空白の部分と農夫とが絶妙のバランスを保っていて不自然さを全く感じさせません。見事です。
農夫が近くにいて、豊かな大地が下方に広がっているという情景は実際の自然の中ではよくありますし、だからと言って不自然ではありませんが、それは切れ目のない自然の空間の中にいるからであって、その自然さを画として切り取られた平面のなかに表現するとなれば話は別です。
『笛を吹く農夫』も似たような構図ですけれども、ちょっとした仕掛けを加えています。つまり空間を、手前の農夫と犬、その向こうに家畜を連ね、わざわざ馬か何かの体の半分を描いて横の広がりを演出し、さらには遠景に館と、そこに向かう人々の姿を芥子粒のような大きさでさりげなく描いて、遥か彼方にまで広がる空間を画面に収めています。そして農夫が吹く笛の音、まるでその音が彼方にまで静かにわたっていくかのようです。つまりカロが描いているのは、対象そのものではなく、人や景色が織りなす情景です。
『長剣と短剣による決闘』は版画集の中に2点ある決闘の場面を描いた版画の一点です。決闘というと、極めて特別なとんでもないことのように現代では思いますけれども、ヨーロッパでは決闘は、街中のありふれた情景の一つでした。決闘はちゃんとした裁判制度ができる前の4、5世紀頃から中世に至るまでは、善悪がつけがたいような揉め事があった時に、しばしば善悪の決着をつけるために行われました。神の采配によって正しいほうが勝つだろうということです。つまり一種の裁判でした。
これは騎士の美学にも受け継がれ、騎士物語の騎士たちは思い姫を巡ってであれ、自分の潔白を証明するためであれ、事あるごとにやたらと決闘をします。それで勝つ事で自分が正しかったと神に証明してもらうという事です。騎士たちが好きな馬上槍試合も同じような意味を持つ決闘のようなものでした。
カロの時代でも決闘はさかんに行われました。しかしその頃には裁判的な要素は薄まり、もっぱら名誉を巡って決闘が行われ、これはほとんど上流階級の男たちの一種の趣味かゲームのようなものでした。決闘にあたってはその都度、何を武器にするか、何をもって勝ちとするかが、双方の間で、あるいは立会人のアドバイスによって話し合われました。この版画で、二人が共に長剣と短剣を持っているのは、そういう試合をしようという取り決めがなされていたからでしょう。もう少し時代が近代に近づくと、やがて決闘の武器は剣からピストルに変わります。
『旗手』と『サンタクルス広場の球技大会』はどちらもいかにもカロ的でカロの得意技が遺憾無く発揮されています。つまり極めて動的な前景と無数の人による群像を遠くに配したダイナミックなカロ的な構図、あるいは画面構成がまず目を引きます。そして背後には、よくもまあ小さな画面にこれだけ多くの人々や動きや馬車や家などを描き込めるものだと感心せざるを得ないほどの点景が彫り込まれています。これはカロの技術をもって初めて成し得ることです。そして一瞬の動きを見事に捉えた動的な前景の人物の動作によって、その点の集まりのような群像の全体に動きがもたらされています。
このように一つひとつを見れば、カロの意図が静かに横溢する作品ばかりですから、これは確かにそれまでカロが蓄積してきた表現力や版刻の技術の集大成のような作品だと言わざるを得ません。しかもそれをあえて小さな画面の中に実現したのは、カロの底知れない自負の表れでしょう。
しかもこのような作品が正しく評価されたわけですから、このころのフィレンツェの文化度の高さが伺い知れます。ちなみに、自ら望遠鏡を発明して人の目には見えない木星の惑星を発見してその星を『メディチ家の星』と名付けたり、太陽の黒点を発見したり、さまざまな実験によって自然の中に秘められた法則を証明するなど、近代科学のパイオニアともいうべきガリレオ・ガリレイは、先に述べたようにコジモ二世の家庭教師を務めていましたし、コジモ二世が大公になってからは、ピサ大学の教授と大公直属の哲学者を兼任していましたが、カロがこの作品の制作を開始した1616年、天動説を唱えることをローマ教皇から禁止されています。
ガリレオが異端審問所から地動説を唱えたことで終身刑を宣告されたのは1633年ですけれども、その時にはトスカーナ大公が働きかけて軟禁に減刑してもらったりもしています。コジモ二世をはじめトスカーナ大公は、ローマ教皇から注意された後もなおガリレオを天才として庇護しつけたのですから、フィレンツェは軍事的には弱小の都市ですけれども、都市としての文化度の高さは当時にあって抜きんでていたのでしょう。それでなければカロの全く派手なところなどないけれども視覚表現史の観点からは極めて優れた作品であり、またフィレンツェのありふれた日常の情景を画題《テーマ》としたという意味では画期的な作品であるこの小品が評判になることはなかったかもしれません。そこには文化を重視し続けた歴代のメディチ家の面目とその成果が躍如しているように思われます。
-…つづく