第263回:"シングルハンダー症候群"
おしゃべりな人には色々なタイプがあります。長電話の人、たくさん人がいるところでは静かなのに、一対一になったとたん猛然としゃべりまくる人、会議などで一旦発言が許されたとなると、長々、得々と本題と無関係なことにハナシを広げて、果てしなく演説というのか自説を展開する人、様々です。このような人に共通しているのは、他人のことを考える、思いやる思考回路が一時的に遮断され、自分のことだけになってしまうことです。
私の父も有名なおしゃべりです。母と二人だけの時はあまり会話がない様なのですが、電話で日常のどうでもよいこと、全く緊急事態でないことを綿々と、微に入り細に入り喋り捲るのです。おまけに、私がさようなら、また電話するからね…と言ってから、この電話がこの世の別れとばかり、そういえば、隣の犬がフェンスを乗り越えてきて、イチゴ畑を荒らしたとか、遠い遠い親戚のまた親戚の誰それが死んだとか始めるのです。一体、母がどうやってこのおしゃべりダンナさんをコントロールしていたのか、大いに不思議です。
昔、ヨットで暮らしていたことがあります。家も仕事もない水上生活者でした。カリブの南端にあるグラナダという(スペインのグラナダではありません)一応独立したミニステートの島でアンカーしていた時、夜明けを待つように(GPSなどのなかった昔、ヨットでは暗闇の中、湾や港に入るのは絶対してはならないことでした)いかにも手作り風の20フィートくらい(7メートル程でしょうか)の小さなヨットが入ってきました。
髭も髪もボウボウと伸ばしっぱなしにした青年が一人乗っていました。うちのダンナさん、ひと目でシングルハンダー(単独航海者)が長い航海を終えてこの島にたどり着いたことを見て取ったのでしょう。こっちに来て朝ごはんでも一緒に摂らないかと彼を誘ったのです。
彼が私たちの船に上がってきたのは、恐らく朝の7時頃だった思います。それから彼のおしゃべり独演会が延々と続いたのです。オーストラリア人で南アフリカに立ち寄り、そこでお金を作り、大西洋を斜めに北上し、ここグラナダ島に着いたのでのです。彼のハナシはとても面白いのですが、なんとしても長すぎました。
朝ごはんが終わり、お昼御飯も一緒に食べ、晩御飯まで居座り、終いには彼の方が話しながら、カクッと瞬間寝てしまうことが何度もありましたが、ハッと目を覚まし、おしゃべりを続けるのです。今、この場で話してしまわなければ、大事な歴史の一部が失われるかのように話続けました。
幸い彼の方が再三、ガクッと首が下がるようになり、自分の船に引き上げていきましたが、夜の9時を回っていました。いくら暇なノンビリゆっくりをモットーにしたクルージングでも、3食含めた14時間は長すぎます。
私たちは単独のヨット乗りを呼んで一緒に食べたり、飲んだりする時、少し気を回すようになりました。全般的に長期のクルーズを終えたばかりのシングルハンダー、単独ヨット乗りは人恋しさのためでしょうか、話したいことが溜まりに溜まっているので、相手が聞いていようがいまいが、誰彼なく一方通行でしゃべりまくります。これを私たちは"シングルハンダー症候群"と名付けました。
ところが、陸に上がって暮らし始めて、この"シングルハンダー症候群"と呼んでもいいような孤独な人、話し相手がいない人が、陸にもゴマンといることに気がついたのです。人間だらけの町に住んでいてさえ、話し相手がいないというのは、なんと寂しいことなのでしょう。話したいことが山ほどあるのに聞いてくれる人がいないのはなんと悲しいことでしょう。
ウチの仙人は、私のことを田舎のアン・ランダースと呼んでいます。アン・ランダースは、人生相談の記事を全米の新聞に書いていた有名な人です。私の研究室に、学校のこととは別にこもごも人生相談に生徒、時々先生さえも来ます。そんな人たちがたくさん来て、長居し、私の仕事の時間を取ってしまうのに閉口し、いつもダンナさんに愚痴をこぼしているので、そんなあだ名を付けられてしまいました。
私は、アン・ランダースのように小気味良いかつ有益な返事をしているわけではありません。もっともそんなこと私にできるはずもありません。ただ、聞いてやるだけなのですが、それだけでも結構皆満足して帰っていきます。
都会の"シングルハンダー症候群"は自ら作りだしている病気だともいえます。もう少し、身内、友達の話を聞てあげ、もう少し自分のことばかり話すのを短くするだけで"シングルハンダー症候群"を抑えることができると思うのですが、その"少し"の基準が難しいのでしょうね。
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