第731回:血統書付の人間?
日本のニュースを時々、インターネットで覗いています。その中で、この頃毎回登場するのがマコ(眞子)さんの話題です。人気の女性アナウサーかなと思っていましたが、どうにも報道する人たちの言葉遣いがとても丁寧で、決して呼び捨てにしないどころか、“さん”ではなく“さま”付けで呼んでいるので、一体それだけ皆から尊敬を集めいているのは、アフガニスタンのマララさん、スウェーデンのティーンエイジャーの社会運動家、グレタ・トゥーンベリさんと肩を並べるほどの若い女性が日本にも現れたのか…と思っていました。
ウチのダンナさんに訊いても、「そりゃ、日本の皇室の誰かじゃないかなぁ…」と言うだけでさっぱり要領を得ません。マコさん、否、眞子様が何者であるか知ったのは、つい2、3日前のことです。今の天皇の弟の娘、姪っ子に当たる人なんですね。その姪っ子の結婚騒ぎを盛り上げるようにマスコミが報道しまくっているだけのことだとやっと気が付きました。それにしても、世の中に、世界に、もっと大事なこと、報道しなければならないことがたくさんあると思うのですが…。
そういえば、イギリスの王室では、ハリー王子が離婚暦のあるアメリカの黒人(アフリカンアメリカンと言わなければ、政治的に正しくないのでしょうけど)のメーガンさんと結婚し、王室を離れる話題がまさに旋風のように世界のマスコミを賑わしましたね。このニュースなども、私にとっては、どうして皆があれほど騒ぎ、ゴシップの中心になるのか全く分かりません。
日本人やイギリス人の王室好きは、多分に血筋を尊ぶ伝統に根ざしているように思われます。皇室だけでなく、何々家の長男が家を継ぎ、何代も続いてきているので、その粋である皇室に関心と尊敬を払うのでしょうか。この血統主義は、江戸時代に幕府がお家の系列でモラルを押し付け、子孫がおらず、血統が途絶えると“お家取り潰し”になったのが尾を引いているのでしょうか。それが、大名だけでなく、家老や家来の家にまで及び、皆さん、二号さん、三号さん、オメカケさんも動員し、必死になってセッセと息子造りに励んだのでしょうね。
私のお姑さん、ウチのダンナさんの母親のことですが、結婚した時、家長たるお爺さんの結婚祝いの言葉は、「3年して、子無きは去れ」だったと言っていました。お姑さん、子無きどころか、産めよ、増えよ、地に満ちよの勢いで6人の子を産んだのですが…。
私は“日本人特殊論”に全く組しません。われわれは特別だ、他の国、民族とは全く異なる独自のモノを持っていると…薄っぺらい日本人特殊論を耳にタコができるほど聞かされてきたせいでもあるでしょう。特殊なのは何十とあるアメリカインディアン部族も、アマゾンの未開部族も、それぞれに特殊だというレベルでは、日本人、日本の文化も特殊だと認めてよい、マア~、その程度の特殊さです。
そのような次元での特殊、特別なのは、異常に見えるほどの血統への信仰です。そのような血統信仰が天皇制に結び付き、支えてきたと思われます。もっとも、今の天皇家でも神武以来の血がメンメンと続いてきたかどうか、多くの歴史学者は疑問視しています。ましてや、チマタの家柄など、相当いい加減で、江戸時代に自分で家に重きを置かせるため、専門の家系屋に大枚叩いて作らせたものがほとんどのようです。大金を払うと、南北朝時代に別れた天皇家に至る家系図を作ってくれたと言います。
大いにダンナさんの入れ知恵ですが、日蓮上人はそんな血統信仰を頭から否定し、自分自身を海辺のセンダラ(インドのカーストの最下位以下の存在)の子だと言い、書いているのに、後の世で信者たちは、日蓮上人が聖武天皇の末裔だと言い出しています。日蓮さん、あの世から、「何をアホなことを言っているのだ、私が唱えたことの逆を行っているではないか」と、怒鳴りつけるでしょうね。それほど、信者、強いては日本人全体に広げていいでしょうけど、日蓮上人が当時最低の仕事をみなされていた漁民、賤民の子であることを赦さなかったのでしょうね。
血統主義、信仰が日本独自、これだけは他にあまり例を見ない特殊なことですが、家元制を生んだのことは間違いありません。
確かに、犬の品評会では血統書がモノをいいます。競馬馬は血筋が相当はっきり現れるそうで、どの雌馬にどのお婿さん、雄馬を掛け合わせるかで遺伝学的に生まれてくる仔馬の性質、性向を予想できると言われています。牛の世界でも、良い肉をたくさん付ける肉牛を造るには、雄、種牛が大切で、優れた種牛の精液は非常な高値で取引されます。これは私の母が、そのような種牛の精液を全米に売る会社で働いていたので、よく知っているのです。その会社の持ち主、社長さん、プライベートジェットで各地を飛び回るほど成功していました。
動物界では、血統がモノを言うのは確かなことのようです。人間界?では素晴らしく優秀な母体、マリリン・モンロー(チョッと古すぎるかな)のような身体に、アインシュタインの頭脳とシュワルツェネッガーの肉体を持った種男を掛け合わせて、優性だけを保存、発展させる種の保存の実験を積み重ねることなどできません。
バーナード・ショー(人気劇作家)とイサドラ・ダンカン(当時最高のダンサー)がパーティーで同席し、イサドラ・ダンカンが、「もし、私と貴方が結婚したら、私のすばらしい肉体と、貴方の優れた頭脳を持った子が生まれるでしょうね?」と言ったところ、バーナード・ショーは、「イヤイヤ、私たちの子は私の醜悪な肉体と、あなたの貧相な頭脳を持つことになるでしょう」と言った有名な逸話があります。
人類は元来品種改良がやりにくい存在なのです。人類の血統、血筋などと言っても、本人が重要だと思っているほど、正統的なものではなく、人類皆、相当な雑種なのです。
お国自慢は、自慢話の中ではマ~許せることです。それも他の人をケナサナイという条件付です。私自身、田舎の村で何代も過ごしていた、お爺さん、お婆さんの地元自慢を聞くのが結構好きです。ですが、一歩踏み違えて、他を見下したり、軽蔑するような言動になると、それはもう、差別に陥りやすい、危ういことになってしまいます。そこから、自分の家柄自慢、血筋自慢になるのは至極当たり前の道のように思えます。
ゲルマン民族の純血を唱え、何百万というユダヤ人、ジプシーを殺戮したナチスの政策を思い起こせば、血統を重んじる現実に有り得ない純血を唱えることがいかに危険なことであり、政治的に利用されやすいか思い出すべきだと思うのです。
血統などは犬、馬、牛など、家畜、ペットの世界だけのことにしておくべきで、人類に純血、血統など存在しないことを、肝に銘じておくべきだ…と、イギリス、日本の王室・皇室騒ぎを見て強く感じました。
-…つづく
第732回:税金はどこから来て、どう使われるのか?
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