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■フロンティア時代のアンチヒーローたち~西部女傑列伝 5
 

第2回:カルト・ケイト ~結婚と破綻、そしてワイオミングへ

更新日2017/06/08

 

1877年、ワトソン一家はアメリカ、カンサス州のレバノンというこれまた小さな町に引っ越している。どうにもその理由が分からない。家族が住んだのが村の中で、当時アメリカ政府が気前良く分け与えていた、ホーステッドの土地を貰う手続きすらしていないからだ。申し込みさえすれば160エーカーからの土地が、家族のメンバー別々に申し込めば、800~1,000エーカーの土地を無償で貰えたのだ。そして、よりによってこのレバノン、カンサスというところ、2000年の国勢調査で、人口218人とあるから、1877年にワトソン一家が越した時は寒村、貧村もいいところだったに違いない。

現在、どうにか村の命を救っているのは、アメリカ48州(アラスカ、ハワイを省く)の地理的中心が村の北東2.6マイルにある…ということがナショナル・ジオグラフィック・マガジンに掲載され、アメリカのオヘソだと少しモノ好きの間に知れ渡り、訪れる人が出てきたことくらいだろうか。

レバノンの町は1876年に設立されているから、町ができてその1年後にワトソン一家が越してきたことになる。ケイトはレバノンに仕事がなく、スミス・センター(Smith Center)に住み込みの女中として働きに出なければならなった。ということは、ワトソン一家は相当お金に困っていたのだろう。当然といえば当然のことで、ケイトが17歳の時に、弟、妹がすでに十数人はいただろうから、それだけの大家族を食べさせるだけでも大変なことだったろう。

ケイトが口減らしと何がしかのお金(現物支給だった可能性もあるが)を得ることができるなら、何を戸惑うことがあろうと、家を出て住み込み女中の職にありついたに違いない。住み込み女中は、食べることと寝るところの心配をしなく良いというだけが取り柄の最低の仕事だった。

両親が住むレバノンから10マイルほど真西に行ったところにスミス・センターの町はある。一応、スミス郡の首都だから極小規模の政治町といってよい。それにしても2010年ですら人口は2,000人に満たない。そんな町の下宿家のようなH.R.Stone家でコック兼雑用何でも係としてケイトは働いた。スミス・センターの下宿家で2年も働いた頃だろうか、ウィリアム・A・ピッケル(William A. Pickell)という牧童が足繁くケイトの元を訪れるようになり、田舎モノのポット出を地でいくケイトは手もなくピッケルの甘言に引っかかったのだ…と思う。

ケイトが下宿家の下働きから逃れたいと願っていた心理をピッケルは旨く突いた。もちろんケイトはピッケルが素晴らしい男性で、今でこそ一牧童だが、近い将来、自分の牧場を持ち、いずれ大牧場主になる…と思い込んでいた。その二人が結婚したのは1879年11月24日のことだった。


ケイトとピッケルの結婚記念写真。若い時のケイト唯一の写真。
このような不幸に終わった結婚の写真が現存するのは奇跡に近い。
ピッケルは静かで、優しそうな表情に写っている。ケイトは19歳、
すでに大柄な骨格に十分肉がつき、腰周りなどバーンと張り出し、
重量感にあふれている。ケイトの大きな顔がそう見せるのか、
彼女の目はツブラと読んでいいほど小さい。
口元は意思の強さを表すかのように、自然に引き締まっている。

一見優しそうなピッケルはとんだ食わせ者だった。
ピッケルがケイトに暴力をふるい出したのは、結婚後幾日も経たない時だった。いくらケイトが骨太の大女であっても、牧童として肉体労働を続けてきたピッケルに太刀打ちできるものではない。それにケイトは19歳のオボコ娘だったのだ。

この結婚が3年ももったことに驚く。ケイトが貧しい実家にオメオメと帰れない事情を見越したかのように、ピッケルの陰湿な暴力はエスカレートして行った。我慢できなくなり、ケイトは家を飛び出し、レバノンの実家に帰ったのは3年間の暴力に耐えてからで、むしろ遅すぎたほどだ。

ピッケルはすぐさま、ケイトの後を追い、レバノンのワトソン家に押しかけた。生粋のスコットランド魂を持つケイトの父親トム・ワトソンは事態を冷静に判断し、このゲスなピッケルの本性を見抜き、憤然とピッケルを追い返している。トムは相当キツイことをピッケルに言ったのか、ピッケルを叩きのめしでもしたのだろうか、その後、ピッケルはケイトの周囲をうろつかなくなった。だが、ケイトが再三起こした離婚訴訟に決して応じなかった。潔さのカケラも持たない小心者の典型を見る思いがする。

ピッケルのホトボリが冷めるのを待ち、ケイトは職を求めてネブラスカ州のレッドクラウド(Red Cloud, Nebraska)に移っている。この有名なインディアン酋長の名前をいただいた町は、もともとインディアンの狩猟場だった。ケイトが移り住んだ時、すでに郡の首都になってはいたが、首都といったところで人口1,000人内外の田舎の町だった。

そこのローヤル・ホテルという名前ばかりが立派なホテルで1年ほど、コック、メイドの下働きをし、それからコロラドのデンヴァー郊外に越している。デンヴァーに行ったのは、ケイトの弟がそこにおり、合流を図ったことのようだ。幾日も経ずして、そこからワイオミングはシャイアンに移動している。あきれるくらいよく動きまわっている。

ワイオミング州のシャイアンは牧畜業のメッカになりつつある、辺境の窓口的な町だった。シャイアンは当然、一攫千金組、荒くれのカウボーイ、ギャンブラー、山師が入り混じり、無法ともいえる状態だった。そんな町に、ケイトは一人で飛び込んで行ったのだ。

-…つづく

 

 

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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