■くらり、スペイン〜イベリア半島ふらりジカタビ、の巻

湯川カナ
(ゆかわ・かな)


1973年、長崎生まれ。受験戦争→学生起業→Yahoo! JAPAN第一号サーファーと、お調子者系ベビーブーマー人生まっしぐら。のはずが、ITバブル長者のチャンスもフイにして、「太陽が呼んでいた」とウソぶきながらスペインへ移住。昼からワイン飲んでシエスタする、スロウな生活実践中。ほぼ日刊イトイ新聞の連載もよろしく! 著書『カナ式ラテン生活』。


■移住を選んだ12人のアミーガたち、の巻(連載完了分)

■イベリア半島ふらりジカタビ、の巻
第1回:旅立ち、0キロメートル地点にて
第2回:移動遊園地で、命を惜しむ
第3回:佐賀的な町でジョン・レノンを探す(1)
第4回:佐賀的な町でジョン・レノンを探す(2)

■更新予定日:毎週木曜日




第5回:佐賀的な町でジョン・レノンを探す(3)

更新日2002/11/21


メリダの町は、紀元前25年、ローマ皇帝アウグストゥスによって建設された。彼はクレオパトラの恋人だったカエサル(シーザー)の養子であり、ローマ帝国黄金時代の礎を築いた大政治家。なんせアウグストゥスというのは『尊厳者』という意味である。欽ちゃんが『大将』、サブちゃんが『オヤジ』と呼ばれるようなものだ、だいたい。

んでもって、ローマ劇場が完成したのは紀元前15年。クレオパトラが死んで、まだ十数年しか経っていないころ、なのだ。彼女の鼻はどれだけ高かったか、いまではもうわからないけど、ローマ劇場がどれだけ立派だったかはすぐわかる。だって、ほとんどそのまま残ってるから。半円形でスロープを描く客席の前には、すっくとそびえる大理石の柱。その間には、頭や腕などを欠きながらも優美な雰囲気の彫刻が立ち並ぶ。

収容観客数は6千人余り、世界でもっとも保存状態の良いローマ劇場のひとつ。それなのに、毎年夏にはここで演劇フェスティバルが行われているという。おいおい傷つけたらどうするんだと心配になったのだけど、パンフレットの写真を見たら、そんなことはどうでも良いのだとわかった。それは、ライトアップされた劇場にオーケストラが配置された、夏の夜のある舞台の写真。なんというのだろう、無言の、圧倒的な、存在感。あぁここは劇場なのだ。劇場として用いられてこそ、用意された最高の表情を、2千年前の観客をも陶酔させたであろう顔を、見せてくれるのだ。納得。

にしても、石の建築っていいよな。少なくとも、数千年もの間、平気で残るという点だけでも充分に。


二大ローマ遺跡をあとにして、観光案内へ。もちろん、訊ねるのはあのことだ。「すみません、ここにジョン・レノンという通りがあると聞いたんですけど」 奥から出てきた、明らかにちょっとホモな兄ちゃんは、これを聞くとそこらの受付嬢よりも上手にニッコリと笑って地図を出した。「あるわよ。ほら、ここ。ね? わりと有名なのよ、なんたって名前がジョン・レノンだもんね。ウフッ」

どうしてこの名前になったのか、その理由も彼(または彼女)は知っていた。「まだこの通りに名前もないころ、『レノン』って名前のバル(居酒屋兼喫茶店)ができたの。そしたら真似して、ミュージシャンの名前をつけたバルがまわりにいっぱいできたのよ。そう、十数年前だったかな、通りに名前をつけるとき、いちばん有名だった『レノン』にちなんで『ジョン・レノン通り』にしようってことになったわけ。いまじゃすっかり観光名所よ」 彼(または彼女)はこう言うと、地図に丸をつけて笑顔で渡してくれた。


丘の上のローマ遺跡から、川に面したアラブ城塞近くのジョン・レノン通りまで1kmもないくらいの距離を、てくてく降りていく。土産物品店で絵はがきを買って外に出ると、急に強い風が吹き抜けた。空を見ると、さっきまでの青空が嘘のように厚い雲に覆われている。あーやっぱり当てにならない国営放送の天気予報。

スペイン製の、あまり酸素を透過しないコンタクトレンズを装着した目にゴミが入らぬよう気をつけながら、石畳を歩く。ローマ博物館は残念ながら閉館時間で入れなかったけど、なぁに入場券は一生有効だ。またのときに見学しよう。ふつうの通りにいきなりヌッと現れる、やっぱり紀元前1世紀に作られたダイアナ神殿などの遺跡に足を止めながら、坂を下りること十分ほど。着いた。たしかここが……。見上げた壁に、発見。

わーい、ジョン・レノン通りだー! 生没年まで、書いてある。……ぜんぜん本人とはゆかりないくせに。ま、いっか。道路の真ん中で写真を撮っていると、車のクラクション。すみませんと頭を下げると、さっきのタクシーの「若き羊飼い」が顔を出した。

「駅まで送ろうか? ちょうど行くところだから、ただでいいよ」「ありがとう、でもせっかくだからローマ橋を渡って帰ろうと思ってるんだ」「そうか、そいつは良い考えだ。じゃ、メリダを楽しんで帰れよー!」 小さな町なんだな。気温はぐっと下がってきたけど、やっぱり気持ちがあたたかくなるぜ、こういうことがあると。

川にかかるローマ橋は、町と同じ紀元前25年に作られたもの。全長792メートルで、石のアーチが60も連なっている。観光客、自転車に乗った近所の若者たち、ベビーカーを押すママ、喪服のおばあちゃん、犬、それぞれがそれぞれのペースで、がっしりした石橋の上をぽくぽくぽくぽく歩く。歩く速さ。それってローマ時代の速度、たぶん。ぽくぽくぽく。さよなら、メリダ。楽しかったなー。ぽくぽくぽく。


橋を渡りきって、さらに1kmくらい歩いたところでバス・ターミナルへ到着。出発まで15分ある。隣のバルでファンタを頼み、水とポテトチップとキットカットを買う。あとは途中の停車地のバルで、ボカディージョ(フランスパンサンド)を食べよう。帰りのバスは特急じゃなくて普通、座席は左右2列ずつだし、なにより所要時間が5時間。停車地も、休憩タイムも多い。夕方7時15分、隣町バダホスからマドリードへ行くバスに乗り込む。

最初の停車地トゥルヒージョで、ガタガタするベンチに腰掛けてキットカットをむしゃむしゃやっていると、隣に女性が座ってポテトチップを食べはじめた。しばらくして、アナウンスが流れる。マイクを通して割れた声が、さっぱり聞き取れない。その女性に訊くと、別のバスのことだという。「どこから来たの? へー、日本から。あっそうだ、ちょっと英語で話さない?」 は? なんで、と聞きかけたところで、今度こそ出発のアナウンス。次の停車地まで2時間ほど、なぜに英語なのかと悩み続ける。

バスは、国道沿いの大きな町で何度か停車する。そのたびに彼女、パロマと少しずつ喋った。実は、彼女は英語教師。「私の住むバダホスの町では、英語で会話する機会なんてないのよ。練習不足なの、お願い」とのことだった。なるほどね。今日は、マドリード郊外に住んでいるダンナさんのところへ行くのだという。

私が日本で本を出して、読者さんたちに絵ハガキ送ってるんだという話をしたら、パロマの目が輝いた。「私も、絵ハガキ大好きなの! ね、私は読者じゃないんだけど、一枚送ってもらえないかしら? 私からも送るわ、バダホスの絵ハガキ。いつか来てね、案内するから。それに来年は私もマドリードに越すから、会いましょうね。あっ、それから、絵ハガキは英語で書いてね!」

うーん私、英語はだいぶ忘れたのだけど。だいたい教師のパロマも「どこで英語を勉強したの?」の返事が「イン・スパニッシュ」じゃまずいと思うぞ。ま、いっか。ここはスペイン、あるいはスパニッシュだ。


バスは深夜0時過ぎにマドリードへ到着。マドリードの浜松町から池袋まで地下鉄で、そこからタクシーで成増あたりの家へと帰ったのでありました。かくして、第ニジカタビは終わったのでありました。ちゃちゃん。

 

 

第6回:パエージャ発祥の地、浜名な湖へ(1)

 
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