■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち


杉山淳一
(すぎやま・じゅんいち)


1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。




第1回~第50回まで

第51回~第100回まで

第101回~第150回まで


第151回:左に海、右に山
-予讃線 今治~多度津-
第152回:平野から山岳へ
-土讃線 多度津~阿波池田-

第153回:吉野川沿いのしまんと号
-土讃線 阿波池田~後免-

第154回:吹きすさぶ風の中
-土佐くろしお鉄道 阿佐線-

第155回:自然が創った庭園
-室戸岬・阿佐海岸鉄道-



■連載完了コラム
感性工学的テキスト商品学
~書き言葉のマーケティング
 
[全24回] 
デジタル時事放談
~コンピュータ社会の理想と現実
 
[全15回]

■更新予定日:毎週木曜日

 
第156回:阿波踊りの夜 -牟岐線-

更新日2006/08/24

海部から特急「剣山9号」に乗っている。正確には、この列車はまだ牟岐線の普通列車で、4駅先の牟岐から特急として運行する。リクライニングシートを使った、ちょっと贅沢な各駅停車だ。

四国の東海岸に建設された牟岐線は、高知から室戸岬を経由して徳島へ至る路線として計画された。この路線は両端から建設されたが未成に終わる。徳島から伸びた線路は1973年に海部へ到達したが、国鉄の赤字が問題となって工事は中止。甲浦までの造りかけの線路は第三セクターの阿佐海岸鉄道として開業した。


海部駅にて。

だから牟岐線と阿佐海岸鉄道は路線としては一体のもので、お互いの会社の車両が直通する。もっとも、全体的な本数が少ないから一体感に希薄である。阿佐海岸鉄道は一日約20往復。牟岐線は徳島付近でさえ30往復程度で、末端に行くほど本数が減り14往復程度である。これではあまりにも不便だろうと、特急列車の末端区間を普通列車として開放している。私が乗った列車も牟岐までは普通列車で、特急剣山9号に"成る"のは牟岐から先、というわけだ。

私は"剣山"を"けんざん"と読んでいたけれど、正しくは湯桶読みで"つるぎさん"と読むらしい。剣山は徳島県の最高峰で、石鎚山に次いで西日本第二の高さを誇る山だ。堂々たる列車名だが、列車のほうはたった2両のディーゼルカーであった。白と青でお色直しをしているけれど、国鉄時代に製造された旧型である。

剣山9号は反時計回りで剣山の周りを巡る。海部から牟岐線を北上し、徳島からは徳島線で内陸に向かい、阿波池田まで走る。徳島から阿波池田までの徳島本線も未乗区間だ。しかし今回はそこまで乗らないで、徳島で降りると決めていた。徳島から先は日没となり景色が見えないし、徳島で見物したいところがある。

海部を出ると高架区間を走り海部川を渡った。一級河川としては珍しくダムがないことで釣人に知られているという。なぜ釣り人かというと、せき止められない川は常に清水が流れ続け、魚が住みやすいからだ。ダムのない海部川は、大雨になると大量の土砂を流す。それが海に貯まり、サーフィンに最適な大波を作りだす。海部もまた、四国らしく川の恩恵をたっぷり受けた街である。


海の風景はほんの幕間。

時刻表を見ると、牟岐線と阿佐海岸鉄道を合わせて阿波室戸シーサイドラインと表記している。JRが発足してから、正式な路線名を使わず愛称を付ける路線が目立ってきた。東北本線を宇都宮線と呼ぶようなものだ。しかし阿波室戸シーサイドラインという名はどうかと思う。たしかにシーサイドを走っているが、トンネルばかりで海の景色をゆっくり楽しめないし、そもそも室戸に通じていない。

牟岐を過ぎるとますます海から遠ざかる。次の停車駅は日和佐。ここは海に近い。ウミガメの産卵で全国的にも知られているところだ。阿波室戸シーサイドラインという名前ではなく、海部日和佐ウミガメラインにすればいいのに、と思う。しかし、そんな思いつきもまた、長いトンネルにかき消されてしまった。チラチラと見える海。そしてトンネル。こういう路線は通過するだけでは面白くない、と思う。ここぞという駅で降りて、海まで散歩してみたい。


空腹を救うキャラメル。


水田とため池と。

木岐を通過して再び海岸になる。その次に田井ノ浜という臨時の駅があって、海水浴シーズンのみの営業である。"鯛の浜"だったらグルメが押し寄せそうだ。どうも発想が役場の観光課長並みである。それくらい何とかしたくなる路線だとも言える。由岐を出るとふたつめのトンネルが長い。経験的に、長いトンネルを通り抜けると景色が変わる。海岸線から山の中になった。阿波福井は山の中の駅。川の水利で発展した、四国らしい風景だ。地図を見ると、ここにも金刀比羅神社がある。航海の神の社。海から船が上ってきた名残ではないか。

ここから風景はどんどん開けていく。水田が多い。ため池も多い。水に親しみ、水に苦労した徳島人。その営みが田園風景に見え隠れする。既に日が暮れて景色が青みがかっている。窓ガラスに車内が映るようになった。とたんに空腹になり、室戸岬の土産屋で買った鳴門金時キャラメルでしのぐ。

阿南駅。人口7万8000人の街を代表する駅である。特産品は意外にも工業製品のダイオードである。発明特許訴訟で取りざたされた青色ダイオードもこの街で誕生した。阿南市は日本有数のLEDの産地であり、光の町として観光に力を入れているそうだ。ライトアップやオブジェにLEDのイルミネーションを使っていると言うけれど、駅の構内には使われていないようである。


徳島駅着。

17時52分。徳島着。私は予定通りに剣山9号を降りた。今日はこの街に泊まるつもりで、駅前のホテルを予約している。列車の旅を欲張るなら、このまま剣山9号で阿波池田に行き、折り返してもいい。しかし、この暗さでは車窓を眺められないだろう。私は予約したホテルにチェックインして、荷物を降ろして街に出た。雨が降っているのでビニール傘を借り、のんびり歩いて阿波踊り会館に向かう。じつはそこにロープウェイがあって、上れば徳島の街が見渡せるらしい。暗くなってしまったけれど、それなら夜景が楽しめるだろう。


闇にそびえる阿波踊り会館。

阿波踊り会館に入り、ロープウェイはどこかと聞くと、受付の女性が困った顔をして、今は動いていないという。なんということだ。愛媛の御荘ローブウェイに続き、またしてもロープウェイに嫌われた。話を聞けば、17時30分で終了だという。そんなはずはない。私が持ってきたガイドブックには3月末~8月末までの金曜と土曜は21時まで延長運転すると書いてあった。今日は4月の土曜日だ。そういうと、確かに昔はそうでした、と言われた。ガイドブックをよく見ると2004-2005年版と書いてある。去年の情報が今年は通じないのだ。

がっかりしていると、せっかくだから阿波踊りを観て行きなさい、となだめられた。20時から阿波踊り会館のステージで阿波踊りを実演してくれるそうだ。時間つぶしに街を歩き、徳島ラーメンを食べる。ごく普通の豚骨ラーメンで、味付け豚バラ肉をどんと載せるところが徳島だそうである。鳴門巻きを載せてくれた方が面白いのに、と思いながらもなかなかの美味。スープの残り一滴まですすって店を出た。

少し眠気を感じつつ阿波踊り会館に戻る。本場の阿波踊りは華やかで楽しかった。路上の踊りそのままではなく、ステージイベントとしてしっかりと構成してある。女踊りの「やっと、やっとー」の声が心地よく響く。最後は観客を交えての大騒ぎで大団円。ロープエーウェイは悔しかったが、思い出に残る夜になった。なに、徳島線を残しているのだ。徳島にはまた別の機会に訪れることになる。そのときまでロープウェイが廃止にならぬよう、ただ祈るばかりであった。


ゑびす連のステージ。

-…つづく

第144回からの行程図
(GIFファイル)