樽見鉄道を往復して大垣に戻った。時計は8時半。取材は昼頃から始めようと思っているから、まだたっぷり時間がある。そして目の前に近鉄養老線の大垣駅がある。この路線はまだ乗ったことがない。なんの飾りもない佇まいの駅も、私には「さぁ、こっちにいらっしゃい」と門が開いているように見える。ネオン街に誘われる御仁のように、ふらふらと駅に引き寄せられ、我に返ったときは切符を握っていた。
近鉄養老線は三重県の桑名からここ大垣を経由して揖斐に至る路線だ。路線長は57.6 kmで、近鉄の路線としては3番目に長い。桑名から揖斐まで通して乗ると所要時間は約2時間もかかる。列車はすべて各駅停車で、日中は1時間に1本しか走らない。長大なローカル線である。
大垣駅。左が桑名方面。右が揖斐方面。
近鉄大垣駅は行き止まり式のホームになっていた。大垣は養老線の中間駅だが、運転系統はここで分断されている。揖斐方面と桑名方面は独立したダイヤになっていて、別の路線のような運行形態である。大垣駅の乗り換え時間も長く、直通客の乗り換えは考慮されていないようだ。
こんな線路配置を見ると、きっと大垣駅を起点にふたつの路線があり、近鉄養老線に統合されたのだろうな、と想像できる。歴史をひもとけばその通りで、1918(大正7)年に養老鉄道が大垣を起点にふたつの路線を開業した。当時、北方面は池野、南方向は養老まで達していたという。その後、鉄道会社の合併、分離、統合という過程を経て、現在は近鉄養老線としてひとくくりにされている。地元の人々は北行を揖斐線、南行を養老線と呼ぶそうだ。私は8時40分発の揖斐線に乗った。
2両編成の電車。ワンマンカーで車掌は乗らない。走り出してしばらくすると、右にJRの線路が去って、左に養老方面の線路が別れていく。室という駅に停まった。何人か乗ってくる。右側に大きな工場を見つつ、線路はゆるやかに右にカーブした。カーブの外側、公園のような土手にツツジが咲き乱れている。車窓が一瞬、華やかになる。
快晴。何気なく咲く花が美しく見える。
JRの線路をくぐった。大垣の街から遠ざかるにつれて建物が減っていく。車窓は住宅と緑が半々で、やや退屈な風景である。そのリズムを適度に崩すように大きな工場が見える。広神戸という駅の手前に安藤大理石という看板の工場を見つけた。岐阜県赤坂、関ヶ原あたりは大理石の産地だと聞く。大理石というと中国を連想するが、日本にもある。
後に調べると、安藤大理石という会社は岐阜で創業、現在の本社は東京で、しかも私の住まいのそばだった。不思議な縁だが、ふと気まぐれにインターネットを調べなければ気がつかなかった。旅に出るといろいろなことを発見できるが、インターネットを使うとさらに驚くことがある。物見遊山という点ではどちらも似たようなものだけれど、両者を組み合わせると、こんな不思議な縁を見つけられる。
この先、終点の揖斐まで、アパートや家や工場が並ぶ車窓が続いた。線路は山裾までもうすこし、というところで終わっている。揖斐駅は岐阜県揖斐町の南端にあり、町の入り口になっている。町域は9割が山林で、宅地は1パーセントに満たない。この揖斐を目指して、かつては名鉄揖斐線も乗り入れていた。その駅舎跡は揖斐川の向こうにあるはずだが、見れば何故乗り逃したかと悔やむだろう。ここで引き返す。
帰り道は乗客が多かった。遊びに出かける女の子たちで車内が華やかになる。退屈な景色と書いたが、よく見れば駅や住宅の庭に花が咲き、初夏の日射しに揺れている。良い季節に来たな、と嬉しくなる。
また大垣に戻ってきた。9時34分着。次の桑名行は10時6分発。同じ路線で先へ行くというのに、30分も待ち時間がある。いっそ違う路線名にすればいいと思う。しかし、事業会計が別になれば、末端区間の通称揖斐線はリストラの対象になってしまうかも知れない。
桑名行の電車は3両編成で、揖斐行より1両多い。1時間に1本という頻度は同じだが、輸送量は5割増しである。乗客も多く、ロングシートの半分が埋まった。休日の午前中としては上々の入りである。閑散とした揖斐行と比較すれば、やはり南側は成績が良いらしい。
電車は揖斐行と同じ方向に走り出す。しかし今度は2本並んだ線路の左側だ。揖斐行の線路と別れ、しばらく走ると西大垣駅に着く。ここには車庫があった。近鉄養老線の全車両が収容するためか、単線のローカル線に付属する車庫としては広い。地図を見ると、その向こうには大きな工場が4つもある。車窓左側は住宅が多い。こんなに住宅が多く、工場もたくさんあるのに、なぜ鉄道のお客は少ないのだろうか。
平野をまっすぐ進むと新幹線のガードを潜った。岐阜羽島に新幹線の駅を作るくらいなら、こっちに作れば良かったのに、と思う。寂しげな羽島に比べると、こちらのほうが人は多い。羽島は岐阜県庁に近いけれど、岐阜駅から新幹線に乗るには古屋に出た方が早い。岐阜県にとっても、産業新興都市の大垣にメリットが大きかったはずだ。
新幹線ガードの先、車窓左手に大きな工場がある。イビデンという会社で、ICやメモリモジュールの基盤、電子回路のプリント基板を作っている。まさにITの基盤を支える先進企業だが、実はこの会社の創業は古く1906(明治39)年である。最初の事業は揖斐川の水力発電で、養老電鉄に電力を供給していた。一時は養老鉄道の経営に参画したこともある。
養老駅にて。
電車は住宅街を進んでいる。少しずつ緑が増えて、遠くに目をやれば山が近づいてくる。養老の滝の伝説で知られる養老山地だ。養老山地は関ヶ原の南あたりから盛り上がり、三重県桑名の北部、木曽川と揖斐川が寄り添うあたりに下がっていく山地である。近鉄養老線はここから養老山地の東側の裾野を走っていく。車窓右側は土手が続き、揖斐川に沿っている。先ほどまでの住宅地とはまったく異なって、盆地と平野を結ぶ山岳路線になった。電車は力強く上り下りを繰り返す。
養老駅では列車のすれ違いのため8分間停車するという。家族連れや若いグループが降りていく。徒歩10分ほどのところに養老公園がある。養老の滝にちなんで、明治13年に開園された由緒ある公園だ。ここには養老天命反転地というテーマパークがあり、先鋭的で大規模な芸術作品を組み合わせた珍しい風景が眺められるという。しかし、そんなところにひとりで行ってもつまらないだろうから行かない。
屋外芸術鑑賞は、気のあった仲間と談笑しつつ、アート作品を交えてボケと突っ込みを繰り返すから愉しいのであって、ひとりで行っても寂しいだけだ。電車に乗るときはひとりが気楽だが、観光地で降りるとなると仲間がほしい。電車に乗っているときも仲間がいた方が楽しいけれど、そうなると車窓を眺めるどころではなくなってしまう。
養老山地の麓を駆け抜ける。
少しずつ乗客が増えてきた。まるで養老駅が分水嶺であるかのように、人の流れは桑名に向かっている。かなりお客さんが多い。私の回りは女学生、年寄りと孫の女の子。親子連れだ。列車は1時間に1本しか走らないけれど、慣れると生活のリズムにうまく組み込まれるのだろう。
電車は養老山地の裾を回り込むように走った。車窓左は住宅や商店が建ち並ぶ。山裾には畑ができている。四角い畑などひとつもない。少しでも平らな場所を見つけて、かなり頑張って開墾したようだ。
美濃松山から列車交換が多くなった。桑名の都市圏に入ると、列車の本数が増え、30分に1本になる。終点の桑名着時刻は11時17分。さて、そろそろ大垣に戻り、取材を始めなくてはいけない。私は57.6
km、2時間の旅の余韻に浸る間もなく、JR関西本線のホームへ急いだ。
桑名側は列車の本数が多い。
-…つづく
第108回以降の行程図
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