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第533回:疑惑の幸福神社 - くま川鉄道 2 -

更新日2014/12/11


鉄橋から四つ目に“おかどめ幸福駅”がある。くま川鉄道の発足時に新設された駅だ。縁起の良い駅名だけど、由来は近隣の岡留熊野座神社の“おかどめ”と、この神社が“幸福”神社と呼ばれているからだという。北海道広尾線に幸福駅があって、広尾線が廃止されているから、現在は「幸福」を名乗る駅名はここだけ。北海道の幸福駅はアイヌ語由来の幸震という地名と福井県からの入植者が多かったからだ。過酷な開拓民の希望を思わせる。


おかどめ幸福駅で団体客が降りた

それに比べて別名“幸福神社”はどうだろう。本当にそう呼ばれているのだろうか。ちなみに“岡留”のほうは、かつて襲来した蒙古軍をここに留めるという意味。地に足が着いた由来である。こちらを引き立てて、戦勝の神、土壇場の踏ん張り祈願としたほうが良さそうだ。

眉唾な縁起駅名であっても人気があるようで、ここで団体客がごっそりと降りていく。貸し切りバスが待っていて、幸福神社にお参りするコースのようだ。この団体のために2両の観光車両を仕立てたけど、全路線の半分まで、しかも片道しか乗ってくれない。くま川鉄道が気の毒だと思う反面、なんで終着駅を縁起駅名にしなかったか。あるいは終点まで乗ってもらう魅力を発信できなかったか。そう思うと悔しくなる。


あさぎり駅付近に国鉄型の気動車。廃車体だろうか

がらんとした車内で、観光ガイドとして乗ってきた乗務員も拍子抜けしているようだ。その落胆にたたみかけるように、次のあさぎり駅で、私たち以外の客も降りてしまった。張り切っていたガイドさんの観光放送も終わってしまった。二人だけとはいえ、私たちも観光客のようなものだが。団体おこぼれの観光車両だから、現実を受け止めるだけである。もっとも、この先はガイドするような景色がないのかもしれない。


ブルートレインたらぎ

いや、そんなことはないぞ。多良木駅に近づくと、ブルートレインが見えた。正しくはブルートレイン用の14系客車を再利用した宿泊施設、ブルートレインたらぎである。2010年に開業した。そういえば、開業のニュースを知ったとき、この地に来たら泊まってみようと思っていた。すっかり忘れていた。そして思い出した。私がニュースサイトに関わっていた頃、開業のニュースのために写真を請求したけれど、3年経った未だに届いていない。電話をかけたら「責任者が出かけている」と言われてそれっきり。責任者さんは今ごろどこにいるのだろうか。


湯前駅に到着

線路はずっと真っ直ぐである。車窓は田園地帯と住宅のまま。ときどき車窓右側に製材所が現れて、真新しい材木が積み上げられている。車窓左手には山が迫っている。そろそろ人吉盆地のどん詰まり。そこに湯前駅がある。雨模様の空、湯前というくらいだから温泉があるかもしれないと思う。しかし、その期待は裏切られた。終点の湯前駅の周辺は民家があるだけ。ただしその民家の壁に棚があり、農作物の無人販売所だった。細いイチゴが詰まったパックが100円。100円なら悪くないと思って手に取り、箱に100円玉を入れた。消費税は必要だろうか。しかし5円玉がないから、勝手に内税とさせていただく。


折り返しで30分以上も待機するKUMA

駅に向かって振り返ると、駅舎に隣接して洒落た建物がある。金属フレームとガラスを多用し、コンクリート打ちっ放しの壁。バブル時代のカフェバーのようだ。湯~とぴあと書いてあるけれど、風呂はなさそうで、地元の特産物を販売する店がある。ほかに見るものもないし、冷やかしてみた。冷蔵ケースの中にイチゴのパックが入っていた。200円でスーパーマーケットのお買い得品くらいのサイズになり、300円で立派な粒になった。格差に厳格な土地柄だろうか。さっきの100円のイチゴに納得してしまった。


イチゴ100円。品種は“さがほのか”

イチゴを買うと何となく悔しいから、パンと饅頭を買って戻る。風ちゃんと分け合って、帰りの列車の出発時刻を待つ。私たちが乗ってきた列車は11時03分に到着し、11時40分に折り返す。団体さんのために仕立てた観光列車“KUMA”が、ずっとホームで待っている。発車まで間があるけれど、ホームに立って周囲を見渡す。人吉方面の線路は遠くの方で霧雨に隠されている。反対側の線路は途切れている。終着駅だから当然ではある。


湯前駅、左が湯~とぴあ

しかし、この線路はもっと先へ行くはずだった。北東に延びてきた線路は湯前駅の手前で東に向きを変え、そこに湯前駅はある。意図のある進路変更だと思わせる。湯前線はもともと、九州山地の南側をかすめて南東に進む予定だった。地図を見ると、おそらく国道219号線に沿うルートだ。そのまま進んで分水嶺を超えると一ツ瀬ダムがあり、少し下ると杉安ダムがある。


湯~とぴあにも寄ってみた

杉安と言えば、かつて国鉄の妻線の終点があったところだ。湯前線は妻線と接続して、人吉と宮城県佐土原を結ぶ計画だった。佐土原駅は日豊本線の駅で、宮崎駅の少し北である。私は高校時代に九州のひとり旅で妻線に乗っている。妻線はとっくに廃止された。妻を失った湯前線が存続し、眉唾な縁起駅を作って観光客を誘っている。それは湯前線にとって幸福なんだろうか。幸福だろうな。短距離とはいえ、お客さんで満席になる。そんなローカル線は珍しいのだ。


林業が盛んのようだ

出発の時刻になった。車内に戻ると、私服の女子高生くらいの女の子がスマートホンをいじっている。結局、乗客は私たちとその女の子、待機所に戻るであろうガイドさんだけだ。帰り道は雨がやや強くなり、とうとう窓ガラスが曇って景色どころではなくなった。タオルで拭いつつ景色を見る。そこまでしなくてもいいと思うけれど、景色を見るほかにすべきことがない。


帰路でみかけた幸福神社

おかどめ幸福駅の手前にコンクリート製の鳥居が立っている。写真を撮ってみた。鳥居の真ん中に銅色の看板が取り付けられている。そこには「幸福神社」と書いてあった。幸福神社は実在したか、と思う反面、どうも鳥居も看板も新しすぎるような気がした。私の幸福神社への疑惑は消えない。ただ、鳥居の周辺の佇まいは良さそうだった。ちょっと歩いてみたくなる。そんな感じだ。しかし、もう再訪することはないだろう。

-…つづく


杉山 淳一
(すぎやま・じゅんいち)
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1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。
<<杉山淳一の著書>>

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発行:マイナビ

■著書
『ぼくは乗り鉄、おでかけ日和。』
~日本全国列車旅、
達人のとっておき33選~


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