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■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち
 
第360回:山里の猿、川沿いのザイル -富山地方鉄道 立山線-

更新日2010/12/16


岩峅寺駅から立山行きの電車に乗り継ぐ。さっき見た趣のある庇の下で、向かいの富山行きホームのベンチに、黒い服を着た少女が座っている。黒い小猫が乙女に変身したらこうなるのかな、という風情である。いわさきちひろさんならどんな絵にするだろう。宮崎駿さんならどんなアニメになるだろう。そんなことを考えながらぼんやりと眺めていた。「真島満秀氏が存命なら、青春18きっぷのポスターのような、いい写真になるだろうな」とカメラを構えたけれど、シャッターは押さなかった。思い出として心に収めておこう。きっと時が経つほど美しくなるだろう。


立山行きに乗り換える。

電車の到着時間が近づいたようで、駅員氏が出てきた。さっき上滝線で見た鉄橋の話をした。「あの川は立山から流れてくるのですか」と訊ねると、「そうです。安政の地震でカルデラが壊れて、流れが変わったんですよ」と言った。流れが変わる前を知っているかのような話しぶりが面白い。

一般に安政の地震というと関東地方の大地震を言うけれど、彼のいう安政の地震とは、安政年間に富山から岐阜にかけて起きた飛越地震だろう。立山連峰の鳶山が崩壊して、立山のカルデラに土砂が流入。常願寺川がせき止められ、のちに決壊して大暴れしたらしい。今もかなりの土砂が堆積しているそうで、砂防工事が行われているという。


富山行きを待って発車する。

立山行きの電車は、上滝線と同じく元京阪電鉄の2両編成だった。黄色と緑の塗装も同じ。富山地方鉄道といえば、白地の車体に窓周りがグレー、窓下に赤い帯、という印象が強い。その色の車両もある。黄色と緑は各駅停車用、白は特急用という区別だろうか。各駅停車用といっても元は京阪の特急用だから、二人掛けのシートがずらりと並んでいる。


中吊り広告の女の子。

中吊りで「路面電車で行こうよ」と題した広告があって、少女が笑顔を見せている。広告主は日本路面軌道連絡協議会とある。富山地方鉄道が参加している団体だろう。そういえば今年、富山で路面電車サミットが開催されたという記事を見た気がする。この女の子は石井安奈さんという歌手らしい。新人だろうか。人気がある人なんだろうか。私はもうおじさんだから、テレビに出る若い人の名前がわからない。若いころ、年寄り臭いと馬鹿にしていた懐メロ番組を、懐かしく楽しめる年齢になってしまった。

正面に立山連峰が迫ってきた。このあたりはちょうど平野部と山村の境目で、家は少なく、畑は多く、線路も上り坂である。空席も多いけれど、私は風景が見たくて運転席の後ろに立っていた。私は平野部から山間へ入っていく風景が好きだ。初めて乗る路線は特に、カーブの先の風景が予想できないから飽きない。

直線の先が見通せるところで、かなり前方を何かが横切った。初めは野良猫かと思ったけれど、線路の幅と比較して、猫より大きい気がした。あれは猫ではない。色はグレーだから鹿でもなかろう。なんだろうと思いつつ、電車が進めばその現場が近づく。また横切った。今度は姿がわかった。猿だ。このあたりは野生の猿が出るのか。


さるさるさるー!

いけない事とは思いつつ、運転士さんに話しかけてしまった。
「いまの、猿ですよね」
「はい」、彼は前を向いたまま応えた。
「このあたり、よく出るんですか」
「そうですねぇ」
その会話が聞こえたのか、座席の客たちからも猿だ猿だと声が上がった。観光客にとっては幸運な見ものかもしれない。猿が横切った先には畑があった。よく見ると数頭の猿がいて、畑から何かを掘り出して食べていた。畑のそばに建物があるけれど、主は気づかない、あるいは無人だろう。畑の主は気の毒だとも思う。しかし、猿たちも生きるために食べている。その様子を見てしまうと責められない。畑の主もそう思っているだろうか。


山里の風景。

私は今までに、線路を横切る猫や狸、狐、鹿などを見ている。今日は野生の猿を初めて見た。異常気象や開発の影響で、山に動物たちの餌がなくなり、里に下りてくる。そんなニュースが増えている。ただし猿に限っていうと、彼らは賢いから、山で捕食するよりも、畑から得たほうが楽だと知恵をつけているだろう。東京都心でも猿が出没したと聞く。

猿が出たあたりが人里と山岳の境目のようだった。畑がなくなり、右側に川が寄り添う。さっき上滝線で渡った常願寺川である。両岸は森で、木々が色づき始めている。このあたり、紅葉にはまだ早いようだ。しかし、携帯端末で天気予報を見たところ、立山美女平は見頃となっていた。美女平はいつか信州から立山黒部アルペンルートで訪れようと思っている。立山にはもうひとつ、称名滝という名所があるらしく、今日はそこへ足を伸ばそうと思っている。


常願寺川を渡る。

この常願寺川を渡って進んでいくと有峰口駅がある。島式ホームで列車交換が可能になっている。ホームにアマチュアカメラマンがいて、三脚を立ててこちらに向けて構えている。どこのローカル線にも一人や二人くらい鉄道ファンがいる。しかし、駅に到着してみると、数人の鉄道ファンに囲まれた。何か珍しいことでもあるのかと聞いてみたけれど、照れ笑いを浮かべるだけだった。地元の鉄道ファンか写真クラブだろうか。私も彼らに倣ってカメラを構えた。対向列車がやってくる。正面に2枚窓の14760形だった。しかし、富山駅で見た特急用塗装ではなく、こちらと同じ黄色と緑の塗装だった。特急と各駅停車で塗り分けているのではなく、黄色と緑のほうが新しいイメージカラーかもしれない。


有峰口駅。

谷が深まるかと思っていたら、有峰口駅の先で景色が開けた。常願寺川を渡り、しばらく進むと川幅が数倍なった。水の流れは細いまま、白い河原が広がっていく。その眩しさは、曇天にもかかわらず、車内を少し明るくするほどだった。私は「川は水源から少しずつ広がって河口に至るもの」と思っていたけれど、その見識は覆えされた。これがカルデラ決壊の時に作られた地形だろうか。


対向列車を撮る。

その広い河原の右端に線路があって、電車は本宮駅に停まった。ホーム1本の小さな駅である。もうひとつホームと線路敷きの跡があった。かつては列車のすれ違いができたようだ。本宮駅を出ると、自動放送が「あと10分ほどで終点の立山です」といった。隣の駅まで10分もかかる。それほど人のいないところだ。そして、そんな長距離区間なのに、本宮駅のすれ違い設備を撤去してしまった。列車の本数が少ないところであり、もう増やせない。


川幅が広くなった。

立山線のこのあたりは、上下とも1時間に1本の普通列車が設定されており、観光シーズンのみ特急列車を増発するというダイヤになっている。ここに限らず、地方鉄道のキロ当たりの運賃なんて遊園地のアトラクションより安いから、維持費するだけでも大変だろう。素人考えだって30分おきのバスのほうが便利だ。それでも鉄道を残す理由は、やはり冬や悪天候時の輸送確保だろうか。この線路は、立山と富山を結ぶ1本の命綱(ザイル)だといそうだ。


立山駅に元レッドアローがいた。

-…つづく

第360回の行程地図
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杉山 淳一
(すぎやま・じゅんいち)
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1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。

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