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■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち
 
第361回:ふたつの宿題 - 立山ケーブルカー -

更新日2010/12/25


立山駅で懐かしい顔を見つけた。元西武電鉄の特急電車5000系、初代レッドアローである。子供の頃に見た、私鉄特急を集めた絵本に載っていた電車だ。あの頃は小田急ロマンスカーNSE、東武デラックスロマンスカー、そして西武ロッドアローが東の御三家だった。西の御三家は近鉄ビスタカー、名鉄パノラマカー、南海こうや号だったと思う。次点が2階建ての京阪テレビカーだっただろうか。

通勤電車ばかりの東急沿線に育った私には、堂々とした体躯の私鉄特急はどれも憧れの存在だった。大人になったら全部乗ろうと思ったけれど、大人になった頃にはほとんど引退してしまった。名鉄パノラマカーには乗れた。しかし、その後すぐに引退してしまった。


レッドアローを見送る

私は出口へ向かう客の流れから離れた。改札口のおばちゃんが「こっちですよ」と声をかけてくれた。私が駄々っ子のように「ちょっとだけこの電車を見たい」と言うと、おばちゃんは笑って頷いた。元ロッドアローは宇奈月温泉行きの特急「アルペン号」として発車を待っていた。私はおばちゃんにお許しをいただいたので、憧れの眼差しで発車を見送った。改札口で「ごめんね。つい懐かしくてさ」と言うと「お客さん、東京から?」と言った。そうだと言うと得心したようであった。

この時はレッドアローとの邂逅に気をよくした。これが失敗だった。私はバスで称名滝へ行くつもりだったけれど、バス乗り場に行ってみたら、すでにバスは行ってしまった。立山に着いた時刻は14時18分。バスの発車時刻は14時21分。「アルペン号」の発車は14時24分。つまり、アルペン号にこだわらず、速やかにバス乗り場に向かえばバスに間に合った。次のバスは1時間後の15時20分である。


立山駅。ここから出ても何もなかった

観光案内所に行って話を聞くと、紅葉の名所という称名滝は、バスに20分乗った後、さらに徒歩で30分ほど歩くという。15時20分発のバスに乗って15時40分着、そこから30分も歩けば16時10分に称名滝だ。10分間滞在したとして、バス停へ戻る時刻は16時50分になるだろう。ところが、帰りのバスは16時35分が終発だから間に合わない。ならば、片道だけでもタクシーに乗ってみようか。そう言うと「ここには常駐のタクシーはいないよ。電話で呼んで、ここまで来てもらうだけで30分、3,000円かかる。ここから称名滝まで4,000円くらいかな」と言う。

バスを1本乗り過ごした代償として、片道7,000円は大きすぎた。残念だが称名滝はあきらめよう。立山駅は立山黒部アルペンルートの拠点である。ルート上には日本でここだけのトロリーバスがあるし、ケーブルカーもあるから、いつか旅するつもりであった。立山駅を再訪したら、その時に称名滝へ行こう。ここでひとつ宿題ができた。


貨車付きのケーブルカー

だからといってすぐに引き返してはもったいない。旅立つ前に紅葉情報サイトを調べたところ、立山、美女平は紅葉の見ごろを迎えたようだ。いずれ再訪するとはいえ、せめて美女平の紅葉を見て帰りたい。私は立山ケーブルカーの往復切符を購入し、改札口に並んだ。発車15分前は私と老夫婦しか並んでいなかったけれど、発車間際になると団体客が出現して混雑した。紅葉シーズンだし、ここまではバスで来る客も多いのだろう。

立山ケーブルカーは路線長1.3km、高低差約500mで、立山駅と美女平駅を結んでいる。特徴は客車の麓側に連結した貨車だ。屋根のない荷台がついている。案内放送によると、かつては黒部地域の電源開発に必要な資材を積んで引き上げていたという。黒部ダムへは道路も通じているし、トラックでも運べそうである。しかし大量に物資を輸送するとなると、山道を迂回する道路では非効率で、特に戻りの空荷トラックのロスが大きかったのかもしれない。当時の自動車の登坂能力も考慮する必要もあるだろう。


ケーブルカー名物? の材木石

この貨車があるおかげで、立山ケーブルカーは観光客輸送に抜群の性能を発揮している。登山客や旅行客の大きな荷物を貨車に載せれば、客車に収容できる人数を増やせるからだ。こちらはまだ空いていたけれど、すれ違っていく下りのケーブルカーは、客室も満員、貨車も旅行鞄が満載だった。登山用の大きなリュックサックやスキー板も見える。もうどこかでスキーができるらしい。


すれ違い風景

ケーブルカーはがっしりと車輪を踏ん張って登っていく。案内放送が柱状節理の説明を始めた。別名を材木石といって、岩肌が15センチ角の材木を並べたようになっている。たしか、東尋坊もこんな岩場だった。それは窓に近いのでかろうじて見えた。しかし霧が濃くなって、期待した紅葉は見えなかった。トンネルを通過しても、黒い闇が白い闇に変わるだけであった。


美女平に到着

それは美女平駅も同じで、どの窓も真っ白であった。アルペンルートの客が乗り継ぐバスの発着場から外に出てみたけれど、視界は10メートルもない。ここはもはや霧の中ではなく、雲の中であった。見えるものといえばバス乗り場のそばの大きな杉の木だけである。なにやら祀り上げられており、この木が「美女杉」で、この杉のある一帯を美女平というらしい。もっともらしく、それでいてでっち上げっぽい逸話が大仰に書かれていた。


紅葉も霧に隠れる

何も見えないなら、もう帰りたい。ところが下りのケーブルカー乗り場は大混雑である。乗車券のほかに、発車時間が書かれた整理券を持って並ぶ必要があるらしい。しかし私は整理券を持っていない。延々と待たされるのだろうかと係員に尋ねたら「立山から上ってこられた方は整理券は要りません」と言われた。整理券はここではなく、室堂でバスに乗るときに配布されるそうだ。おかげで並ばずに最近のケーブルカーに乗れた。


バス乗り場のそばに美女杉がある

大混雑のケーブルカーで下山する。今度は少しずつ霧が晴れていく。立山駅到着直前に、眼下に細い線路が見えた。分岐器もあって、遊園地の豆汽車でも発着するかのような雰囲気だ。あれはなんだろうと携帯端末で検索したところ、立山砂防鉄道という軽便鉄道だった。お客は乗せないけれど、立山駅近くの砂防博物館に機関車などが展示されているらしい。しまった。そういうことならケーブルカーには乗らず、博物館に行けばよかった。しかし、もう閉館時刻を過ぎていた。立山再訪時の宿題がもうひとつ増えた。


帰りは満席


この線路は……?

-…つづく

第361回の行程地図
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杉山 淳一
(すぎやま・じゅんいち)
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1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。

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