第1回: ベトナム・ホーチミン
更新日2002/03/01
「ベトナムに行くのか? ホーチミン(Ho Chi Minh)に行ったらSによろしく伝えてくれ」。そう言うと、Sさんの住所を書いたメモを机の中からごそごそと……。
カンボジアのプノンペン(Phnom Penh)を旅するバックパッカーの拠点になっている「キャピトル・レストラン&ホテル」。その隣にある一泊2ドルの宿「ラッキー・ゲストハウス」を営むおやじさんの言葉を思い出し、ホーチミンに到着して一週間ほど経ってからSさんを訪ねてみることにした。
共産政治の臭いも強いちょっと冷たそうな北の街「首都・ハノイ(Hanoi)」とは違い、ホーチミンはバイクが走り回る喧騒の中、経済開放施策の歪み(?)からか、お金に貪欲な人が多い南の街だ。Sさんが拠点としているミニホテルは、安宿が集まるフォングーラオ・エリアの中心にあって、ベトナムにしては珍しいにこやかな笑顔で接するフロントの女の子が印象的。
「実は結婚してベトナムに住んでいるんですが、入出国を繰り返していた時期は『ラッキー』を常宿にしていたんですよ」と言って現れたSさんと、近くの路地裏カフェに出向く。
「妻はメコンデルタのミトー(My Tho)にある小さな村で暮らしています。ホーチミンで家を買うお金もないし、何よりミトーの田舎に暮らす人にとって、ホーチミンは大都市すぎますし……。僕がミトーに住めればベスト、でも収入源がありません。それで生活手段として、パッカーの人たちを対象にミトーを知ってもらう旅行業務を始めようと、いま準備中なのです。とはいっても旅行ライセンスは取れませんので、こじんまりとしたプライベート営業です。幸い住んでいるホテルのオーナーが、フロントを使ったり看板を出してもいいと言ってくれているので助かっているんですよ。ホテルの集客にもつながりますしね」。
30歳前後だろうか、ベトナムに出没する怪しい日本人とは異なる精悍な顔つきのSさんと話している間に、カンボジアやタイからやってきた顔見知りのパッカーたちが何人も通り過ぎていく。ほとんどのパッカーはベトナム周辺国を廻っているために、なぜかあちこちで出会ってしまう。偶然にもラッキーの同宿者が話の輪に入ってきた。
現地で生計を立てるのは大変なことだ。しかしSさんの姿は極めて自然体で、自分の置かれている環境を活かそうとする姿にも好感がもてる。「妻が住んでいるミトーの村をパッカーの人たちに知ってもらえればと思って、村のホームステイやバイクタクシーでミトーを廻るミニツアー、フォングーラオの路地裏マップも作ろうかと考えているんです。ミトーといっても広いですから、普通のツアーや通り一遍の滞在では味わえない体験をして楽しんでもらえればと……、もちろん料金はフォングーラオでは一番安い現地価格でやりたいですね」。
日本で暮らそうとは考えなかった?
「それはまったくなかったですね。パッカーとしてあちこち旅して廻っていましたし、いつかは海外で暮らそうと考えていましたから。ベトナム、中でもホーチミンはボッタクリで有名ですから、街の評価は二分しますよね。正直言ってむちゃくちゃな街です。でも日本のように自殺するようなストレスはありませんし、のんびり暮らすにはいいですよ。軌道に乗れば、ホーチミンは誰かに任せて、妻のいるミトーに住むのが夢なんです」。
あれから数年、Sさんは旅行雑誌でも取り上げられ、すっかりフォングーラオで有名に。フォングーラオ路地裏マップも好評とか。
結婚を機に現地で生計を立てようとする、日本人のひとつの生き方がここにあった。
→ 第2回:中国・大連