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■西部開拓時代の伝承物語~黄金伝説を追いかけて

 

第4回:ドン・アントニオ・ホセ・チャベスの財宝 その3

更新日2024/05/09

 

ジョン・マックダニエル以下、ミズーリーからの15名の即成騎兵隊は進退極まったチャヴェスの一行がメキシコ人だと観るや否や、攻撃し始めた。勝負はハナからミエミエだった。チャヴェス一団は初めから戦う気など全くなかったからだ。

マックダニエルらは争うように積み荷を奪い合った。チャヴェスの一団7名は後ろ手に縛られ、それを見るだけだった。

1843年当時、このようにメキシコ人のキャラバンを自称テキサス義勇軍が襲うことは頻繁に行われていたようだ。多くの場合、記録によれば、積み荷と馬を奪いはしたが、メキシコ人を殺さなかった。 
 
ジョン・マックダニエル一行のうち7名は、チャヴェスの積み荷、毛皮の分け前とミュール5頭を引き連れて、ミズーリーに戻ることにした。ということは、それまでもマックダニエルのやり方に不満を持っていたのだろうし、その先にも希望が持てなかったからだろう。7名の離脱をマックダニエルがあっさり許したのはチャヴェスがどこかに隠し持っているに違いない財宝の分け前を離脱組にやらなくても良い…という打算が働いていたと思う。また、マックダニエルに彼らをマトメ統率するだけの能力がなかったととるべきだろう。

義勇軍にしろ、一応軍に組み込まれているのだから、普通なら“オラ、辞めた”と隊列を離れることなど許されないはずだ。そんなことからも、マックダニエルが率いる15名は、メキシコ側が言う、ヒト山組の食い詰め者、ヤクザ集団に近い集まりだったのかもしれない。
 
マックダニエルは、メキシコ人がサンタフェ街道を東へ、インディペンデンスに行くからには、運んでいる荷を売るだけでなく、大量の銃火器を買い付けるためで、そのために莫大な金を用意しているはずだ、チャヴェスはどこかに隠し持っているはずだと踏んだのだ。マックダニエルはチャヴェスがサンタフェの大富豪だとまでは知らなかったようだ。偶然にも、チェヴェス一行が大雪のため立ち往生し、キャンプしているのに出会い、行きがけの駄賃とばかり襲ったのだ。

後ろ手に縛ったチャヴェス7人組の身体検査よろしくジャケット、ズボンにガサを入れたところ、チャヴェスの上着に縫い込んだ銀貨を見つけ、マックダニエルはチャヴェスがメキシコペソ銀貨、金貨をどこかに隠しているとの確信を深めた。
 
何かを白状させる時、家族、身内のグループなら、そのうちの一人に拷問を加え、それを目の当たりに見せ、口を割らせるのが常道だ。マックダニエルはチャヴェス一行にそのような手を使った。だが、彼の場合、一人ずつ処刑スタイルで頭にピストルを撃ち込んでいったのだ。

チャヴェスはそれでも口を割らなかった。チャヴェスは財宝のありかを白状したところで、その後殺されると達観していたのだろうか。

マックダニエルは怒り狂い、チャヴェスに拷問を加え、挙句射殺してしまった。
 
こんな状況を知ることができるのは、後にこの事件がセントルイスの地方裁判所で取り上げられ、マックダニエル、それにいく人かの彼の手下の証言記録が残っているからだ。マックダニエルの手下どもは、罪から逃れたい一心からか、チャヴェス一行の殺害をマックダニエルにすべて擦り付けるかのように、俺は命令に従っただけだ、殺したのはマックダニエルだ、と証言しているのだ。 

マックダニエルは、メキシコ人たちの死骸をライス郡のジャヴィス・クリークに投げ捨てた。
 
それから、クリーク沿いにチャヴェスの財宝探しを開始した。マックダニエル以下8名の自称義勇軍は、文字通り血眼になって周囲を探し回ったに違いない。しかし、何も見つけることができなかった。

どうにも、このような殺害者の心理は図り切れないのだが、マックダニエル一行はテキサスに向かうことを諦め、ミズーリーに引き返しているのだ。分け前の毛皮をインディペンデンスで売り捌くためだったのだろうか、それともこのチャヴェス一行を殺害し略奪しただけでもう充分だと判断したものか分からないが、テキサス独立軍に加わるという当初の目的は忘れ去られ、ともかく彼らは引き返している。

チャヴェス一行の内、一人のメキシコ人が、マックダニエルたちが攻撃を開始したと見るや、逃げ、生き延び、グリンゴーが襲撃、略奪を欲しいままにした、とサンタフェに報告したとも言われているが、今となっては分からない。

ともかく、マックダニエル一隊はミズーリーに戻ってからいくばくもなく、チャヴェス一行殺害の容疑で逮捕された。ということは、チャヴェス一行の殺害、略奪はマックダニエルの仲間、手下しか知り得ないのだから、仲間の一人か幾人かが、マックダニエルを告訴したことになる。たとえ殺されたのがメキシコ人であっても、犯行はアメリカ領内のカンサス州で行われたのだから、当然、逮捕され、処罰の対象になったのだ。
 
この裁判の記録がチャヴェスの財宝談に火を付けた。

セントルイスの裁判所はマックダニエルを死刑に処し、彼の仲間は無罪放免とした。無法者のボス的存在だったマックダニエルをメキシコ人殺害の罪で処罰したことは、アメリカの司法システムが公平たらんとしていたのだろうか、それとも日々険悪になりつつあったメキシコとの関係を、こんなヤクザ者集団が起こした事件で最悪の関係に持っていきたくない意向があったのか、それともチャヴェスがサンタフェの有力者の息子であることを突き止め、メキシコとの関係を悪化させないためにマックダニエルを処刑したのかは分からない。

マックダニエルの裁判が地元の新聞に報道され、それに尾鰭が付きチャヴェスの財宝談に火が付き、広がっていった。ライス郡のジャヴィス・クリーク沿いに牧場を持っていたベイカーは、宝探し組が盛んにその周囲をうろついていて、筵(むしろ)を被せた深い穴に当時の幌馬車隊に欠かせない大きなヤカンの跡を見つけたと地方紙に語っている。

すでに誰かがヤカンを掘り起こし、持ち去ったに違いないというのだが、それは事件後15年以上経った、1860年代になってからのことだ。

クリークは普段干上がっているか、ほんのチョロチョロ程度の水量しかない。それが上流で大雨が降るとすざまじい濁流となる。従って、よく川筋、流域を変える。

チャヴェス一行の遺体が投げ捨てられた地点は、現在、ライオンズと呼ばれている町の南西だと目される。

チャヴェスが莫大な財宝を持ち、運んでいたところまではメキシコ、ヌエヴァ・メヒコの記録で明らかなのだが、未だにどこにあるのか、すでに誰かが持ち去ったのか分からない。

Chavez Murder Site
Jarvis Creek/Chavez Murder Site

私自身驚いたのだが、チャヴェス一行が虐殺されたジャヴィス・クリーク沿いに
このような看板が立っていたのだ。
カンサス州だけでなく、西部開拓史の中でも、汚点と言える事件をも
このように指摘する精神をアメリカ人が持っていることに感嘆する。
ただ単に、カンサスの大平原にさしたる名所が他になかっただけかもしれないが…。


-…つづく
 


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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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第2回:ドン・アントニオ・ホセ・チャベスの財宝 その1
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