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■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと
第207回:流行り歌に寄せてNo.19 「サム・サンデー・モーニング」~昭和25年(1950年)

更新日2012/03/22

私が両親のことを「おとうさん」「おかあさん」と呼ぶようになったのは、確か小学2年生ぐらいのことだったと思う。それまでは、「とうちゃん」「かあちゃん」と当たり前のように呼んでいた記憶がある。

通っていた小学校の仲間も、だいたい同じくらいの時期に「とうちゃん」「かあちゃん」では一寸かっこ悪いかも知れない、というようなボンヤリした理由で、「おとうさん」「おかあさん」になっていったようだ。

けれども、さすがに長野県の真ん中にある田舎の小学生の中には「パパ」「ママ」と呼んでいた子どもはいなかった。

小学校の3年生の2学期のことだった。当時、岡谷市に銀行と名の付くものは地元長野県の「八十二銀行」と「日本相互銀行」(のちの太陽銀行、変遷を経て現在、三井住友銀行)しかなかった。

その日本相互銀行の支店長の娘が、私たちのクラスに転校してきたのだ。神奈川県という大都会(みんながそう思っていた)からやってきた大きな瞳の、とてもチャーミングなYさんは、転校の日から3年生の全男子生徒のアイドルになった。

ある日、私の友人が、「Yさんは、きっと家で両親のことをパパ、ママと言っているよ、絶対その方が似合うもん。聞いてくる!」と勇んで彼女に確かめに行ったが、間もなく、ションボリして帰ってきて、「おとうさん、おかあさんと呼んでいるって。『じゃあ、これからパパ、ママっていいなよ、すごく似合うよ』って言ったら、『絶対に嫌』って言われちゃった」と呟いた。

唯一の「パパ、ママ派」だと目されていた彼女を以てしてもこのような次第だったから、地元の女の子たちにはそんなモダンな呼び方をする者は皆無だったのである。


「サム・サンデー・モーニング」  山口国俊:作詞 服部良一:作曲 霧島昇・小川静江:歌

1.
サム サンデー モーニング パパとママが

※ サム サンデー モーニング 初めて合いました

 サム サンデー モーニング 一目でアイラブユー

 サム サンデー モーニング 恋の花咲く

 それからと言うものは 毎日毎晩

 雨が降っても 風が吹いても 楽しいランデブー

 ハッピー サンデー モーニング 結婚しましょう

 サム サンデー モーニング 何時何時までも

2.
サム サンデー モーニング 私と貴方が

※繰り返し


霧島昇のクルーナー・ボイスと小川静江の若い歌声がとてもよくマッチして、うっとりとするような、当時としてはとてもモダンな甘いバラードである。俗に進駐軍が運んできたと言われる、アメリカ的な恋愛の歌であるとも言える。私は個人的には大好きな曲である。

ただ、時々考えるのは、当時、長野県の田舎にいて二十歳そこそこだった私の両親のような若者たちは、この「パパとママ」という言葉、そしてその恋の歌を、どう思いながら聞いていたのだろうということである。

自分の生活には関係のない、遠い世界でのことだと思っていたのだろうか、それとも憧れの気持ちを抱いて聞いていたのだろうか。

都会と田舎の違いというのは、かなり大きいのだろうと思う。前述のように、私の周りにはまったく「パパ、ママ」と呼んでいる人がいなかったが、私が東京に来てから出会った同世代かその前後の中には、「私は、パパ、ママと普通に呼んでいたわよ」と明言する女性が少なからずいる。

「今だって家に帰ればパパとママよ、もちろん自分の子どもたちにもそう言わせているし」ということである。そういうものか……。

「キスの上手なとても素敵なパパ オシャレが上手いつも綺麗なママ・・・・ラララ、マークⅡ家族」。コロナ・マークⅡが発売された時、高島忠夫、寿美花代夫妻を起用したテレビCMのテーマ曲である。

高級マンションから手を取り合って登場し、パパのエスコートでママが車に乗り込む。ラグジュアリーという言葉が適切か、ある種の高級感を持った家族の姿が映像として流れていた。

1968年頃のことで、私が中学生になったばかりのことだったが、あまりに我が家の雰囲気とはかけ離れていたために、このCMを見て苦笑してしまったのを覚えている。

パパ、ママ、絶対使わないよなあ、と今でも思っている。かといって、おやじ、おふくろと言う呼び方も私にはまったく馴染まない。不思議なものである。

-…つづく

 

 

第208回:流行り歌に寄せてNo.20 「東京キッド」~昭和25年(1950年)

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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
Lis. master's voice


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