かお
杉山淳一
(すぎやま・じゅんいち)

1967年生まれ。信州大学経済学部卒業。株式会社アスキーにて7年間に渡りコンピュータ雑誌の広告営業を担当した後、1996年よりフリーライターとなる。PCゲーム、オンラインソフトの評価、大手PCメーカーのカタログ等で活躍中。

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第9回:閑話休題~帰らざる橋から

本場の焼肉を食べに行こう! と、ソウルへ行った。焼肉はうまかった。タッカルビも冷麺も絶品だ。日本から撤退したバーガーキングもうまかった。韓国はIT産業の発展がひと段落して景気はやや停滞気味だという。しかし、ヨンサンの電気街は秋葉原よりも大きく、ソウルの中心街はパワフルで市場も活況。もしかしたら日本よりも元気かもしれない。同じアジア民族だから、街角はほとんど東京と同じようにみえる。

しかし、日本と韓国には大きな違いがある。それは、韓国には敵対国との軍事境界線があることだ。したがって成人男子には兵役がある。北へ向かう高速道路には遮断装置があり、北の沿岸には鉄条網と監視所がある。人々の心の奥底には"有事の事態"に対する心構えがあるのだろうと推察される。その印象は板門店へ向かう観光バスで強くなっていく。ガイドさんの口からは非武装地帯とか地雷などという言葉が日常語のようにさらりと出てくる。その、戦争用語が当たり前という感覚に、むしろボクの緊張は高まってくる。

その緊張状態が感受性を刺激して、ボクにとって板門店の印象は"世界でもっとも無念な場所"となった。同じ言葉を交わす同じ民族が、陸続きの場所で敵対しあうという状況。これはものすごく奇妙だ。ちょっと声をかければ会話ができるというにもかかわらず、それは禁じられている。同じ民族が会話すると重罪。それは理解しがたいが現実だ。

朝鮮戦争や38度線について、肌身に感じている日本人は少ない。多くの日本人は教科書で知っている。しかし、教科書でしか知らない、とも言える。韓国の人々が国境の向こうを思うとき、同じ民族だという親しみと同時に、彼らへの敵対心や恐怖を感じなくてはいけない。同じ民族で和気あいあいとしてきた国の人には理解しがたい世界だと思う。

『シュリ』という韓国映画が話題になった。それはテロリストと戦う正義の味方と彼らの禁断の恋を描いた娯楽映画であり、ハリウッドに引けを取らないスケールとクオリティで、急成長する韓国という国のパワーを感じさせてくれた。しかし、板門店の現実を知るものにとって『シュリ』が描いた世界は、最も親近感のある民族同士が敵対するという、韓国の人々の悲しみだったのかもしれない。日本やハリウッドでは、テロも戦争も非現実の世界として描かれる。しかし、韓国ではそれらすべてが現実の延長だ。この国はいつも戦争と隣り合わせである。

板門店に話を戻すと、ただでさえ"残念な場所"にもかかわらず。それに輪をかけたやるせない事件が起きている。その筆頭が"ポプラの木"事件だ。監視用の視界を確保するために、たった1本の木を切り倒すという作業が誤解され、米国人兵士が2名、北朝鮮兵士に殺された。その木の跡は"帰らざる橋"のそばにある。朝鮮戦争の捕虜交換で使われた橋だ。板門店といえばテーブルの上まできっちりと境界線が敷かれているという印象が強いが、実はこの事件がおきる1976年まで、板門店のエリア内では双方の兵が自由に往来できた。ほんの25年前までのことだ。この事件以降、板門店エリアも南北の境界が明確になり、自由に向こう側にいけないし、会話をすれば重罪となってしまった。

双方の兵士が自由に往来できた板門店では、お互いにそこが平和への灯火になるという期待もあったに違いない。しかし、この事件のおかげで南北の距離はさらに遠のく。これを"無念"といわずなんとしよう。最近、日本では『シュリ』に続く韓国映画として『JSA』が上映されたが、この舞台設定はまさに"ポプラの木"事件の無念さを象徴したものだと思う。事件の現場もほぼ同じだ。板門店を訪れた人と、そうではない人では、この映画の感じ方も大きく変わるだろう。

板門店の情報はインターネットで探せる。日本語による観光ガイドのホームページもあるし、観光客の旅行記もある。歴史の"知識"をひもとくことも簡単だ。しかし、韓国の人々の奥底にある"やるせなさ"と"平和への渇望"は、現地の空気に触れてこそ感じられる。"書を捨てて、旅に出よう"という言葉がある。"インターネットを捨てよ、旅に出よう"ともいえる。つまり、"見るまでは語るな"である。インターネットが伝えられるもの、伝わらないもの。その見極めが大切だ。

板門店のやるせなさは、韓国の人々だけのものではないのだ。例えば、板門店を維持している中立国軍の国旗掲揚台には、世界の先進国の旗がある。しかしそこに日本の旗はない。いきさつからして無理かもしれないが、これだけ世界中が尽力しているにもかかわらず、隣国である日本は何もしていない。私が帰国した翌日からソウルは豪雨となり、大きな被害が出た。しかし隣国の日本は災害派遣を検討もしていない。戦争の責任を負うべき立場の隣国が何もしていないという現実は、両国にとって幸せなこととは思えない。つまらないプライドに固持しないで、仲良く平和を目指そうという気持ちが、私の祖国、日本には欠落しているかもしれない。

相手国の心情を理解してなければ国際交流はできないし、国際社会で自分の立場を主張できないだろう。この旅でボクは"インターネットで得た知識ですべてを判ったつもりになってはいけない"という教訓を得た。ソウルの街で感じた韓国のパワーは本物だ。過去のしこりをスグに清算し、共栄の道を探すべきだと思った。板門店を"見学する場所"から"観光地"にするために、日本人は何をすべきなのか。何ができるのか。

そういう感想はインターネットからは得られない。

 

→ 第10回:DeadlyDrive 誕生秘話


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