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2001年10月6日。新しい雑誌が誕生する。その名は『ONLINE PLAYER』。 この雑誌の"原点"は、2001年4月に休刊となった雑誌『PLAY ONLINE』だ。創刊は1997年。日本発のインターネット対戦ゲーム専門誌という、当時としてはもっとも小さなマーケットに向けて送り出された。しかし、少数ながら安定した部数を堅持した。時代背景として、米国のPCゲームのほとんどがネットワーク対戦対応となり、世界的なブームが湧き上がりつつあった。そして、インターネットの普及により、インターネット時代の新しい遊びとエンターテイメントが渇望されていた。 この雑誌は近年に乱立したパソコン雑誌の中でも異彩を放つもので、その運命も数奇なものだった。最初の試練は、版元の経営規模縮小のため、この雑誌は別の会社に譲渡されたことだ。 新しい版元で、『PLAY ONLINE』はさらに内容を充実させ、僅かながら部数も伸長させた。ネットワーク対戦ゲームが、ゲームファンだけではなく、流行に敏感な人々からも注目された。ようやく時代が追いついてきた。雑誌づくりのうまみはココから始まる。部数も増え、販売、広告の両面から利益が出る。 が、版元の上層部により、トップダウンで休刊が決定する。 休刊の理由は明かされていないが、一口で言えば版元が辛抱できなかったことだろう。赤字雑誌だったが、現場にはトンネルの出口が見えていた。しかし、版元は出版に関しては素人だった。きっと、既存の雑誌を引き取ればスグに利益が得られると皮算用したに違いない。しかし、上層部には見えなかった。これはもう、ビジネスのセンスのなさとしか言いようがない。 創刊号から携わり、編集長だったN氏は退社した。読者にも、お世話になったメーカーにも顔向けできない、と言った。しかし、彼は逃げたわけではなかった。新しい譲渡先を求めて奔走した。そこで私も協力を申し出た。創刊以来のライターとして思い入れが強かったからだ。「躍進のときは来ている。この火を消してはならない」私はコンピューターに強い大手出版社2社に打診した。しかし、出版不況、パソコン不況の中で、両者とも難色を示した。 そんな折、篤志家が現われる。元『BEEP メガドライブ』の編集長のK氏だ。現在はWEBマガジンやゲーム業界のインターネット戦略をプロデュースしている。そのK氏と私は、新しいPCゲーム情報専門のWEBマガジンを立ち上げる準備をしていた。K氏の元には、インターネットの新しいエンターテイメントをビジネスにしようと、大手通信会社、世界的な家電メーカー、ゲームメーカー、ゲームポータルのベンチャー企業が集結していた。 K氏は自身の経験から、インターネット上のメディアにステータスを与える存在として、ペーパーメディアの重要性を認識していた。もともとこれらの動きはすべて、私がK氏と連携して『PLAY ONLINE』で展開するつもりだった。しかし、その雑誌がなくなってしまう。どうすればいいのか。よし、なんとかして存続の道を探そうではないか。 ここでもうひとりのキーパーソン、Y氏が登場する。Y氏は元『ファミリーコンピュータマガジン』の編集長で、K氏とは出版社的にライバルの関係にあった。互いに困ったことがあれば助け合う、騎士道に沿ったライバルだ。Y氏の綿密な原価計算と、ビジネスモデルの提案により、ほどなく版元が決定する。さらに心強いことに、K氏とY氏の盟友、F氏が編集委員に加わった。彼は日本有数のパソコンゲーム雑誌『ログイン』を成功に導き、最初に『PLAY ONLINE』を出版した会社の社長だ。一度は手放してしまった雑誌の復活を、自ら手伝うことになった。これも奇縁だが、私たちにとって大きな精神的支えだ。 復活するといっても、版元が違うし、雑誌名も商標の関係で引き継げない。しかし、編集長以下、編集者、ライター、DTPディレクター、ほとんどのスタッフが再結集した。ブロードバンドをより面白くするために、私たちはトレンドを追い、提案しつづける。コンピューターから「無味乾燥な道具」というレッテルをむしりとり、より豊かなコンピューター文化を切り開くのだ。そしてなによりも私たちには、成功を目前にして版元に切り捨てられた痛みがある。 新雑誌『ONLINE PLAYER』は、私たちのジハード(聖戦)だ。
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