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■ジャック・カロを知っていますか? ~バロックの時代に銅版画のあらゆる可能性を展開した天才版画家とその作品を巡る随想



更新日2021/05/27 

 

 

第4回:フィレンツェでの幸運な出会い



フィレンツェでの幸運な出会い

ローマで活躍していたテンペスタがフィレンツェに行ったのは、急な仕事のために急遽フィレンツェに呼ばれたからでした。急な仕事というのは、トスカーナ大公のコジモ2世妃の妹で、スペインのフェリッペ2世の妻、王妃マルゲリータ・デ・アウストリアが亡くなったため、コジモ2世が1612年の2月に、サンロレンツォ寺院で大がかりな追悼の葬儀を行うことを決めたからでした。

そのような式典を盛大にやり遂げることは、当時の治世者たちにとっては関係国や宗主国との友好を保つためにも、また治世者の力や姿勢を内外に誇示するためにも極めて重要でした。当然のことながらその演出の出来が式典の良し悪しにダイレクトにつながりますから、そのような式典や祭典を演出し取り仕切る総合芸術家や、美しい宮殿や建築を創り出して街を豊かにする建築家の存在は極めて重要でした。ですから当時の国王や大公はそのような仕事を担える人物を重用しました。

もちろん、ルネサンスを開花させたフィレンツェの歴代の大公には、そのような美的時空間創造を担うお抱えの万能のアーティストがいました。例えばルネサンスの最盛期には、今日『ルネサンス画人伝』『ルネサンス彫刻家建築家列伝』と呼ばれている書物を書き遺しているジョルジョ・ヴァザーリが大活躍しました。ヴァザーリは書物を書き遺しはしましたけれども、だからといって今日の美術評論家のような存在だったかといえば、そうではありません。

ヴァザーリはフィレンツェの大聖堂のドームの天井画をはじめ多くの歴史的な絵を描いていますし、またウフィツィ宮殿(現在のウフィツィ美術館)や、ウフィツイ宮殿とピッティ宮殿を結ぶ回廊、通称ヴァザーリの回廊を設計したりもしています。つまりその頃は今日のように画家や彫刻家や建築家やエンジニアといった風に、芸術にまつわる仕事が細分化されていたわけではなく、あらゆることに秀でていることが真の芸術家とみなされました。

とりわけルネサンスの時代には、レオナルド・ダ・ヴィンチがそうであったように、いわゆるルネサンスマンと後世から呼ばれるような万能の芸術家が多くいました。さらに王の命を受けて、そのような天才たちを宮殿や寺院の装飾や式典の演出に起用する力を持つ総合的な能力を持つ芸術家、敢えて名付ければ『美的時空間創造家』が大公直属の特別職を務めていました。

第2回で触れたベラスケスも、今日では画家として有名ですけれども、宮廷にとっての彼の最も重要な任務は、王のフェリッペ4世の宮殿や式典を総合演出家としてスペイン帝国に相応しいものに仕立て上げることでした。王の命を受けてイタリアに渡り、今日のプラド美術館の中核をなすイタリアルネサンス期の名作の数々を買い付けたのもそのためですし、彼の命を奪ったのも、フェリッペ4世の一世一代の政治的大仕事、フランスとの平和条約を結ぶための、自らの娘マリア・テレサとフランスのルイ14世との結婚式の演出の一切を取り仕切るという激務による過労でした。

今日ではTVを始めさまざまなプロモーションメディアがありますし、例えばローリング・ストーンズの大スターの世界ツアーなどでは、常に最先端のサウンドやヴィジュアルのテクノロジーを駆使すると同時に、大掛かりな、ほとんど建築的な舞台設営をします。

カロが生きた17世紀には、SNSはもちろん、写真も雑誌もビデオもありませんでしたから、その分、舞台や建築や衣装などを含めたリアルな空間演出と、人員配置や音楽演奏や踊りなどの何をどのように展開していくかという場面展開、つまり時間をどう演出するかということを構想し実現する総合芸術家が極めて重要でした。

そしてコジモ2世はそのような役目を担う大公直属の芸術家にジウリオ・パリジ(1570~1635)を任命していました。そのパリジがテンペスタとカロをフィレンツェに呼んだのは、スペイン王妃マルゲリータ・デ・アウストリアの死に対してコジモ2世が突然行うことを決めた大規模な追悼の葬儀をつつがなく実行するためでした。そのような仕事のためには演出の戦力となる大勢の優秀なアーティストが必要だったからです。

このような仕事にとって重要なのは、素晴らしい舞台装置やプログラムや演出によって人々の記憶に残すことであり、同時に、それが実際どのように行われたかを版画集にして記録に残すことでした。そしてそこにこそ優れた版画家の必要性がありました。テンペスタがカロを同行したのはそのためです。ただ、カロはまだ若くて修行中の身でしたから、そんなカロを同行したのは、カロを弟子のようにして可愛がっていたテンペスタが、おそらくカロの可能性や潜在力を見抜いていたからでしょう。

そしてテンペスタの友人であったパリジというアーティストとその仕事に出会ったことが、カロに決定的な飛躍をもたらしました。パリジはカロがそれまで接してきた平面的な表現を行う版画師たちとは違った、スケールの大きな時空間表現者でした。パリジは総合的な空間とその展開、あえていえば空間に時間を加えた要素を駆使する四次元的な表現者だったからです。紋章官を父に持つカロにはもともとそのような素質があったのかもしれませんが、カロはパリジと出会ったことで一気にその才能を開花させていくことになります。

そのことの端緒がうかがえる作品を2点ご紹介します。1点は比較的オーソドックスな宗教画を版画にしたもの。もう一つはパリジの空間装飾デザインを版画にしたものです。

カロはフィレンツェに来てからも、さかんに絵画を模写したり、それをせっせと版画にしたりしていました。版刻の技術が高くなければ記録版画集の彫り手に起用されるはずがないからです。

それにどうやらすぐにパリジに気に入られたカロは、パリジの美的時空間創造の仕事にも駆り出されました。例えば、パリジがデザインした建築や舞台装置のスケッチを版画にする仕事でした。

それは今日の建築設計図面のようなものであって、大掛かりな舞台や建築を建造するには多くの人が必要であり、忙しいパリジがあちらこちらの現場に張り付いているわけにはいきませんから、パリジが描いたイメージを版画化したものがあれば、多くの人たちがそれを手にして、どんなものを創るのかという目的を共有することができたからです。

 

最初の版画は、フィレンツェで最も古い教会の一つであるサン・ロレンツォ教会の前の広場で穀物を計る商人たちとイエスを描いたものです。この頃カロは、教会のテンペラ画や油絵の絵画をたくさん模写しましたけれど、これはそれをビュランという、銅板を直接手で彫るための先が尖った彫刻刀で彫ったものです。ビュランによる銅版画には独特のシャープさがあり、カロはそれが得意でした。

画を見ると、イエスが右手を穀物の方に、左手を天の方に向けていて、神かけて公正な商売をしなさいということでしょうけれども、重要なのは表現方法です。第3回で紹介した版画と表現方法が全く違うのがわかります。もちろんそれは模写した元絵の違いであって、第3回の版画にはフランドルの民衆絵画のスタイルがよく表れているのに対し、この画ではルネサンス芸術の都フィレンツェの絵画らしく、遠近法が用いられています。つまりもともとの絵の空間の描き方が全く異なるということです。

カロはその表現方法をちゃんと汲み取って、遠近法にのっとった構図を踏襲するとともに、前掲の人物や物などを深く彫って、はっきりとした太い線で表現し、遠景の建築を極細の線で薄く描いています。つまり前掲の描写密度を高くし、遠景の描写密度を粗くしてビュランを上手に使っています。


04_hiroba

 

 

04_parigi

 

この版画は、スペイン王妃の追悼の葬儀のためにパリジが描いたデッサンを版画化したものです。二つの画面の左下にジウリオ・パリジのサインがあります。左が葬儀のための舞台装置、右が王妃の棺を安置するための祭壇のデザインです。

パリジは建築やファサードデザインが得意でした。この舞台装置もかなり大掛かり、というよりほとんど建築のようです。面白いのはそのデザインの奇抜さです。一階部分には絵が描かれていて、二階や三階のテラス部分にはたくさんの骸骨が描かれています。そういう彫刻のようなものを配置するつもりなのでしょう。亡き王妃をあの世でも骸骨の戦士たちがしっかり護るということなのかもしれません。

フィレンツェは表現史的に言えば、この頃はすでに後期ルネサンス、あるいはバロックの時代にさしかかっていましたから、ルネサンスの盛期と比べると、表現趣向、あるいは美意識が明らかに変化してきていることがわかります。

パリジのような、大公の権威や人気を演出する美的時空間創造者は、時代の美意識の先端、つまりは流行を牽引し、表現の世界に新たな展開やインパクトをもたらす役割を担っていました。建築家として街に美しい建築を新たに付け加える仕事も重要でしたけれども、加えて、たとえば祝祭などでは、それまで誰も見たことのない時空間を演出して人々を感嘆させることも大切な仕事でした。治世者人気を支えるのはいつの時代でも力と美だからです。ヨーロッパの美を牽引したフィレンツェにおいてはなおさらです。

右側の安置所の屋根はどうやら無数のロウソクを灯すようになっているようです。しかもその上に天蓋のようなものまで設けられていて、そこには球形の月のようなものが設置されています。昇天した王妃が月のように地上を見護るということなのでしょうか……

また左の絵をよく見ると、柱や小屋組以外の壁の部分はどうやら布でできて、そこには絵が描かれていたのでしょう。一階のエントランス部分からはおそらく人が出入りするようになっているようですし、壁の部分も、もしかしたらトランペットなどの合図とともに、布が取り払われ、その向こうに別の何かが現れるというような演劇的な趣向が想定されていたのかもしれません。

ともあれ歴史的な美の成果が蓄積されているフィレンツェの街と、そこで活躍するアーティスト、しかも大公の力を背負った非凡なアーティストであったジウリオ・パリジと身近に接したことが、カロに影響を与えなかったはずがありません。なによりもカロはフィレンツェとパリジをとおして、のちのカロの作品を特徴付ける、空間と動き、つまり時間と空間とその変化がもたらすダイナミックな力の魅力を学んだと思われます。そしてそのことがカロの資質を一気に開花させていくことになります。




-…つづく


 

 

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谷口 江里也
(たにぐち・えりや)
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本や歌や建築、さらには自治体や企業のシンボリックプロジェクトなどの、広い意味での空間創造を仕事とする表現哲学詩人、ヴィジョンアーキテクト。
主な著作に『鏡の向こうのつづれ織り』『鳥たちの夜』『空間構想事始』『天才たちのスペイン』、主な建築作品に『東京銀座資生堂ビル』『ラゾーナ川崎プラザ』『レストランikra』などがある。
なお音楽作品として、シンガーソングライター音羽信の作品として、アルバム『わすれがたみ』『OTOWA SHIN 2』などがある。

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バックナンバー
第1回:ジャック・カロを知っていますか?
第2回:カロの最初の版画
第3回:ローマでのカロ

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