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■亜米利加よもやま通信 ~コロラドロッキーの山裾の町から

第704回:美味しい水のために… その2

更新日2021/04/22


水道の水が不味くなるに伴ない、ペットボトル入りの水が流行り出しました。最初の頃はプラスティックの公害など問題になるとは分かりませんでしたから、否、メーカーはプラスティック、ペットボトルが処理できないゴミになることは初めらか分かっていたのでしょうけど、その当時はまだプラスティック万歳の時代でしたから、ペットボトルに詰めた水を盛大に売ったのでしょう。

瓶に詰めた水は昔から、と言っても50年前からありました。主に生水をガブガブ飲む習慣のない、また水道水の悪いヨーロッパで、“エヴィアン” “ペリエー” “ペルグリーノ” “ヴィッチィ・カタラン” “ラン・ハロン”などのブランド物の水はペットボトルではなく、瓶詰めで流通していました。空き瓶は回収して、洗い、もう一度水を詰めていたのです。

“ラン・ハロン”はアンダルシアのシエラ・ネバダ山脈の中腹にある泉の水です。村の名前がそのまま商品名になっています。その村を何度か通ったことがあります。泉といえば聞こえが良いですが、大型の水槽タンクを付けたトラックが列をなして、上から図太いパイプでジャージャーとタンクに注ぎ込んでいる様は、異様に観えました。あんなボロいトラックの清潔感漂わないタンクで大丈夫なのかな~と思ったことです。昔のことですから、トラックで瓶詰め工場まで運んでいたのでしょう。

考えてみるまでもないのですが、世界中に美味しい水は幾らでもあるのです。問題はそこからどうやって運び出し、瓶、ペットボトルに詰め、かつどうやってマーケティングするかなのでしょう。 

昔、日本で茶室を建てる時、良い水が湧き出る近くの場所を厳選したそうですね。今現在でも、高価なお茶に、塩素殺菌の匂いが残る水道水など使えないでしょうから、ペットボトルの水を茶釜、鉄瓶に入れて使っているのかしら…。それほど水にコダワル日本人が、水道の水をあっさり諦め、プラスティック、ペットボトルに入った水を持ち歩くようになった気持ちは分かるような気がします。でも、清楚な茶室にペットボトルがあるだけで、お茶の雰囲気が壊れてしまうような気がします。

プエルト・リコに住んでいた時、ちょっと“ヘルズ・エンジェル”か“イージー・ライダー”の残党のような服装をしている30代前半の男性がいました。奥さんはクラシック・ファッションで身を固め、二人の娘さんもカソリックの尼さんの学校に通っているのでしょう、制服をきちんと着ている、一見不釣合いな家族でした。彼が相当なお金持ちなのは、乗っている車、大型モーターサイクル、ほとんど過激なデザインで大馬力エンジンを備えたモーターボート、そして週末だけ使うマリーナ付属のコンドミニアムから知れます。

誰とでもすぐに親しくなるダンナさんによると、彼が親から引き継いだ山地に水量豊かな泉があり、親の代まで親類だけでポリタンクに入れ使う程度だったのを、彼にヒラメクところがあり、まずレストランにその水を流し、次第に大きなポリタンク、そして瓶詰め、ペットボトルで売り出し、なにせ美味しい水でしたから、良く売れ、彼氏イワク、「元手ゼロ、原価ゼロの水が金を生んだ」と言うのです。

美味しい水といえば、モロッコの水売りを思い出します。大きな革袋に入っている水を、胸にジャラジャラ下げたカップ一杯の単位で売っているのです。革袋から滲みでた水が気化熱を奪うからでしょうか、ダンナさんによるとなかなか良く冷えていて美味しい水だったそうですが、なにぶんにも使っているカップを毎回洗うわけではないので、何十人と共用することになり、これは間接的キッスをアラブのオッサンたちとすることになります。私は遠慮しました。肩から提げた革袋が空になったら、どこかで清水を汲んでくるのでしょうね。これも元手ゼロの商売ですが、カップ一杯の水の料金は2、3円ほどだったと記憶していますから、モロッコの水売りはとても財を成さなかったと思います。

アメリカ中西部の中小都市には、ウォーター・タワーがその界隈を睥睨するようにそびえています。平原の町では、日本のように山間のダムから落差で水圧を掛けることができないので、小さなテレビ塔のようなタワーの上に、頭でっかちの水道水を溜め込むタンクが載っかっているのです。近頃ではデザインも変わり、火星人のような形をしたモダンなタンクが増えてきました。そして、タンクに大きく町や村の名前が書き込んであります。ウォーター・タワーはサイロと同様、平原の田舎町の風物詩になっているのです。

小さくて、精巧なGPSがない時代、アマチュアパイロットは低空飛行で、ウォーター・タワーに書いてある町の名前を読みとり、位置確認したものだと聞きました。このように、自治体が各自水源を確保し、配水していますから、大都会の水でアメリカ全体を判断することなどできません。

先々週、父のいる老人ホームに行き、感動したのは水道水の美味しさです。カンサス・シティーの東、十数マイルにある“ブルースプリング”という町で、そこには豊富な地下水脈があり、それを供給しているのです。人口100万人を超えるカンサス・シティーのように、ミズリー川の水なんか使っていないのです。

このブルースプリングの町は、町からプラスティックのゴミをなくす、少なくする方針の一環として、丈夫な瓶をタダで配り、アメリカで一番美味しい水を(水道水の全米コンテストがあり、一番美味しい水と自認する町がたくさんあるのですが…)その瓶に詰めて持ち歩け、余計なペットボトル入りの水を買う必要などない…というキャンペーンを繰り広げています。蛇口を捻れば美味しい水が出てくるという、当然そうあるべきことに希少価値が出てくる、世の中の方がおかしいのですが…。
それにしても、父のところで美味しい水を堪能したことです。

何に対しても、一家言を持っているらしいウチのダンナさん、「大体、トイレを流す水と飲む水が同じだというのが間違っている、アメリカの家庭で消費する水の40パーセントは洗濯機、食器洗いのために消費され、それにトイレと庭の芝生に撒く水を加えると80数パーセントになる。実際に飲むか料理に使う水は10パーセント以下である、よって水道は2本化すべきであり、飲み水用のパイプと雑用の配水を別々にすべきだ」と言うのです。

トイレを流すのに美味しい飲料水を使う必要なんかないと言うのです。それに2本化するためのパイプの値段なんて、パイプを埋めるために深い溝を掘る工事に掛かる費用に比べ、小さなものだと、いかにももっともなご意見ですが、世界でそんな2本立ての水道を実行している町、市はどこにもありません。超大金持ちが、自費で美味しい水を特別に自分の家にだけ引いている例はあるでしょうけど…。

ダンナさんの卓見は、紙の上の空論で終わりそうです。

-…つづく

 

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Grace Joy
(グレース・ジョイ)
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中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。

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