■亜米利加よもやま通信 ~コロラドロッキーの山裾の町から


Grace Joy
(グレース・ジョイ)




中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。



第1回:男日照り、女日照り
第2回:アメリカデブ事情
第3回:日系人の新年会
第4回:若い女性と成熟した女性
第5回:人気の日本アニメ
第6回:ビル・ゲイツと私の健康保険
第7回:再びアメリカデブ談議


■更新予定日:毎週木曜日

第8回:あまりにアメリカ的な!

更新日2007/04/26


日本人がアメリカに行くとき、旅行や留学、仕事での滞在でも、決まって心配するのは、犯罪のことでしょう。とりわけロサンジェルス、ニューヨークなどの大都会に来る日本人は、ピストルでズドーンと殺されるのではないかと心配しているようです。どうも日本人のイメージではアメリカ人全員が腰にピストルをぶら下げて持ち歩き、何かことがあればすぐに撃つと思っているようなのです。

そんな心配を耳にするたびに私は、「私の家族、親戚、友達でピストルを持っている人は誰も居ないし、私が直接知っている人がピストルで殺されたこともない。3億近いアメリカ人が毎日普通に生活しているから、そんな心配はいりませんよ」と答えることにしていました。と過去形で書いたのは、私が思っているほどアメリカは安全でない国になってきたからです。

ヴァージニアの大学での乱射事件は、アメリカの社会全体の縮図です。偶発的に起きた独立した事件とは言えません。学校や大学が聖域だという考えは変えなければなりません。1999年のコロンバイン高校で13人、1996年のオースティン、テキサスの大学で16人、1991年にやはりテキサスの大学で23人、昨年アーミシュの小中学校で5人殺されています。2、3人程度の小さな事件は幼稚園、小学校を含めて毎月起こっていると言ってよいでしょう。

2006年にアメリカではなんと1万6,000人が殺されているのです。それも銃火器での自殺、事故(我が副大統領チェイニィーが猟友を間違って撃ったような)、警察が職務上発砲し殺したケース、撃たれた後48時間以上経ってから死んだ人は含まれていない数字なのです。もちろん重症で一生障害を負った人も含まれていません。とりわけ銃で自殺をした人は1万6,750人(2006年)もいるのです。

イラクでブッシュ大統領が戦争を始めてから4年間で死んだアメリカ軍人が3,000人を上回った程度ですから、アメリカは国内でもう一つ大きな戦争を抱えているようなものです(もっとも、死んだイラク人が27万~30万人という数字はさておいて)。当然ですが、殺人率(というのかしら)はアメリカのどこの街でも軒並みに上昇し、フロリダのオーランドでは123%の倍以上の急上昇、マイアミは43%、ボストンでも20%も増えています。そんな殺人の66%は銃火器が絡んでいます。

中央政府は10発以上連射できるピストルの市販を禁止していますが、一旦銃を買ってしまえば、大きな19発まで入る弾創に取り替えるのは簡単なことなんだそうです。それに中央政府の規制はあってないようなもので、銃に関しては各州や市町村の条例が力を持っています。ほとんどの中西部、南部の州ではスーパーマーケットでピストルも弾も買うことができます。

もしあなたがピストルを買おうとするなら、必要なのは運転免許証だけです(もちろんお金も必要ですが)。法規上では警察署の無犯罪証明のようなものも要求されますが、これは銃火器屋さんのカウンターで店員さんが簡単に書類を調えてくれます。単に"賞罰なし"、のようにウソでも何でも書き入れてサインするだけです。

何らかの理由で運転免許証を見せずに買いたいなら、質屋さんに行くか、頻繁に開かれているガンショーに行き、中古を買うことです。中古の売買には法規上義務になっている登録がなく、お金だけ払えばいいだけです。

また、新聞の売りたし、買いたしの欄にはありとあらゆる銃火器が出ているし、カタログのメールオーダーでも簡単に買うことができます。車を買うよりはるかに簡単なのです。弾のほうはスーパーの棚に積み上げられているのを、カートに入れるだけです。

このようにアメリカの銃火器コントロールはないのも等しい、野放しなのです。

アメリカで殺人を減らそうとするなら、簡単です。一切の銃火器を禁止し、日本で中世に行ったように、"刀狩り"ならぬ"ピストル、ライフル狩り"をすればいいのです。国内に出回っている推定1億9千2百万丁のピストルを回収するのです。それで今回のヴァージニア工科大学のような事件がなくなりますが、それができないのは、全米ライフル協会 N.R.A.(National Rifle Association)の力がとても強く、ふんだんにある資金を政党や議員に献金し、火器の所有を制限しようという動きを潰しにかかるからです。個人を守るにためは自衛のために武器を持つ権利があると憲法上の個人を守る権利を楯に、兵器産業を保護しているのです。

ヴァージニア工科大学の事件では、州知事、果ては大統領まで駆けつけ、このような事件は二度と起こっててはならない、などと政治的スタンドプレーを演じていますが、亡くなった学生や教授へ与えうる最大の贈り物は、銃火器保持を全面的に禁止することだと思うのですが、誰もそんなことは言いません。

鬱病や精神障害のある人は何百万人単位でいるのですから、現実問題として事件を起こす前に、それらの人々を収容することは不可能なことです。今回事件を起こしたヴァージニア工科大学の韓国系の学生にしろ、ピストルを手に入れることができなければ、ナイフや鉄の棒だけで、こんな大量殺人にまで発展しなかったのは明らかですが、こんな簡単な現実的仮定さえ、アメリカで真剣に検討されることはありません。

対外的にも個人的にも、銃火器で守らなければならないアメリカン・デモクラシーは、それ自体が病んでいることにアメリカ人は気づこうとしないのです。

日本が安全なのは、異常なまでに厳しい銃火器と麻薬のコントロールのせいだと、それは社会のために必要なことだと、アメリカの現実に憤ってダンナと話をしていたら、なんと、このごろ日本でもピストルの事件が結構ある、と言ってインターネットのニュースを開いて見せてくれました。

長崎の市長さんが撃たれ、和歌山県でもピストルで70歳の老人が63歳の主婦を撃ち殺したと、今日4月16日だけで2件も起こっているではありませんか。

日本も悪い意味でアメリカナイズされてきたのかしら。

 

 

第9回:リメイクとコピー