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■亜米利加よもやま通信 ~コロラドロッキーの山裾の町から
 

第805回:森の生活

更新日2023/06/08


なにもここで、H.D.ソローの古典名作の向こうを張るつもりはありません。ソローの原作は『On walden pond』というタイトルで、『ウォルデン池の辺で』とでも訳せましょうか。でも、日本語訳の『森の生活』の方が内容にピッタリ沿っているように思います。ウォルデンの池なんてどこにあるのか、日本では誰も知らないでしょうから…。

この本はアメリカの古典になってしまいましたので、今やウォルデン湖付近は大観光地になり、とてもソローが自分で小屋を建てた当時とは全く別世界になってしまったようです。
 
私たちは森に埋もれるように暮らしています。とてもソローのような内的な精神生活を送っているとは言えませんが、森の静かさと澄み切った空気だけは充分に味わっています。比較的自然に沿った、森を壊さない暮らしをしていると思います。水は地下水を汲み上げ、台所とトイレの汚水は地中に埋めた浄化槽で発酵させ、その上澄みの水は浄化槽から浅く埋めた5本の長さ10メートル程のパイプを傾斜地に放射状に広げ(このパイプには直径1センチほどの穴が無数に開けてあります)、そこから流れ、大地に返しています。この方式はリーチフィールドと呼び、広い傾斜地が必要です。
 
この乾燥した岩だらけの台地にもかかわらず、今のところと言う条件付きですが、地下水が枯れることはありません。自然に、森に優しい生き方をしていると、少し自己満足しています。
 
ところが、松食い虫がロッキーを越え、西へ西へと侵入してきて、私たちの森も食い荒らし始めたのです。ダンナさんが松の皮を剥がし、憎き松食い虫を捕まえてきました。それは米粒ほどの大きさのチッポケなカブト虫で、1匹1匹捕まえるのは簡単なのですが、それがほとんど無数におり、おそらく一本の松に百万匹単位で、幹に穴を堀り、住んでいるようなのです。茶色に変色した松の針を付けた松が点々とあり、それが広がりつつあるのです。

岩山の上から見ると、松食い虫に侵された醜い松が勢力範囲を広げていくのが観て取れます。大学の森林専門の先生に駆除法はないかと訊いたところ、一本一本に薬剤を散布すれば効果がある…との助言を頂きましたが、それは、団地の庭に2、3本の松が生えているケースで、私たちの森全体で何千本、否、きっと何万本単位の森には、とても除虫剤を吹き付けることなどできません。その除虫剤で死んだ虫を小鳥が食べ、鳥たちも死ぬような処置はできません。


初めてフランスからスペインに飛んだとき、ピレネー山脈を越えた途端に緑が少なくなり、赤茶けた乾燥した大地が広がるのに深い印象を受けました。あゝ、地中海的な景色になったと思ったのです。その後、少し地中海世界のことを知るようになり、どうも2000年前とまで言いませんが14、15世紀まで、スペインは豊かな森に覆われていたようなのです。ところが中南米からドンドン入ってくる金銀に溺れ、また大西洋を横断するための船の建造に膨大な木を伐採し尽くした結果、禿げた大地になってしまったと知り、ショックを受けました。

それはギリシャにも当てはまり、アテネ、スパルタが競っていた時代、ギリシャ本土、島々も、クレタ島も美しい緑に覆われていたようなのです。私が抱く乾燥した岩山ばかりのイメージとは全くかけ離れた風景が広がっていたとは信じられないことです。 
 
絶対的雨量の少ない地中海沿岸では、一度木を切り倒してしまうと、いくら植林をしても木の成長が恐ろしく遅く、それまで根を張っていた木々によって土、岩に微かな水分を保っていた大地は一度全く乾燥してしまうと、せっかく降った雨も地表を流れ、地中に吸い込まれることが難しくなり、大地は死んでしまうというのです。

それに、こんな乾燥した土地で育つ木の成長は、上手く根付いたとしても、成長が非常にゆっくりで遅く、大きな木に育つには何百年もかかります。 
 
私たちの土地にあるジュニパー(juniper;ネズ科の松、杜松、お酒のジンの香り付けに使われる)は樹齢700年くらいだと、友人の森林保護官が査定しましたから、森を蘇らせるには気が遠くなるほどの年月がかかるようなのです。再生力の強い熱帯雨林とは全く異なり、一度、破壊した森はほとんど再生不可能なようなのです。

スペイン、ギリシャの森を引き合いに出すまでもなく、私たちは森が育んだ文化を引き継いでいると思うのです。稲作が始まる前の日本の縄文文化も、森が育んだものではなかったかしら。

森の文化を守るため…と大上段に構えてはいませんが、ウチのダンナさん、これ以上広がらないように、毎日松食い虫にやられた松を切り倒し、防戦に励んでいます。今まで200本以上切り倒したかしら。
 
「この森が枯れてしまったら、もうここには住めないからな〜。でも、なんだか勝ち目のない無駄な戦いをやっているような気がするな〜」と、珍しく弱気の愚痴をこぼしています。と言いながらも、今もダンナさんが森の中でチエンソーを振り回している2サイクルエンジンの音が聞こえます。なんだか、現代版の“お爺さんは山へシバ刈りに…”を思い起こさせます。

 

 

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Grace Joy
(グレース・ジョイ)
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中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。

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