第616回:“Liar, Liar. Pants on Fire!”(嘘つき、嘘つき、お前のお尻に火がついた!)
嘘をついてはいけません、いつも正直でいなさい!」と、私たちはある種の洗脳を受けています。アメリカの初代大統領、ワシントンが、子供の頃、両親が大切にしていた庭の桜の木を切ってしまい、「誰が切ったのだ?」と父親が怒り狂っていた時、「僕がヤリました」と名乗って出たのを美談として、聞かされました。
この話は随分後になってから、牧師さん(メイソン・ウィームズ)が創作したものですが…。早く言えば、正直でいなさいという話を嘘で作ったのです。『ピーターと狼』のお話も、いつも嘘ばかりついていると、本当に狼が襲ってきた時、誰も信用しませんよという教訓として聞かされてきました。
キリスト教的に神様の前で誓い、誓言(せいごん)するのは大いに儀式的、見栄を張った行為です。これだけ離婚が多いアメリカでのことです、毎回結婚する度に、牧師さん、神父さんは、「彼、彼女を生涯の伴侶としますか?」と問います。それに対し、すっかり浮き足立っている新郎、新婦は当然のように「イエス」と応えます。2回目、3回目の結婚式の時、以前の誓言を破り離婚したではないか、お前たちはウソつきで、信用できないと牧師さんも言いません。
ウチのダンナさんみたいに、「将来、未来のことは誰にも分からない」などと答えるのは当たり前のことなのですが、「雨の降る日は天気が悪い」と言うようなもので、余程偏屈な変人と思われます。アラブのモスレムの国々では、嘘そのものではなく、誰にどのような嘘をついたかが問題だと聞いたことがあります。その方がはるかに現実的で自己に忠実な生き方を養うことができそうな気がします。
どうにもキリスト教的に底の浅い、表面的な正直さにはどこか胡散臭さが付きまといます。これもダンナさんの意見ですが、「オメ~、人類愛、隣人愛、世界の平和を祈っているはずのサービス、ミサ、礼拝を終えて教会を一歩出るなり、自分の息子、娘を戦場に送り込むようなヤツを信用できるか!」と言うことになります。いかなる戦争、徴兵にもきっぱりと拒否の態度を貫いているのは、ミノナイト、アーミッシュ、クエカー教徒だけではないかしら…。
個人レベルの嘘と国家間の嘘は、とても同等に論じることはできませんが、政治、外交にウソというのかハッタリ、駆け引きは付き物です。自分の持っているカードを全部さらけ出し、交渉相手に見せるのは下の下だとされています。一方で、自分に投票してくれた国民の皆様には正直者のように振舞わなければなりません。
ところが、そんな外向け、内向けの顔を使い分けずにウソをつきまくっているのがトランプ大統領です。どこか場当たり的に口から出ませばかり口にし、ツイッターに書き込んでいると、体中に嘘が浸み込み、顔つき、口の歪み、話し方までが信用できないペテン師風になるものです。
トランプ大統領がついたウソを偏執狂的に数えていたジャーナリスト・グループがいます。『ニューヨークタイムズ』紙と並んでアメリカではクオリティー紙とされている『ワシントンポスト』紙の記者グループが数えたところ、トランプ大統領は就任以来11,111回ウソをついているというのです (2019年4月29日号) 。
就任後の828日間に平均すると1日に12回ウソをついていることになります。こうなると“ウソも方便”という範疇にとても収まりきれません。ミューラー・レポートが提出されてからは、トランプ大統領のウソにますます拍車がかかり、毎日23回のウソをついていると『ワシントンポスト』紙が叩いています。まさに“Lair, Lair. Pants on fire !”((嘘つき、嘘つき、お前のお尻に火が点いた)と囃し立てられても当然のウソつきなのです。
私のトランプ嫌いを横目で見ているダンナさん、「そりゃ、日本の政治家だって、どっこいどっこいだゾ」と、一昔前に、「私はウソは申しません!」と堂々と国会で宣言し、当時のマスコミに袋叩きに遭った首相(池田勇人;1960年)がいたことを教えてくれました。
彼によれば、歴代の首相たちは、ノーベル平和賞を貰った佐藤栄作を含め、非核三原則である核を造らない、使わない、持ち込ませないを自ら破り、アメリカの航空母艦や戦艦が原子爆弾を積んでいることを知りながら、日本人にシラを切り、嘘をつき続け、日本人を危険な状態に陥れていた…ロクでもない奴等ということになります。
日本でバカ正直というのは、多少呆れながらも愛すべき存在という響きがありますし、嘘も方便と言う時、言い逃れでしょうけど、本人に本当のことを告げずに、当人に余計な心配をかけないためにお砂糖をマブシタようなことを言って現実を和らげているように見受けられます。たとえば、日本では長いこと癌の患者さんに、「貴方は癌です…」と直接告げないような種類のウソです。
考えてみるまでもなく、私が育ったキリスト教の環境では、元々神がアダムを世に遣わし、彼の肋骨からイヴを造ったという虚構、いわばウソを源にして、それにイヤというほどの教義を上塗りし、固めてきました。宗教や信仰の対象はそれを信じている人以外の目からみると、とんでもないオトギバナシや奇跡譚の羅列です。それでいながら宗教が過去にも現在でも、そして未来にまで持ち続けるであろう影響力は絶大です。
古代ギリシャでクレタ島の人は嘘つきだ、という定評がありました。これはクレタ島出身の哲学者・預言者であるエピメニデスが、「クレタ島の人はみな嘘つきだ」とテトスへの手紙に書き、自己言及のパラドックス(嘘つきのパラドックス)を定義してから有名になったものです。
どうにもアメリカだけでなく、世界全体がクレタ島の人になってきたような気がします。
上手に嘘をつき、正直であろうとするには、それなりの修練とそれに見合った人格形成が必要ですし、正直で率直な態度で人間関係を作り上げて行くには、相当の鍛錬を積まなければならないようなのです。それに引き換え、信用を崩すのは至って簡単です。もう誰も北朝鮮の金正恩もトランプも信用しないように……。
-…つづく
第617回:オーバーツーリズムの時代
|