第111回:イビサ上下水道事情 その2
ある日、私のアパートの台所の壁がグッショリ濡れ、床に水溜りができた。私は旧市街にある間口一間ほどの薄暗い水道屋参りをし、すぐに来てもらう手はずをとった。ところが、約束の日になっても、その次の日になっても、水道屋、配管工は来ず、“御百度を踏み”をしなければならなかった。店番をしているおカミさんは、ダンナに伝えておく、もう伝えたと言うばかりだ…。
スペインで水道屋、配管工のことを“フォンタネーロ(fontanero)”という。“フエンテ(fuente)”すなわち泉を扱う技師ということだろうか。そのフォンタネリア(fontanería;配管屋)はカミさん一人が頑張っていて、フォンタネーロの亭主は小さなフルゴネッタ(furgoneta;バン)の“ルノー・クワトロ”で出ていて、顔を合わせたことはなかった。
配管工御用達のルノークアトロ小型バン
待てど暮らせどやって来ないフォンタネーロにシビレを切らし、水漏れは激しくなるばかりで、階下に滴り落ちるほどになり、困った時のゴメス頼みとばかり、ゴメスさんの仕事場の鉄材倉庫まで出向き、事情を説明し、何とかならないか…とやったのだ。ゴメスさん、即座にそんなこと何故早く言ってくれなかったのか、ホセを送るから、明日、午前中にアパートにいてくれ、と決着がついたのだった。
フォンタネーロだけでなく、床のタイルが剥がれてきた時の左官屋、元々氷を入れて冷やすタイプの冷蔵庫を、電動モーターのコンプレッサー方式に転用した冷蔵庫の修理屋らが、『カサ・デ・バンブー』があるゴメスアパートに来たがらなかったのは、車を横付けできず、裏の陸軍病院に車を止め、そこから長い坂道を下り、アパートのあるちょっとした崖を重い道具類担ぎ、エッチラオッチラ運ばなければならないからだ。
ともかく、フォンタネーロのホセが溶接用のバーナーなど道具類が詰まったバッグを49ccの原付スーパーカブの後ろ座席に縛り付けやって来た。ホセは赤毛の大男で、口が重いというのか、口を開くと特別な税金でも取られるとでも思っているのか、うなずくだけで、返事も挨拶もしない、ひょっとすると唖(オシ)ではないかと思ったほど無口な男だった。
後で知ったことだが、ホセはゴメスさんが小学校の教員をしていた時、その学校の知恵遅れの特殊学級の生徒だった。ゴメスさんは生徒をヒッパタクことで有名だったことは後で知った。
当時のスペインでは、そのような子供たちの手に職を付けるため、中学生になる年頃から、左官、レンガ積み、配管工、裁縫などの親方のところへ、いわば丁稚奉公に送ったのだった。そのような子供たちは見習い職人(アプレンディス=aprendiz;弟子)となる。親方の方は、政府から何がしかの援助も貰えたようだ。そんな関係で、ゴメスさんはホセを送って寄越したのだった。
ホセが普通でないことはすぐに分かった。でも、急ぐ複雑な工事でもないし、彼のペースでゆっくりと仕事を進めれば、それで良いと彼の仕事ぶりを観ていた。
ホセはまず台所の蛇口の上のタイルをタガネと大きなハンマーで壊し始めたのだ。スペインのアパート、マンション、普通の住宅では、水道管、電線、すべて石、レンガ、セメントブロックの壁の中に埋め込むのをヨシとする。確かに美的観点から言えば、埋め込む方がイイに決まっているが、それは、一旦配管、配線したものが決して壊れないという大前提があってのことで、今回のように水漏れが発生すると、そのミナモト、水源地?に行き当たるまで、盛大に壁や床を壊さなければならない。
台所の壁のタイルは剥がされ、長さ1メートル、幅10センチほどの溝をパイプに沿って掘ったところで、パイプに穴が開いている箇所に到達したのだった。遮るセメントやタイルがなくなったので、水は勢いよくホセの顔にかかった。ホセは濡れた顔を私の方に向け、シテヤッタリとばかり、ニヤリと微笑んだ。
ホセは水漏れの穴に応急のネジのようなものを入れ、ともかく漏水を止め、私は屋上まで登り、貯水槽に付いている元栓を締めたのだった。その時初めて、このアパートの配管はすべてが前近代的な鉛のパイプであることを発見したのだった。このゴメスアパートだけでなく、少し古いと言っても市民戦争前に建てられた家、アパートはすべて、そして50年代に入ってからでも鉛のパイプを使っている建物が多いことを知ったのだった。
鉛管(tubo de plomo)の水道管
英語で配管工(水道屋)のことをプロマー(plumber)と言うが、その名の通り、plumb(鉛)を扱う人のことだ。鉛が人体に害を与えることは中世から知られていたはずだが、水道水を飲む習慣がない国では、水道局も保健省もなんら問題にしていなかったのだろう。
ホセは穴を塞ぐのではなく、漏水部分のある30cmばかりのパイプを切り取り、交換した方がよいと言うのだ。私に異論があるはずもなく、私が鉛パイプを買いにべスパを走らせたのだった。例の旧市街にある小さな水道屋で少し長目に50cmばかりの鉛のパイプを購入した。その時、鉛のパイプは長さではなく、目方、重さで売ることを知った。確かにカパソ(capazo;藁製のイビセンコバッグ)に入れた高々50cmのパイプはずっしりと重く、肩に食い込んだ。
タバコ・ネグロの代表、DucadosとRex(1990年頃)
ホセは美味そうにタバコ・ネグロ(tabaco negro;黒い葉のタバコ)、“ドウカドス(Ducados)”を吹かしながら交換部分を切り取り、パイプはこんなに腐っているだろうと宝モノのようにかざし、見せてくれた。水漏れ箇所が見つかれば後は簡単とばかり、新しい鉛のパイプをオーバーラップできる長さに切り、切り口を広げる原始的な道具で古いパイプの上に嵌るだけ広げ、両方の表面をワイヤーブラシで擦り、汚れを落とし、交換部分のパイプを古いパイプに嵌め込み、締め込み、接続部をバーナーでハンダ付けして、鉛管工の仕事を終えたのだった。
と書けば、短時間にスムーズに進んだように聞こえるだろうが、実際、ホセの仕事ぶりは悠々というより、これほど遅いスピードで体を動かすことができる限界に挑戦しているかのように、超スローモーで、しかも5分毎に“ドウカドス”を吹かすのだった。ガラパゴス諸島のゾウガメに仕事をやらせたら、きっとこうなるだろうと思わせた。
それでも、元栓を開き、水漏れがないことを確認し、自分が溶接した部分に手を入れ、握り締め、どうだ全く乾いているだろうと手のひらを見せ、ニカリと微笑み、一件落着したのだった。
ホセは午後2時頃、昼食を摂るため、道具類を置いたままスーパーカブで家に戻り、そのまま消えた。飛び散ったセメントやタイルの欠片を片付け、部屋全体を覆った白いホコリを拭き、ホセが剥き出しのパイプをモルタルで塞ぎにくるものとばかり思い込んで待っていたが、1週間経っても音沙汰がなく、またまたゴメス詣でをしたのだった。
なんせ商売道具一式の入ったバッグが私のところに置きっぱなしだから、ホセの仕事に差し支えるのではと気を回したのだ。私はホセがどこに住んでいるのか知らなかった。そのバッグをゴメスさんに手渡し、仕上げにホセは来ないのか、と訊いたところ、それは左官屋の仕事でホセの仕事はパイプを修理したところで終わった。ウーム、パイプの周囲を埋めるだけの仕事で左官屋を呼んでも、来てくれないだろうな…と到って頼りない返答をするのだった。
結果、私自身が、壁の釘穴などを埋めるための家庭用の缶入りパテ、練り白セメントを擦り付け、どうにか溝を埋めたのだった。
台所に立つ度に、いかにも素人臭いイビツな修理の跡が目に付いたことだ。
第112回:イビサ上下水道事情 その3
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