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■ビバ・エスパーニャ!~南京虫の唄
 

第4回:フランコ万歳! その4 

更新日2021/04/08

 

※混乱をさせて大変申し訳ありませんが、筆者の希望により、今回からシリーズタイトルを
『スペイン讃歌』から『ビバ・エスパーニャ!』に改題しましたので、ご了承ください。

私がスペイン、生のスペイン人と出会ったのは、イギリスはスコットランドでのことだった。アバディーン郊外の下宿屋に、私に2月ばかり遅れてスペイン人が入ってきたのだ。彼はクリストファー・リーブが演じたスーパーマンによく似ていた。イヤ、スーパーマンというよりも、クラーク・ケントに近く、黒縁メガネをかけたハンサムボーイだった。

彼の名はパブロ、南スペインはセビーリアの出身で、ここの大学の医学部で学位を取り、セビーリアで開業するつもりだと、やけにはっきりした将来像を語った。彼にはペニーというスコットランド娘のノヴィア(婚約者)がおり、ペニーがパブロのために入学やこの下宿の下準備をしたことのようだった。ペニーの専攻はスペイン文学で、彼女がスペイン、セビーリアの大学に留学した際、下宿したのがパブロの家で、そこで若い二人は恋に陥る…というよくある筋書き通りに話は進んだことのようだった。

その下宿屋に学生ばかり5、6人いたが、半数はスコットランド人、イギリス人それにアメリカからの学生で、英語圏以外から来たのは私とパブロだけだった。自然パブロと親しくなった。とは言っても、パブロは学校とデートに忙しく、週末に他の下宿人たちと連れ立ってパブに出向くことはなかった。

それにしても、デートというのはああまで毎日毎日するものなのかと呆れもし、感心もした。他の学生らも“世紀の大恋愛だ!”と冷やかし気味に二人を観ていた。パブロは毎日欠かさずペニーに会いに行き、彼女のところで夕食を摂ってくることも多かったから、顔を合わせるチャンスは、パブロの方が夜に下宿屋に帰ってきた時、私の部屋のドアをノックし、話し込む時だけだった。

当初、私の英語の方が半日の長があったと思う。しかし、日本の受験英語の延長だから、読み書きは辞書を引きながら何とかこなしていたが、会話となるとからっきしダメだった。はじめの頃、パブロの英語は、そんな英語で医学部の授業に付いていけるのか…というレベルだった。それがほんの2、3ヵ月で、アレヨアレヨという間に、誰彼となく会話できるようになり、ボキャブラリーも豊かになっていった。しかも、アバドニアン(Aberdonian;アバディーン方言、訛り)を交えて周囲を笑わせるようになったのだ。

これはどうも、英語とスペイン語には共通のラテン語の背景があるから、チト読み方を変えれば通用するというだけでなく、パブロ自身に言語の才がある…と思わせた。パブロにはペニーという個人教授が付いている、というのも当たらない。彼はペニーといつもスペイン語で話していたからだ…。

スコットランド、アバディーンの冬は長い、というより夏が極端に短い。私が滞在したのは9月から翌年の6月の中頃までだったから、本当の夏を体験していない。だから、いつも低い雲が流れ、霧が漂っている印象しか残っていない。

パブロがチョイチョイ私の部屋で愚痴交じりにスコットランドの天気の悪さ、食べ物のまずさ、人間の冷たさ、強いては女性がブスばかりではないかと言ってしまってから、修正するようにペニーは例外だけど、と付け加えたが、そこへいくとスペインは第一に、明るく輝く太陽が降り注ぎ、何を食べても美味い、それになんたって美人ばかりだ。「サーノ(私はそう呼ばれていた)、ここの期間を終えたら是非スペインに来い、行け!」と盛んにそそのかすのだった。セビーリアにあるパブロの実家の住所も渡された。

実際、アバディーンの下宿屋でパブロに出会わなかったら、スペインに行き、人生の大半をそこで過ごすことにはならなかったと思う。私はまんまとパブロの甘言、誘惑に乗ったのだった。私のスペイン膠着のキッカケを作ったのはパブロだった。その時、私はまだ日本に未練があったわけではないが、ロンドンから日本に飛び、3年目の途中で抜けてきた大学を終えるツモリでいた。

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イギリスのPublic Footpath「歩くことを楽しむための道」 

イングランドには縦横に走った長いハイキングコースがある。“フットパス”(public footpath;公共人道)と呼ばれる遊歩道というか、野原を横切り、フェンスや石垣を乗り越え、歩いて旅ができるコースがたくさんあるのを見つけたのだった。私はヒッチハイクをやめ、スコットランドから歩いてロンドンに辿り着いたのだった。3ヵ月くらいかかっただろうか。ちょうど良い距離に20~30キロ毎に村や町があり、ユースホステルがなければ、ベッド&ブレックファーストがあり、歩く旅の楽しさを存分に味わったのだ。この旅のことはここでは省くが、ロンドンに着く頃には日本に帰ることなど、まったく考えなくなっていた。

全財産、といっても着替えの下着、雨具、寝袋程度のものだが、をバックパックに詰め、ヒッチハイクと足でフランスを南下し、国境の町イルン(Irun)を経てサンセバスチャン(San Sebastián)に入ったのだ。フランスとの国境越えはシトロエン・ドゥーシーボー(Citroën 2CV;二頭の馬、鉄板を張り合わせたような車体のユニークな車)を運転してる若いカップルが拾ってくれた。テロ事件が佳境であった時、しかもバスク県にある国境イルンだったから、入国の審査では、車の内外をライトの付いた鏡で車の下までチェックし、我々は所持品を洗いざらい大きなテーブルに並べ、ポケットを空にし、厳しいと言うより、厳重極まりない国境警備、入国審査を済ませたのだった。

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Citroën 2CV、2馬力ながら大人気だった大衆車

その時初めてスペインのグァルディア・シヴィル(国家治安警察)の暗緑色の制服、ボナパルト帽、機関銃を見たのだった。このグァルディア・シヴィルはその後、ありとあらゆるところと言っても言い過ぎではないと思うが、政府関係の建物、銀行、郵便局、街角を徘徊、警備しており、町中を機関銃を持った警察がうろつく国が20世紀のヨーロッパに存在するのか…と軽いショックを受けた。 

スペインに入った最初の町はサンセバスチャンだった。ヒッピー風の若いカップルは、バックパッカー旅行の経験があるのか、いかにも安そうなペンションの前まで連れて行ってくれたのだった。それにしても、彼らはよく私のようなヒッチハイカーを拾い、同乗させ、国境越えを敢行してくれたものだと今になって感謝する。

イルンからサンセバスチャンに至る街道で、ボナパルト帽のグァルディア・シヴィルを目にする度に、それが戒厳令でも敷かれているのかと思わせるほど多かったのだが、長髪の彼女は、私の方を振り向き、あいつらには注意しろ、関わるなと仕草で(私はスペイン語がまるでできなかったし、彼らは英語がダメだった)、忠告してくれたのだった。

こうして私はスペインに足を踏み入れ、第一夜をサンセバスチャンの安ペンションで過ごすことになったのだった。

 

 

第5回:フランコ万歳! その5

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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