第27回:酒場サルーンと女性たち その27
■シカゴ・ジョーというビジネス・ウーマン
娼館のマダム、サロンバーの持ち主として成功した娼婦はたくさんいるが、そこから一歩踏み出して、一般の事業でも成功したマダムとなると滅多にいない。娼婦としてあるいは幾人かの娼婦を使って娼館の経営者、マダムとして一度甘い汁をたっぷり味わうと、なかなか娼婦関係から足を洗い、全く別の事業に移るのは難しいのだろう。
シカゴ・ジョーはそれをすんなりやってのけた。
もちろん、シカゴ・ジョーというのは他人が呼んでの通称で、アイルランドで1844年に生まれた時の名はメリー・ウェルチ(Mary Welch)と言う。彼女が14か15歳の時、両親と伴にアメリカに移民し、ニューヨークで中等教育を受けている。ジョーの両親は真面目一方の働き者で、熱心なキリスト教(カトリック)信者だった。彼女がとんでもない道に入る予兆もなく、そんな環境でもなかった。ジョーは小中学校を普通に終えている。
年百、何千といたであろう、アメリカ辺境の娼婦に、アイルランド人がなんと多いことだろう。もとはといえば、赤貧洗う貧しい環境から出てきて、カトリックでアイルランド人という偏見の下では、いかに新天地、アメリカであろうと、正業に就くのが困難だった。同じことが中国人にも言える。大陸横断鉄道は中国人労働者なくしては、完成しなかったと言われているが、同時に大勢の中国女性も連れてこられた。彼女らの仕事は洗濯女、料理人、掃除婦、そして娼婦になるしかなかった。それこそ何万といたであろう中国人娼婦らの記録は驚くほど少ない。
1849年のカリフォルニアのゴールドラッシュの時に中国人鉱夫と一緒に大勢の中国人女性が来ている。彼女らの多くは中国本土の“エージェント”??人買いに2年契約で送られてきた出稼ぎ娼婦だったからだろうか記録、統計が少ない。中には有名な“リスの歯のアリス”(Squirrel Tooth Alice)のようなやり手マダムのような人物もいるが、いくら女性に飢えていたにしろ、中国女や黒人とまでセックスはしない、したくないと言う白人、アングロサクソンの偏見が強かったのではないか。それに、中国女性は全くと言っていいほど米語を話せなかった。
そこへ行くと、さげすまされていたとはいえ、アイルランド女性は白人だ。辺境で女性に飢えていた男どもにとって白人であることに変わりはなかった。
ジョーが親元を離れたのは彼女が17か18歳の時だったと思われる。「若者よ、西へ行け」のブームにアテラレただろうか、質実な両親の元にいては息詰まったのか、その両方なのだろう、いきなり当時まだ西部の玄関口だったシカゴに行き、娼婦業に飛び込んでいるのだ。誰か手を引いたものがいたのかもしれないが、どういう動機で、誰の影響で売春婦になったのかは分かっていない。
ともあれ、17、18歳の娘がいきなりシカゴ・ジョーと呼ばれるまでの娼婦になったのだ。ジョーは明るく、ダンスが上手で、酒に強く、それにも増して生き生きとしたコケティッシュな娘だったという。サルーンでも一夜にして人気者になったというから、ジョーは天性の娼婦だったのだろう。 それは多分に運、ツキもあった。その頃、カリフォルニアのゴールドラッシュが終焉に向かいつつあり、そこへモンタナのヘレナ金山が発見され、最盛期を迎えつつあったのだ。

当時のHelenaの街
ヘレナ(Helena)はゴールドラッシュに沸いた町だ。1862年にバノック(Bannok)に金鉱が発見され、続いてヴァージニア・シティーにも豊かな金脈が見つかり、すぐにヘレナは“市”として発足した。現在はモンタナ州の州都である。と言っても、人口3万2,000人の小さな町だが。町の誇りはゲーリー・クーパーが町の出身であることと、こんな田舎町に不似合いなほど大きな大聖堂、豪華絢爛たるカテドラルがあることだろうか。カトリック信者が多かったのだろう。ラスベガスにChicago Joeという、彼女の名をそっくりいただいたレストランがあるが、娼婦のシカゴ・ジョーとは無関係。
ジョーはそんなブームタウン、ヘレナでまるで水を得た魚のように活躍し出した。成金を相手にし、自らも成金になったのだ。1874年には正面切って赤線サローン(Red Light Saloon)と名付けた大きなダンスホール、サルーン・バーを開き、そこで小銭を掴んだ砂金探し、鉱夫、鉱山主などを陽気に騒がせ、飲ませ、踊らせ、互いに交渉がまとまれば、そのまま2階の部屋へ直行というやり方だった。
小さな田舎町から見ると、シカゴは大都会の様相を構えつつあった。シカゴからやってきたというだけでネームヴァリューが増した時代だった。ファッションで言えばパリ、ニューヨークからの直送と同じだ。ジョーは文字通り、シカゴに頻繁に足を運び、若く新鮮な綺麗どころをリクルートしヘレナの自分の娼家に連れ帰っている。シカゴ直輸入の新鮮な娘っ子というわけだ。まさにシカゴ・ジョーの名に恥じないやり口だ。

Chicago Joe – Queen of Helena, Montana
シカゴ・ジョーのおそらく晩年のものだろう。
この写真からは生き生きとした彼女の性格はうかがえない。

The "Grand" bordello, Helena, Montana
シカゴ・ジョーが所有していたGrand(大きな、素晴らしい)と呼ばれた娼婦の屋敷、
確かに周囲の木造家屋、商店に比べ勇壮を誇っている。
この建物は1970年まで建っていたが、その後取り壊された。
-…つづく
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