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第368回:曇天のトロッコ乗車 - 黒部峡谷鉄道 3-

更新日2011/03/24


小さな客車は立て付けが悪いような気がしたけれど、予想したよりも揺れが少ない。車両の連結に昔ながらの"連結環"を使っているせいかもしれない。連結環は8の字型の鋼鉄製で、車両の突起に引っ掛けて使う。一般の客車の自動連結器は遊びがあるから、発車時と停車時に間隔が変わって前後に揺れる。だけど連結環はガッチリとつないでいるから前後動が少ない。子供の頃に乗ったときは、そんなことは感じなかった。大人になってから童話を読むような、新しい発見である。


旧山彦橋を見る

黒部峡谷鉄道が連結環を使っているとは、発車前に覗いた部品即売会で知った。この連結方式は過去のものだと思っていた。乗り心地は良いけれど、連結作業は人手で行う必要がある。慎重に作業しないと危険である。だから連結と解決の作業を減らすため、黒部峡谷鉄道の客車は固定編成になっているようだ。乗客の流動によって客車数を増減させない。もっとも、この時期は最長編成でも満席である。オフシーズンの平日に、閑散としたトロッコ列車に乗ってみたくなった。


こちらは右側の車窓

宇奈月駅を発車した列車は、構内を出るとトンネルに入る。視界が明るくなると鉄橋で、視界が大きく広がる。これはなかなかうまい演出だと思う。黒部峡谷鉄道の建設は水力発電所やダム工事の資材輸送だったから、景観に配慮して線路を敷いたわけではない。しかし、宇奈月駅から宇奈月ダムまでは旅客営業開始後の新しい線路だから、もしかしたら景観演出を考慮したかもしれない。どちらにせよ、最初の鉄橋の眺めは、小さな客車の窮屈を忘れさせてくれる。

この鉄橋は新山彦橋という。室井滋さんによると長さ145m、高さ40m。旧線の鉄橋が山彦橋だから、新しい山彦橋という意味である。旧山彦橋の由来は、「列車が鉄橋を渡る音が温泉街にこだまするから」という。鉄橋の通過音など、本来は騒音であるけれど、宇奈月温泉の人々は親しみを持っているかもしれない。この橋の音がする時期は、街が賑わう時期でもある。黒部峡谷鉄道は冬は運休してしまう。そのとき、宇奈月の街は川と温泉の流れる音だけだ。どれほどの静寂だろうか。


エメラルドグリーンの水と赤い橋

高いところから宇奈月ダムを見下ろした。室井さんによると、このダムは発電ではなく、黒部川下流域を守るために作られたそうだ。存在するだけで役に立つ。そういう施設だからだろうか、植裁が整っている。序盤から良い景色で、件の女性が真横を向いてカメラを構えている。鼻筋が通っている。指も手首も細い。マニキュアをしていない。

もうすぐダムの建屋が見えるなと思ったら、長いトンネルに入った。トンネルを出るとダム湖。水面に青緑。赤いアーチ橋がかかっている。晴れたら水面はもっと輝いて、赤い橋もくっきりしているだろう。

線路はダムから少し離れた。遠い山肌は色が変わっている。けれど、手前の低い木々は夏に蓄えた緑の葉を茂らせていた。その茂みの中から、中世の城のような建物が現れた。円筒状の建物を組み合わせ、屋上部分は凹凸のような飾り造形である。これは柳川発電所で、室井さんによると、古城に浮かぶ城をイメージした建物だという。公共性のある建物で、このような遊び心があるなんて粋じゃないか。


スイス、に見えなくもない

その古城に隣接して柳橋駅がある。古城を背景に記念写真を撮りたいところだけど、ここは一般客の乗降はできない。発電所やダム作業員など、許可を得た者しか利用できない駅である。黒部峡谷鉄道にはそんな駅が6つもあって、一般利用できる駅のほうが少ない。観光客で賑わっているとはいえ、やはり本業は電力作業の専用鉄道であった。

黒部峡谷鉄道は、戦前までこんなに大々的に営業していなかった。登山愛好者を便宜的に乗せており、乗車券には「命の保証はしない」という意味の文が入っていた。乗客である登山者は、行路自体が充分に危険だったから、危険度をはかりにかけてトロッコ便乗を決めたのである。


5段染めの紅葉も冴えない

そのハイリスクを負ったとしても、黒部の風景は美しい。いま列車はダム湖のほとりを走り、対岸は緑と赤の斑模様になっている。黒部峡谷の紅葉は三段染め、五段染めと言われており、常緑樹の緑、赤や黄色、落葉の褐色も含めた色模様となる。秋が深まれば冠雪の白と青空を数えて七段染めともいうらしい。しかしそれも晴れていればこそで、今日は景色がくすんでいた。残念であるが、これはこれで趣がある。何よりも女性の美しさが引き立つではないか。私は満足していた。

ダムの幅が小さくなって、対岸が迫ってきた。ここでいったん景色は終わりとばかりにトンネルに入る。ここからはトンネルが連続する。車内放送も聞き取りづらくなったけれど、断片的な単語を並べると、この辺りには吊り橋が幾つかあって、それは人用ではなく、ダム建設で交通権を奪われたサルのために作られたという。トンネルを出て、目が明るさに慣れると、確かにに幾つか吊り橋が見えた。運がよければ橋を渡るサルが見えるらしい。もっとも、私の視力ではちょっと厳しい。


サル用の吊り橋

室井さんいわく、次の車窓ポイントは「仏岩」。孤高に立つ岩が仏様のように見えるとのこと。確かに湖のほとりにあって、赤い頭巾をかぶっていた。ダムの保守員がかぶせたと思われる。危険な職場の遊び心。観光客を楽しませてくれている。しかし、前掛けではなくて頭巾だから、異教のサンタクロースにも見える。

またトンネルに入り、今度はトンネル内で停止した。信号場になっているようだ。なぜか右側通行で、左側に対向列車が来た。お互いに止まり、こちらが先に動き出す。トンネルを出たところが森石駅。客扱いのない駅である。観光シーズンはすべての列車交換設備を稼動させているのだろう。対向列車にはパノラマ車がつながっていた。黒部峡谷鉄道は300両以上の車両があって、そのなかでたった1両の車両である。


1台だけのパノラマ車

その後ろは開放型トロッコ車両がズラリと並ぶ。どちらの列車も満員。この駅も乗降は許可されておらず、他に観るものもないので、乗客たちはお互いの列車を眺めている。気まずいなどと言っていられない。興味の向くままの視線が行き交う。お互いに観光地の景色の一部である。

仲間と一緒なら変顔で向かいの客を笑わせたいところだが、一人だとそんな勇気は出ない。室井さん、ここで、「にらめっこしましょ、笑うと負けよ、あっぷっぷ」なんて言ってくれないだろうか。


にらめっこしたい……

-…つづく

第368回の行程地図
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杉山 淳一
(すぎやま・じゅんいち)
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1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。

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