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■音楽知らずのバッハ詣で
 

第1回:私はだまされていた… 【新連載スタート】

更新日2021/10/28

 

教会音楽に初めて接したのはどこだったのだろうか、ウィーン、ザルツブルグ、ミュンヘンだったのか記憶にない。なにしろ50年以上も前のこと、半世紀前の昔話に類することなのだ。

シベリア横断鉄道でモスクワに入り、そこからキエフを経てウィーンに辿り着き、ウィーンからはヒッチハイクでオーストリア、ドイツ、オランダを経てスコットランドに向かった。もっぱらユースホステルに泊まり歩いていた。

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ライプツィヒ 聖トーマス教会(参考イメージ) 

バックパッカーにとって辛いのは日曜日だ。ユースホステルを朝9時に追い出され、かといって博物館、美術館などは閉まっているし、行くところがないのだ。とりわけ冬には、公園でのんびり過ごすこともできず、閑散とし、冷え切った石の町をうろつくしかないのだ。私がソビエト(ロシア)、ヨーロッパを横切ったのは11月から12月にかけてだった。ただ一箇所だけ、日曜日の午前中に開いているところが教会だという理由で、そこへ足を踏み入れたのだった。

残りの人生を逆算した方がはるかに早い歳になっても、忘れられない衝撃的体験は数えるほどしかないが、その一つがヨーロッパのどこかの教会に足を踏み入れた時のことだった。初冬の薄暗く寒く、天井ばかりがやたらに高い教会内に響き渡っていた音、音楽に、私は突然、全神経を撫でられたような、あるいは優しいけれど、鋭い爪を持った手で全身を掴まれたような感覚に襲われたのだった。

頭がシビレ、全身鳥肌立ったのだった。このような音楽がこの世に存在することを知ったのだ。その音楽が誰の何という曲だったのだろうか、グレゴリオ聖歌のような響きをもったコーラスだったと思う。基本的な音楽の知識のない私には知る術がなかった。

学生の頃からアルバイトで稼いだナケナシのお金をはたいて、安い席でクラシックコンサートにチョイチョイ行っていた。札幌の市民会館、厚生年金ホール、中島スポーツセンター、東京に出てからは、上野の文化会館、捧楽堂、元のNKKホール、横浜の紅葉坂のホールは私のホームグラウンドだった。ロックもフォークも好きで良く聴いたが、いざお金を払ってレコードを買うとかコンサートに行くとなると、貧乏学生だった私はとても両方に手が出ず、クラシックに偏っていた。カール・リヒターがミュンヘン・バッハ管弦楽・合唱団を率いて日本に来たのは一つの事件だった。私もナケナシの懐をはたいて聴きに行った。

だが、オーストリアかドイツの教会に鳴り響いていた音楽は、日本で聴いてきたどの音楽とも次元が違った。日本ではそれなりに感動し、帰りの電車の中で頭がボーッとしたり、コンサートで聴いたばかりの曲、演奏が頭の中で渦巻くことはあった。が、彼の地の教会で耳にした音楽は全く違うものだった。耳で聞く音ではなく、全神経に訴え、全身に染み入る音楽だった。普通の感動をはるかに通り超えた、魂を揺さぶるような音楽、音の響きだったのだ。 

私が日本で聴いてきた音楽に、私は騙されていた…と思わない訳にいかなかった。 

そこからの私の旅は、駅や街中のインフォーメーションセンターでコンサート、教会のミサの有無、場所、時間を尋ね、渡り歩くのが目的になったのだった。冬場がコンサートのシーズンであったことも幸いだった。

あれは、シュトゥットガルト(Stuttgart)だったのかデュッセルドルフ(Düsseldorf)だったのか、バッハのクリスマス・オラトリオの連続演奏会に出会ったのだった。オピウム(阿片)のように私の体を侵し始めていた教会音楽にまたまた全身がシビレたのだった。 

当たり前のことだが、教会で、信者たちは祭壇に向かって、顔を向けて座り、目、視野はゴテゴテと飾りつけた祭壇、キリストの生涯をドギツイ色を塗ったくった塑像、あるいはすっきりとした十字架だけの教会もあるが、あくまでキリストだけに集中するように造られている。音楽はといえば、祭壇とは対面の2階に設けられたオーケストラ、合唱隊の席で演奏されるのが一般的だ。だから、ミサに参列した信者たちは演奏者の姿を見ることができない。

目は祭壇に向いたまま、頭の上、後ろから鳴り響いてくる音を聴き、感じるのだ。オーケストラ、合唱隊が奏でる音楽は、高い天井に昇り、反響し深い陰影を作って会衆の耳に届く仕掛けだ。心はあくまで神のみに向け、音楽は天上から鳴り響き、心神を深める副次的な役割を果たすだけなのだ。

クリスマス・オラトリオの初日演奏会のことだった。演奏が終わり、その残響が消える前に会衆が立ち上がり顔を2階のオーケストラ、合唱隊の方に向け拍手をし始めたのだ。私も立ち上がり、演奏者の方を向いた。その時、指揮者がそんなことは止めろとばかり、指揮棒をサッと横に振り、そして両手の平を下に向け、会衆をいかにも抑える仕草をしたのだった。

潮を引くようにスーッと拍手は止んだ。ここはコンサートホールではない、静かな余韻を胸に抱いて家路に着けとでも指揮者は言いたかったのだろうか…。

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クリスマス・オラトリオ(参考イメージ)

音楽はあくまで音の芸術だったはずだ。だが、テレビが茶の間に入り込み、クラシックの演奏家、指揮者を大写しにして、仕草、表情を捉えて映し出す視覚の時代になってしまったのだ。カラヤンやオザワが髪を振り乱し口元を引き締め、いかにも音楽に浸っているように棒を振る姿の方が、実際に彼らが作り出す音楽より聴衆に訴える力が大きくなってしまったのだ。 

ショー化した音楽、視覚と聴覚がミックスした音楽はそれなりに楽しいものだ。多少思いきって打ち明ければ、マイケル・ジャクソンがスペイン、マルベージャのサッカースタジアムでコンサートを開いた時、私は大枚はたいて聴きに行った。そして大いに楽しんだのだ。その一方で、マドリッド郊外にあるカサ・デ・カンポの野外音楽堂で開かれたヘンデルの『王宮の花火の音楽』、イタリア人の演出家が実際の花火を演奏に合わせて打ち上げるという演出、派手派手しいコンサートも楽しんだ。それはもちろん私が言うまでもないことだが、それはそれであって良いと思う。

だが、教会音楽においては、演奏家の視覚的要素はできるだけ排除し、純粋に耳だけで聴き、全身で感じるのが本筋だと思う。 

もし、日本でクラシック演奏家の姿が全く見えない状態にして、たとえばコンサートホールのステージに薄いカーテンを張り、音だけの世界の演奏会にするなら、どれだけの人が聴きに来るだろうか。 

私たちは視覚、ビジュアルな時代に、すべて“ショー化”しなければならない時代に生きているのだろうか…。

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聖トーマス教会のクリスマス・オラトリオ



 

 

第2回:ライプツィヒという町

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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