■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと

金井 和宏
(かない・かずひろ)

1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
Lis. master's voice

 


第1回:I'm a “Barman”~
第50回:遠くへ行きたい
までのバックナンバー


第51回:お国言葉について
第52回:車中の出来事
第53回:テスト・マッチ

■更新予定日:隔週木曜日

第54回:カッコいい! カッワイイ!

更新日2005/06/30


物心ついた頃から、人から一度は言われてみたいとは思っていても、残念なことに今までに一度も言われたことのない言葉がある。「カッコいい!」。人によっては数え切れないほど言われ続け、半ばウンザリしているということもあるだろう。そういう人はとても羨ましく、一生のうちに一日でいいから立場を代わってもらいたいものだ。

お客さんから、「Kさんは、面(つら)は別にして、気持は良い男だ」というお世辞を戴くことがあるが、私はこうお答えしている。「『性格は悪いけれど、憎らしいぐらい顔はいい男だ』と言われた方が百億倍うれしいですよ」

以前も書いたが、自由が丘には60軒くらいバーがあり、私もその中の半分くらいのバーテンダーとは顔見知りだ。ときどきお客さんから「おすすめの店は?」と聞かれると、「どの店も、みんないいお店ですよ」と前置きをしてから、懇意にしている2、3の店の名をあげることにしている。その際、イケメン・バーテンダーのいる店は、無意識のうちにリストから外しているようだ。

つらつらと考えると、男の子というのは昔から「如何にしたらカッコよくなるのか」と言うことを、徹底的に追及してきたのではないか、という気がする。それが、私のように完全な徒労に終わったとしても、である。

思春期に、とりあえず夢中になって読んだ『週刊プレイボーイ』や『週刊平凡パンチ』にも「カッコいい男になるため」の情報がいつもあふれていた。髪型から始まって服装、装身具、車、音楽、映画、飲食店、連れ歩く女性のパターンにいたるまで、あらゆるジャンルから「カッコいい男になるため」のアプローチが紹介されていた。

でも、私の青春時代、それを読むニキビ面をした男の子たちのほとんどは金がなく、ただ憧れの気持で雑誌をながめているだけだった。もちろん、中には金持ちの男の子もいたし、せっせとバイトに励んでその金を全部おしゃれのためにつぎ込んでいるものもいるにはいたが、やはり少数派だった。

いつもこざっぱりしたおしゃれを楽しんでいたのは、もう少し後の世代だ。(蛇足ながら、その世代のこだわり生き残りの男たちが、今「レオン」などの雑誌を読んでいるのだろう。『JJ』読者のこだわり生き残りの女性たちが『ストーリー』を読んでいるように。これらの読者とはあまりに流派が違いすぎて、私はとても友人になれそうもない。年齢を重ねることで、余計に相手を理解できないと思ってしまうのは、悲しいことなのだろうけれど)

二十歳そこそこで、喫茶店でバイトしていた時、今考えると滑稽で恥ずかしくなるのだが、上から下まで、丸井のクレジット(後の支払で汲々とすることになった)で購入した「JUN」で統一して、客席の間を駆けずり回っていた。

自分では颯爽とカッコつけているつもりでも、多くの女性のお客さん、殊に顧客だった丸井の女子店員の方々はずいぶん醒めた目で見ていたのであろうことは、今では容易に想像がつく。彼女たちには、私がいかにも「カッコ悪く」映っていたことだろう。

これは、それから10年以上経ってからの話だが、デパート(丸井ではない)勤務の女性が面白いことを言っていた。

「若い男性のお客様が、どちらの服にしようかと迷っているときは『お客様にはこちらの方がお似合いですよ』とお勧めするより、『こちらの方がカッコいいですよ』と申し上げた方が、はるかに決断が早くなるのです」

やはり、カッコいいという言葉には弱いのだ。彼女は話を続けて、

「まったく同じことが若い女性のお客様にも言えます。『あらっ、こちらとてもかわいいですよ』と声をおかけした方を、ほとんどのお客様がお選びになります」

女性の方は、かわいいという言葉に弱いらしい。そう言えば、私の店でも女性のお客さん同士のやりとりを聞いていると、この言葉がよく出てくる。

「この間、恵比寿歩いていて、なにげにこれ買ったんだけど、どう?」「ええっ、かわいいじゃん、いいよ」「ちょい地味かと思ったけど、わりにこのバッグにも合うし」「ぜんぜん地味じゃない、かわいい、かわいいよ。いくらしたの?」

普通の会話にも頻繁に登場する。「ね? かわいいでしょう」もし、彼女たちが何かを評して私に向かって感想を求めてきたとしたら、一瞬たりとも躊躇してはいけない。即座に「ええ、かわいいと思います」と答えることにしている。

ここまで書いて考えたのだが、かわいいというのは、本人に対して言われたい言葉であるとともに、彼女たちの身のまわりのすべてが対象になっている言葉でもあるようだ。ネコを見ても、ケーキを見ても、グラスを見ても、まず発する言葉は「カッワイイ!」。

わが街、自由が丘に土日や祭日になると、洋服やアクセサリー、小物、最近ではスイーツを求めてやってくる夥しい数の若い女性が、その会話の中で最も多く使う言葉。いや、そんなにシチュエーションを限定しなくていいだろう。若い女性という言い方も当たっていないかも知れない。

誤りを恐れずに断言すれば、四十代までの女性に今最も使われているのが「かわいい」という言葉だと思う。「かわいい」は無敵のキーワードであり、そのものが「かわいいか」「かわいくないか」が彼女たちの価値判断にとっての最も大きな基準になっている。

カッコよくありたいと願いながら、残念なことに今までことごとく失敗してきた私は、今では天の邪鬼になっているのだろう。女性の方々に「かわいいのね」と言われるよりも、「かわいくないわね、まったく」と言われた方が、少しうれしい気がしている。

 

 

第55回:疾走する15歳