第405回:流行り歌に寄せて No.205 「夜明けのスキャット」~昭和44年(1969年)
「透明感」という言葉がいつ頃から使われ出したのかはわからないが、由紀さおりの歌声を聴くとき、いつもその言葉を思い出してしまう。
最初にこの『夜明けのスキャット』を聴いたのは、私が中学1年生の3学期の時。何か澄んだ泉の中から湧き出てくるような美しい声に、本当に魅了されてしまった。また、スキャットという用語さえ知らなかったが、言葉がなく、声を音だけとして使う唱法には驚かされた。
もともとは、TBSラジオで放送されていたラジオ番組『夜のバラード』(月~金の22時40分~23時、昭和41年6月20日~昭和46年9月30日にかけて放送)の番組テーマ曲として、いずみたくが作曲をし、スキャットの部分のみを録音されたものだという。それを聴いたリスナーから、夥しい数の問い合わせがあり、ついにはレコード化の運びとなったそうである。
当初、由紀さおりは、結婚を間近に控えていたことと、今まで吹き込んだ歌謡曲があまりに売れなかったためにセールスに自信を失っていたこともあり、歌手生活から離れようとしていた。それをいずみが説得をし、彼が山上路夫に作詞を依頼して『夜明けのスキャット』は世に出ることになった。
それが、オリコン週間のヒットチャートで8週に渡って第1位、さらに昭和44年の年間ヒットチャート第1位、109万枚を売り上げるという驚異的な大ヒット曲となった。そして当然ながら、彼女はこの年の第20回NHK紅白歌合戦に初出場を果たした。
この当時から、彼女が安田章子名義で、童謡歌手として幼い頃から歌っていたことは伝えられていた。しかし、この曲以前に歌謡曲歌手としてレコードを何枚か出していたことは、あまり多くの人たちに知られていなかったと記憶している。
今、音源が残っている数少ないその頃の歌謡曲を聴いてみたが、個人的な感想ではあるが、あまり彼女の魅力を引き出せている曲だとは思えなかった。
本当に多くの歌手が経験してきたことではあろうが、自分にそぐわないと思う曲を歌わされて、キャバレーやナイトクラブを連日回り歩くのは、辛いことだと思う。由紀さおりにもまた、そういう時代があったのだ。
「夜明けのスキャット」 山上路夫:作詞 いずみたく:作曲 渋谷毅:編曲 由紀さおり:歌
ル ル ルルル ル ル ルルル ル ル ルルル ルルル ル
ラ ラ ラララ ラ ラ ラララ ラ ラ ラララ ラララ ラ
パ パパ パパパパ パ パパ パパパパ
ア アア ア ア ア アア ア ア
ル ル ルルル ル ル ルルル ル ル ルルル ルルル ル
愛し合う その時に この世は止まるの
時のない 世界に 二人は 行くのよ
夜は流れず 星も消えない
愛の歌 響くだけ
愛し合う 二人の 時計は止まるのよ
時計は 止まるの
由紀さおりは、『夜明けのスキャット』のヒットの4ヵ月後、次の曲も作詞、作曲、編曲とも同じメンバーで、『天使のスキャット』という曲を出している。「ルルル ラララ」というスキャットがメジャーコードで歌われる美しい曲で、今でも私がとても好きな曲の中の一曲である。
さて、スキャットと言えばまずはルイ・アームストロングを思い出すことができる。彼とエラ・フィッツジェラルドとのデュエット盤『Ella and Louis』での二人のスキャットの応酬は、音楽そのものの楽しさを、まっすぐに私たちに伝えてくれる。
それから、クロード・ルルーシュ監督の『男と女』、フランシス・レイの手がけたテーマ曲。“ダバダバダ”を歌うピエール・バルーとにコール・クロワジールのスキャットの掛け合い、大人の音楽だった。
調べてみれば、いろいろと出てくる。サントリーオールドのテーマ曲『夜がくる』、ネスカフェ・ゴールドブレンドのテーマなど多くのCMにも使われていた。日産にもあった、懐しく思い出す。
珍しいところでは、ウルトラシリーズのウルトラ警備隊など、防衛組織が出動をするときにも。ウルトラセブンの時が発端だったろうか。
私の一押しのスキャットと言えば、美空ひばりの『A列車で行こう』の中のスキャットである。もしまだ聴かれていない方には、ぜひ一度お聴きくださいとお勧めしたい。素晴らしい歌声である。
かなり話が逸れてしまったが、由紀さおりの曲はこの後もいくつかご紹介していこうと思う。彼女は、まだまだこれから、素敵な歌を歌い続けてくださるものと信じている。
-…つづく
第406回:流行り歌に寄せて No.206 「港町ブルース」~昭和44年(1969年)
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