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コンピュータをオフィスに導入した場合、理想的な合理化とは何だろうか。いままでの仕事のうち、コンピュータが40%も肩代わりしてくれるようになった。では社員を40%減らそう、これはまちがっている。社員は減らさずに、ひとりあたりの仕事を40%だけ減らせばいいのだ。最近になって"ワークシェアリング"という言葉とともに、雇用の確保という面でこの考え方が広まりつつある。仕事を減らします、給料も減ります、でもクビにはしません、というわけだ。勤勉な日本人の多くは仕事を減らすことを嫌がるけれども、見方を変えれば余暇を増やすことでもある。好景気の時だってワークシェアリングの意味はある。仕事を減らします、余暇が増えます、余暇産業が発展します、となるのだ。 何度も書いているが、コンピュータのみならず、すべての道具は人を幸せにするために作られている。包丁は料理するものであって人に向けるものではないし、火薬は鉱山やトンネル工事で使うものであって、武器のために作られたわけではない。道具の使い方という意味において、コンピュータができたから社員を減らしてもいいという考え方と、核を使えば国ごと消滅できるという考え方に相違はない。 そもそも、オフィスのコンピュータをひとり1台で使っているからダメだ。1台を3人で8時間ずつ使えばいい。WindowsXPではこの機能が強化されているし、こんなことはほかの業界では昔からやっている。法人タクシーは1台を2-3人のドライバーが交代して乗り、一日中走り続けている。コンビニエンスストアのレジスターがひとり1台だったら、商品を並べる場所がなくなってしまう。 ワークシェアリングは、不景気を耐え忍ぶ方策だと思われているが、実は景気回復の治療薬でもある。収入が足りないなら、他のワークシェアリングの職場をもうひとつかけ持ちすればいい。就業チャンスが増えて、女性が働きやすくなるだろう。余暇を安価で楽しく過ごすために、家族で工夫するかもしれない。お父さんが育児したり、子供たちと食事したりする機会が増え、荒廃した教育環境が向上するかもしれない。いっそ大学のコンピュータや施設もシェアして、もっとたくさんの人に教育の機会を与えるべきだ。 そうなると、豊かさの尺度がカネからココロへとシフトしていくのではないか。限られた余暇の楽しい過ごしかたを考えることは、とてもクリエイティブなことだ。ふたつの職場で稼ぐには、人間としての魅力が必要になる。はんこを押すだけの仕事や帳簿を整理するだけの仕事はコンピュータがやってくれるから、人間には今まで以上にクリエイティブな働きが求められる。 例えば、鉄道会社は全駅に自動改札機を導入している。当然、いままでのハサミを持った改札係は不要になる。しかし、前向きな会社は人を減らさない。その代わり、案内窓口を増設して改札係を配転させる。駅にコンビニを作ったり、託児所を作ったりする会社もある。自動改札だけの殺風景な駅と、自動改札の他にいろいろなサービスを提供してくれる駅とでは、利用者の印象が違う。人を減らした鉄道は、コストが下がったなら運賃を下げろと言われそうだ。しかし、使い心地が向上した鉄道には、その対価を支払おうとする利用者がいるはずだ。 創造力のある人が人生の勝者となる社会になれば、残念ながら機械に職を奪われた人は、自分の子を不幸にさせないために、いかにして創造力を身につけさせるかを考えるだろう。かつて、学歴社会に価値を見出した人が子供を塾に送り込んだように、"創造力社会"に価値を見出した人は子供の創造力を豊かにしようとするはずだ。 私はかつて、あるパソコンのカタログのコピーとして"空間を創るPC"と書いた。省スペース向けにコンパクト化された商品だったが、"小さくしました"とか、"狭いところでも大丈夫です"という視点は実用的であっても楽しくないのだ。小さいパソコンを使うことは、机の上を広くできるということだ。その発想の転換に気づくか否か、これがワークシェアリングの成功の鍵だといえる。ワークシェアリングで減ったお金よりも、得た時間の価値が高いことに気づくべきだ。コンピュータはその"新しい豊かさ"を創るために使うべきものだろう。
-ごあいさつ-
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