かお
杉山淳一
(すぎやま・じゅんいち)

1967年生まれ。信州大学経済学部卒業。株式会社アスキーにて7年間に渡りコンピュータ雑誌の広告営業を担当した後、1996年よりフリーライターとなる。PCゲーム、オンラインソフトの評価、大手PCメーカーのカタログ等で活躍中。

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第3回:「コンピュータは人を癒せない。」

厚生労働省は4月17日までに、遠隔医療システムの整備のために年間5億円を予算化した。このお金は都道府県や市町村などの自治体が遠隔医療システムを導入する際の補助金として使われる。平成13年度から年間10ヵ所のペースで遠隔医療システムを導入するという。

このシステムは司令塔となる中核病院と3ヵ所の診療所、在宅患者12人でネットワークを形成する。このシステムを使えば、近所のお医者さんが診療に使ったレントゲン写真や内視鏡の画像を中核病院に送り、専門医の助言が得られる。また、患者宅にテレビ電話を置き、医師は端末から送られた患者の様子をみながら診療する。

これは大変便利なシステムで、お医者さんも患者さんも大喜びするはずだ。なぜなら、お医者さんは自分のスキルが低くても診療できるし、往診の手間が減って余暇が増える。患者さんは自宅に居ながら治療できるし、往診にかかる費用を負担しなくても良い。

さて、これは朗報だろうか?  いや、コンピュータの使い方としてはもっとも間違った部類に入るだろう。こんな技術で世界をリードしたところで、日本はIT後進国の愚かさを露呈するだけだ。

私は医療に関しては患者の立場しか経験していない。しかし、医療の理想くらいはわかる。それは、高度の技術を持った医者が、人々の住むところすべてに行き渡り、医者と患者の対話がきちんとなされ、お互いに負担の少ない治療活動ができることである。

それができないから遠隔医療システムが必要なのだろう。スキルの高い医者は少ないし、医者がさらに知識を深めるには都会の大学病院での研究が欠かせない。過疎地に進んで赴任する医者も少ない。無医村だって日本には少なくない。つまり、日本には医者が足りないのだ。私が住んでいる東京の下町でさえ、ちょっと大きな病院に行くと診察に2時間、投薬に1時間待たされる。

だからといって、コンピュータに補わせるとはどういうことか。医者が足りないなら、医者を(しかも技術の高い医者だ)増やす手立てを考えることが本筋であって、コンピュータが便利だから遠隔治療を普及させようなどという政策は愚の骨頂ではないか。遠隔治療システムは医学界、IT業界の双方にとって朗報だろう。しかし、私に言わせれば「日本は良質な医者を量産できません」という厚生労働省の"敗北宣言"としか思えない。

これと似たような愚策が"看護ロボット"だ。大手コンピュータメーカーが開発した看護ロボットのニュースでは、患者のベッドの周りを車輪で動き回り、食事や薬を運ぶ。ナースステーションからの操作でメッセージを伝えられる。ご丁寧に女性をイメージした丸みのあるデザインで、色はピンク。開発者に言わせれば、看護婦不足を解消し、感染性の大きな患者への対応に売り込みたいそうだ。

ぜひ、開発した人に感染性の高い病気で入院してもらいたい。自分の病気は感染しやすく、家族とすら隔離されている。そんな惨めな状態で、ロボットに看護される気分はどんなものだろう。手袋越し、無菌テント越しでもいいから生身の人間に看護してもらいたいとは思わないのかだろうか。あるいは、自分の病気が急変し、ある日突然、人間の看護婦がロボットに交代したときの絶望感をどうするつもりなのか。

現状で医者不足、看護婦不足だという事態は認める。それは仕方の無いことかもしれない。しかし、医者と患者の対話にコンピュータを介在させるという愚策は、どうか過度的なものとして取り組んでほしい。まず解決すべきは医療従事者不足の解消であり、そのための労働条件の改善であり、若い医療関係者にとっても魅力的な地域作りである。向上心のある医者にとって、地方に居ながら最先端の医療が研究できるインフラの提供も必要だ。むしろIT技術を投入すべきはこちらのほうだ。

老いて病の床についたとしても、テレビとロボットに囲まれた生活が待っていると思うと悲しすぎる。いっそ、元気なうちに血の通った医療サービスが受けられる国へ帰化したいとすら思うのだ。

 

→ 第4回:「"プロゲーマーリーグ"の設立に向けて」


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