トスカーナ大公のコジモ二世の死去によって、お抱え版画師としての職を失いナンシーに戻ってきたカロでしたけれども、それは単にナンシーが故郷だからということだけではなかったでしょう。
花の都のフィレンツェを舞台に大公に気に入られて活躍してきたカロであってみれば、またナンシーで宮廷のお抱え紋章官の仕事をしていた父を持つカロであってみれば、ロレーヌ大公が自分をお抱えの版画師として雇ってくれるに違いないと、当然のことながら思ったでしょう。
ところが現実は、カロの思惑通りにはなりませんでした。すでにそのような仕事についていた人がいたからということもあって、カロには一向にお声がかかりませんでした。
第一、ルネサンスという歴史的な文化ムーヴメントの中心だったフィレンツェのコジモ二世と、大国の狭間で衰退し、しかも跡を継ぐべき男子がいなかったために後継問題で何かと悩みの多かったナンシーのアンリ二世とでは、文化や芸術に対する関心そのものが比較になりませんでした。
カロの実家もすでに傾いていましたから、食べていくためには自分でなんとかするしかありません。そんなわけでカロは、フィレンツェ時代の版画を大量に復刻して売ったり、自分の関心を引いたテーマを作品化したりしていました。幸いなことに物乞いをする人たちなどを描いた前作が、人々の間でことのほか評判になり、独立した版画家として生きていく目処も多少はたち、またロレーヌ公国の現状や内部事情などが次第に分かってきたからでしょう、カロは自分を売り込むために、ちょっとしたプロモーションを行いました。
大公の側近で多大な影響力を持ち、アンリ二世から公爵の称号を授けられて公国の軍事司令官に任命されていたファルスブール公が前線で指揮をとる華麗な騎馬姿の特大サイズの版画『ファルスブール公の肖像』(28.8㎝×33.9㎝)をカロは1622年に描いたのです。
ファルスブール公、ルイ・ド・ロレーヌはアンリ二世の信任が厚く、後継がいなかったアンリ二世は、彼と娘のニコルを結婚させて次期大公にしようとしていたくらいですから、ファルスブール公はプリンスと呼ばれ、統治手腕がなかったアンリ二世に代わって宮廷の実権を掌握していた人物です。
この版画の効果はてきめんでした。華麗な姿に描かれたファルスブール公の進言があったからでしょう。カロは1623年に大公から、3年間の期限付きとはいえ、かなりの額の年金をもらえることになりました。年金は実際には大量の麦で支払われましたが、カロはそれをすぐに売り、これでなんとかなると思ったのか、市内の中心部に家を借り、良家の娘カトリーヌ・キュタンジュと結婚までしました。
ファルスブール公に気に入られ、大公から年金までもらえるという身分になったわけですから、人々のカロに対する評価も、たちまち大きく変わったに違いありません。芸は身を助けるとはまさにこのことですが、この版画にはカロの得意技がしっかりと用いられていてサービス精神も満載です。

ファルスブール公の肖像
近景には躍動的な馬を駆る華麗な騎馬姿のファルスブール公を描き、遠景では無数の兵士たちが戦いを繰り広げている様子を描いています。絵の下には公爵への献辞が彫り込まれていますが、その中にちゃっかり「偉大かつ賢明なアンリ大公」という文言を入れる程のサービスぶりです。でもそれで年金を頂けることになったのですから十分すぎるほどの見返りです。カロの作戦勝ちというところでしょうか。
しかしそれでフィレンツェ時代のようにいろんな仕事を宮廷から依頼されたかといえば、全くそうではありませんでした。何しろロレーヌ公国は衰退しきっていました。そんなわけでカロが依頼されたのは、偽の貨幣をつかまされないよう大公が公国内の両替屋に配った、公式の貨幣を正確に彫った版画の制作でした。

公式貨幣の版画制作
カロほどの技術があればこんな仕事は朝飯前です、というか、カロの技術を評価したからこその依頼で、これはこれで公国にとって重要な仕事ではあったかもしれませんが、しかしカロにしてみれば、特に面白みのある仕事というわけではなかったでしょう。
同じ公国を名乗ってはいても、トスカーナと故郷のロレーヌの現実と文化度の違いにカロは呆然としたでしょう。だから若くしてフィレンツェに行ったのだとも思い、過ぎ去ってしまった良き時代のことが、しばしば脳裏をよぎりもしたでしょう。
それに加えて、まがりなりにも自分に年金をくれたアンリ大公が1624年に亡くなってしまい、公国は大公の娘のニコルが継ぎますが、その正当性を巡って内輪揉めが始まり、カロが請け負う仕事などあるはずもありません。
ナンシーに戻ってからしばらくは猛烈な勢いでフィレンツェ時代の作品を復刻して自らの技量を周囲に示したり、『男爵大将』のように現実に密着した、この時期ならではの作品を創ったりしたカロでしたが、これ以降しばらく、あまり仕事をしていません。
-…つづく